【アレフ修行の危険性④】アレフの密教修行の問題1 麻原を絶対とすることは間違っている

 (2012-05-24 19:14:11 の記事) 

少し前に、「現在のアレフの修行の重大な危険性」について、以下の3まで述べましたが、
その続きの項目を載せていきたいと思います。

1 アレフの修行は、気づかないうちに、人を傲慢にする
2 アレフの修行は、人を妄想・現実逃避・精神病理に導く
3 アレフのヨーガの修行は、心身の健康を損ねる恐れがある

上記のように、
現在、アレフで行われている「アレフ的密教の修行」は、
心身の健康を、大きく損ねる恐れのあるものです。
それは、これまでオウム・アレフを経験してきたわたしたちは身をもって知っています。
現に、麻原の高弟だった何人もやその子女が、精神を病み、精神病院に入院したり、
廃人同然となってしまった事実があります。
  
特に、今回の項目では、そのなかでも、最も重大な問題のある、
「アレフの密教の修行の問題点」について、詳しく述べたいと思います。

※特に、新しくアレフに入信した方にも、アレフでは安易に提供されるその「アレフ的密教の修行」が、
いかに危険性のあるものかをお伝えすることで、すぐにでもやめていただきたいと切に願っています。



4 アレフの密教修行の問題 ①麻原を絶対とすることは間違っている

アレフで行われている密教修行とは、オウム行われていたのと同じように、
グルである麻原を絶対とし、麻原に対する絶対的な帰依・服従が、タントラヴァジラヤーナという
密教の教えの実践だとするものです。
それが、最も速やかに麻原と同じ最終解脱の境地(※最終解脱という概念自体が間違っている
のですが、アレフはそう信じている)に至る修行だとして行われています。

それには、麻原の力により進歩するとする行法、麻原への帰依を培う目的で行う礼拝や布施、奉仕、
マントラの念誦、密教的な瞑想の実践などがあります。
しかし、それらにはすべて、心身の健康を大きく損ねる危険性があるのです。

まず第一に、そのアレフの修行の根幹である、グル・導師(麻原)を絶対とする教え自体が、
実はその「密教」の本場である、伝統密教から見れば過ちだ
という事実を、知識としてしっかり知らなければなりません。

この、麻原を絶対とする教えが、オウム事件の一因になったことは周知の事実です。

事件後、わたしたちは、オウムの教えの問題を知るために、
チベットなどの伝統的な密教の教えを総合的に研究・検討してきたのですが、
その結果、確かに、密教の教えの中には、
「グルを完璧、絶対的と見る」と解釈できるような教えが説かれているものの、
その教えに関するオウム・アレフの解釈は、伝統的な密教の解釈と大きく違っており、
過ちであった、とはっきりわかりました。

具体的な違いは、以下の通りです。

チベット密教が説く教えでは、

① 「グルが絶対で完璧だ」という事実ではなく、あくまで、
 弟子である自分のエゴを弱めるための修行法として、
 そのように見なすことを意味しています。

② 密教的な帰依・実践をする前に、グル側だけでなく、
 弟子となる側も、その土台として、さまざまな条件を満たす必要があって、
 自分が(特定の密教のグルに)帰依するべきかどうかについて、
 慎重に適切に判断しなければならない、という大きな責任があります。

 というものでした。

 この点について、チベット密教関係者の教えを以下に引用します。

■密教は、「グルが完璧である」という客観的事実を主張しているのではないこと

◎カルマ・ゲレク・ユトク師 ダライ・ラマ日本代表部事務所の元代表

 「法師(=グル)に欠点を見出すことなく、完璧な存在として見るよう指示しているが、
  これは(法師が完璧であるという)客観的事実とはほど遠く、
  本来、弟子の主観的自我を清めることを意図したものである。」
 (ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のHPから引用)


