麻原家族の教団裏支配の証言 ④宗形真紀子

 (2012-03-11 18:43:01 の記事)

麻原の家族(妻と三女が中心)が、アレフ教団を裏から支配している事実についての
宗形真紀子の証言を、書籍『二十歳からの20年間―――オウムの青春の魔境を超えてから
抜粋してお伝えします。

※アレフ脱会前の2003年~2004年に、麻原家の家族(妻と三女)の関与により経験した出来事です。


宗形真紀子プロフィール 
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●突然の、教団活動からの排除


 それから一ヶ月ほど経った二〇〇三年の六月に、さらに、予想外の出来事が起こりました。

 ある日突然、わたしは、麻原家(三女)から、上祐と一緒に教団活動を排除され、修行入りを命じられてしまったのです。

 麻原家は、逮捕されたことでアレフ教団に入会していなかったものの、その後、麻原の妻の松本知子が出所して麻原家に戻った影響もあってか、このときから秘密裏に教団運営の指示を出すようになっていったのです。

 麻原の三女や妻たちは、教団を改革していこうとする上祐の活動をよく思わなかったために、ひそかに上祐を教団活動から外すための協力者を募って準備していたということでした。

 表向きには「修行入り」という名目でしたが、実質は、教団活動からの排除でした。私は持っていた携帯電話やお金やパソコンなどを没収され、東京から長野県の郊外にある施設へと隔離されました。

 上祐は実質、麻原家(三女ら)により監視役をつけられ自室マンションに閉じこもる、謹慎のような処遇となりました。

 それまで一緒にやってきていた、修行仲間だと思っていた幹部の友人たちすべてが、麻原の家族たちの指示に従い、一夜にして、豹変したように、上祐や、上祐の路線を進めていたわたしなどを「麻原の意思を外した魔境」(悪魔が取り憑いている)と断定して糾弾する側に回ったのです。

 わたしは、最初は、その突然の、話し合いの余地のない理不尽なやり方に、まったく納得がいかず苦しみました。上祐が教団に戻ってくる前は、崩壊寸前の教団を立て直すことができるのは上祐しかいないとすがりつくように頼り、その後、上祐のおかげで、崩壊寸前の教団をなんとか立て直すことができたにもかかわらず、上層部のみんなが、その恩を仇で返すような行動に出たように感じられて、わたしはとてもショックを受けました。

 麻原三女から電話がかかってきたときには、わたしは上記のようなことを述べて、激しく反発しましたが、わたしも、上祐も、麻原の意思を外している「魔境」に入って、麻原への帰依が足りなくなっているから、今は修行に入って、麻原を観想し、麻原にすがって救ってもらうしかないということでした。

 麻原家(三女と妻ら)の主張では、上祐は、悪魔が取り憑いている、プライド魔境、権力魔境、性欲魔境などと言われていました。上祐はグルに成り代わろうとする野望を持って自らのグル化をすすめ、教団改革と称して、グルの絶対性を否定したり、グルが禁じた「外道」の神社仏閣に行ったり、グルと違う「外道」の教えを説いたりして、グルの意思を外しているということでした。当然、それを精力的に手伝っていたわたしも、同じように、グルの意思を外し、悪魔が取り憑いた魔境に陥っているということでした。


●荒木が麻原家の指示を受けて行動

 わたしが教団活動から排除されてしばらくすると、教団の中では、上祐への反発が、いっそう激化していきました。上祐やわたしなどのいないところで「上祐やわたしなどが、いかに麻原の意思を外した魔境であるか」と糾弾する「お話し会」という活動などが活発化していきました。

 その中心人物は、信じられないことに、少し前まで一緒に上祐の下で秘書をしていた荒木でした。わたしは最初、「どうして荒木君が?」と耳を疑いましたが、荒木が、麻原家の指示を受けて行動していることなどを知り、徐々に事情がわかってきました。

 その理由は、麻原に帰依する人たちからすれば、麻原の意思と違うことをするとしか思えない、上祐やわたしなどに耐えられないということでした。

 特に、絶対で完全で、神の化身で、最終解脱者であるはずの麻原が、上祐の言うように「悪業や失敗を犯した存在」となると、信仰が続けられなくなってしまうというオウム・麻原信仰の根幹にかかわる反発だったのです。

