麻原の家族が、教団を裏支配するようになる以前の経緯

 (2012-03-09 23:13:36 の記事)

 
麻原の家族が、2003年から、アレフを、ひそかに裏支配するようになった経緯については、
その事情をよく知る野田氏① 野田氏②の記事や、村岡氏の記事に掲載したとおりです。

それまで、麻原の家族は、1999年までのオウム真理教時代には、
すでに逮捕されていた松本明香里(旧知子)以外の家族は、
教団の中で、麻原に次ぐ最も上の位階にあり、教団運営に関わっていました。

しかし、家族らが2003年にアレフをひそかに裏支配するようになる前の
2000年に発足したアレフ教団には、麻原の家族らは、構成員には含まれていませんでした。
それは、彼らの逮捕によって、離れざるを得なかった事情によりました。
その経緯の詳細を以下に掲載しておきます。
 

上祐史浩個人総括文より抜粋

 こういった状況の中で、私は1999年の暮れに教団に戻りました。戻るとすぐに、私は、正悟師と麻原の家族らと、そして社会対応関係の担当幹部と話し合いをして、今後の対応について協議しました。その結果が、2000年初頭のいわゆるアーレフ体制の発足となります。
 私が戻ったときに受けた印象では、教団のリーダー達の意見は、非常に悲観的で、かつ、まとまっていない面がありました。

 (中略)

 教団のまとまりという点については、麻原の家族と正悟師の間の対立が多少なりともありましたが、それは、麻原の家族がアーレフには入会せず、教団の運営から離れ、私と正悟師らが教団を主に運営することになったため、それ以上は大きな問題とはなりませんでした。

 麻原の家族が教団を離れたのは、アーレフ体制の発足直前に、麻原の長女と次女・三女との間で争いが起き、長女の住居に不法侵入したという容疑で次女・三女が警察に逮捕されたことがきっかけです。

 次女と三女が逮捕・勾留される中で、長男は児童相談所に保護されました。こうして、麻原の家族は、教団を自分の意志で離れたというよりも、離れざるを得なくなったのです。

 

宗形真紀子個人総括文より抜粋


松本家の子女全員の脱会

 なお、アーレフが発足する直前に、通称「旭村事件」といわれる事件により、松本家の子女が全員オウム教団を離れざるを得ない事態が起こりました。

 それは、松本家の家族間の対立(兄弟げんか)で、長女対次女・三女という図式で、長女の部屋に次女と三女が不法侵入したという容疑で、次女と三女が警察に逮捕され、少年院行きとなるという事態でした。

 長男は児童相談所に保護され、精神を病んでいた長女はその事件のあと、家出して放浪生活中に窃盗罪で逮捕され、すぐに釈放されたものの、精神病院に入院、通院する生活となってしまいました。
 このようなことにより、松本家の子女は全員、自らの意志というよりも、教団を離れざるを得ない事情に各自がなっていき、自動的にアーレフに入会せず、教団運営から離れざるを得なくなりました。

 これらの出来事により松本家の子女に対する幻滅感も広がり、「麻原の子女は麻原との血のつながりのために最もステージが高い」とされるそれまでの教団内でのステージ制度は崩壊の兆しを見せ始めました。

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