■密教的な実践をする弟子には、帰依すべきかどうかを判断する重大な責任があること

◎カルマ・ゲレク・ユトク師(前出)
   「...ある人を自分の師とするにあたって、慎重かつ注意深くやらなければなりません。
     急がずに、十分に時間をかけて法師の行動、
   性質に常に注意をはらうことが、基本
として挙げられます。
     師の候補となる人についての情報を信頼する人から聞くこと、
   関わりを持つ以前の彼のスピーチやダルマ説法を聞くこと、
   彼の日常の生活や行動をきちんと吟味すれば、
   これから自分の法師になろうとする者について知ることができます
     ...その条件を有する法師は、学識かつ経験を積んだダルマを体得した人であること。
   正直で平静かつ謙虚な者。
   最高の真理を会得し、それに従って生きる者。
   生きとし生けるものに溢れる慈悲の心を持つ者。
   精神的な師としての務めに常に励む者。
     ...もう1つは、真の倫理を守っている者。
    真の分別の知恵を守っている者。
    真の利他主義を守っている者。
   上記の条件に十分相当する師は、この世でどんなに貧しい身分でも、
   たぐいまれな精神的師と言えるのです。」

このように、伝統密教では、「グルが本当に完璧である、絶対的である」と説いてはいません。
それは、「弟子のエゴを弱めるために、グルを完璧・絶対と見なす、考えるようにする修行法がある」
ということにすぎません。

しかし、アレフの場合は、「グルが完璧、絶対である」から、
信者はグルに犯罪行為を指示されたとき、それに従わなければならない
と考えるケースがあり、現在、アレフでは、「麻原は絶対である」と言い続け、
事件についても「深い考えがあってのこと」などと正当化する発言があります

しかし、これは、上記のような伝統的「密教」の考え方に照らしても、完全に間違っています。

まず、麻原自体が、上記のような伝統的密教でいわれる「グル」の条件に、
全く当てはまっていない事実を、受け入れなければなりません。

そして、麻原のなした無差別大量殺人というものについては、
人として、「殺人犯」であるのはもちろんのこと、
伝統的密教の説く「グル」としての行動からも、完全に外れている過ちであり、
麻原は「グル」として、不的確であるという事実・現実を受け入れなければなりません。

オウムは、
あくまでも、自分の心の中でグルを完璧と見るように努めるという、
伝統的密教の教えを踏み外し、
自分以外の第三者を巻き込んで、グルを絶対として第三者を殺す
というオウム事件を多数犯しました。

このような事件を、「グルは絶対だから」と正当化しているアレフは、
伝統的密教の教えに照らしても、完全に過ちを犯しているのです。

そうでなければ、

自分の帰依の修行のためには第三者を犠牲にしてよい

ということになり、
弟子のエゴを弱めて解脱に至ろうとする修行であるどころか、
逆に、あまりに自己中心的な、エゴイスティックで傲慢極まりない行動、
そして実際に行えば犯罪、ということにしかなりません。

事件当時のオウムは、このように「グルへの帰依」という名の下に、
自分たちでは気づかないうちに、エゴ、煩悩をこの上なく増大させてしまっていました。
その過ちを、アレフの「麻原を絶対とする」修行は、犯し続けているのです。

アレフ信者が、グルを絶対・完璧であると考えるなら、
それは同時に、その瞬間から、自分たち自身を、
グルの指示があればこの世の中で殺人を含めて何をしてもいい存在
にしてしまうことでもあり、
これはアレフ信者自身を絶対化してしまうことになると思います。

また、伝統密教では、密教の教えを実践する場合に、
そのグルだけではなく、弟子となる側にも、正しいグルを選ばなければならない
という重大な責任があると説かれています。
  
しかし、「この弟子側の責任」という考え方については、
オウムでは全く言われず、オウムの信者は、こういった責任を全く果たさずに、
密教の教えの実践を行ってしまうという過ちを犯しました。
  
新しくアレフに入信し、麻原を「グル」としている方は、
まずはこのことをしっかりと考えていただきたいと心より思います

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▶元・オウム・アレフ信者の経験から、150名以上の脱会を支援してきました。
▶アレフの内情も知り尽くしています。
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