 幹部の会合では、上祐を呼び捨てにして、嫌悪丸出しの傲慢な態度で、直接的に罵倒する人たちもいました。わたし自身も、あからさまに個人的な批判や皮肉や悪口の的になりました。ほかにもいろいろあるのですが、これらの非常に激しい排除の行動を見て、逆におかしいと言って辞めていく人も多数出たほどでした。

 それらの非常に激しい排除の行動に直面したわたしは、しばらく見つめていくうちに、同じ信仰を持つ人たちに対しては、たいへん優しくいい人たちなのに、同じ信仰でないと思った人に対しては、自分たちが信じる「真理」の名のもとに、豹変したようになって、非常に苛烈な行動に出るという性質に気づかされました。

 そして、まさにそれこそが、社会から見れば、まさしく自分が実践してきた「オウムそのもの」なのではないかと感じ、その宗教テロの原因はこういったことだったのかと愕然としました。わたしが今まで、オウムの側から社会に対してやってきたことを、教団内部での意見対立を通して、過去の自分の姿をそこに見せられているように感じ、たいへん考えさせられました。

 彼らが、「グルを外した」という意味で上祐やわたしなどを批判するのに使う言葉「魔境」とは、本当は、オウムそのもののこういった性質こそを指しているのだと気づきました。


(略)

●麻原家の反対を押し切り、上祐が活動を再開

 二〇〇四年の一一月には、上祐は、麻原家やその意向に従う人たちの強い反対を押し切るかたちで、上祐の教団改革を支持する人たちとともに、教団活動に復帰したことを聞きました。
 このときは、麻原家の家族が、教団役員を無視し、独裁的に教団内の指示を出すようになり、様々な混乱が生じていました。

 最後に、教団分裂の様子と、オウム・アレフを脱会するまでの経緯について、補足しておきたいと思います。

 

●アレフ信者の上祐への反発の理由

  重大な問題は、同じ教団内に、「事件を否定し認め、麻原を相対化すると、オウム・麻原信仰が維持できなくなる、それは嫌だ」という人たちが、想像よりもたくさんいたことがわかったということでした。

 そのため、上祐が二〇〇四年の一一月に、麻原家とそれに従う人たちの強い反対を押し切る形で、教団活動に復帰した後、わたしは友人たちと一緒に、事件については、ブログなどで以下のことを行ないました。

 これまでの事実の説明をし、現象をありのままに見ない信仰実践が盲信・狂信となる恐れがあることを警告し、事件関与を否定したり、事件がなかったかのような振る舞いをしたりすることの問題を訴え、内部信者へのリンチ殺人を含めた事件の年表を掲示したりしました。

 しかし、これらは大きな反発を呼び、逆にあの手この手で、活動を抑え込もうとされてしまいました。上祐らと接触した人を、かつてのわたしと同じように、アレフ教団活動から排除して修行に入れ、見せしめとしたり(このことは「魔女狩り」と呼ばれていた)、「上祐には悪魔が取り憑いているので、上祐と話すと、グルとの縁が切れて地獄に堕ちる」と圧力をかけたり、上祐の事実に反する批判を広めたり、ブログ禁止令を出したりといった具合でした。

 これらの活動により、教団内の信者たちは、おのずと自身の選択を迫られるかたちとなっていき、実質的に内部対立が激化し、大きく分けると反上祐派・上祐派・中間派の三つに分裂していきました。

 

●オウム・アレフからの脱会

  こうして二〇〇六年の初頭まで、アレフ教団との話し合いを何度も試みましたが、宗教観・社会観がまったく違うため、平行線をたどり、最終的には、主流派(反上祐派)が話し合いを拒否するかたちで決別していきました。

 わたしは、反上祐派の激しい反発を直接的に経験した結果、同じ教団で十数年もすごしてきたにもかかわらず、人によって宗教観がまったく違っていたことや、この一八〇度逆とも言える転換が、一度はまった信者には、非常に難しいことを思い知りました。理解してもらえるだろう、と思っていた人でも、かなり多くの人が賛同してはくれませんでした。


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▶元・オウム・アレフ信者の経験から、150名以上の脱会を支援してきました。
▶アレフの内情も知り尽くしています。
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