オウム真理教の弟子たち・信者の人格分析① 親子関係の傷=第二の親・麻原
( 2012-04-09 19:13:41 の記事)
前回までに、オウム真理教の事件の原因を解明して、
オウム問題を解決し、 それを二度と繰り返さないようにするために、
「麻原とは、いったいどういった人物だったのか」を
科学的に分析することが必要不可欠である
という視点から、麻原の人格分析を行ってきました。
今回は、 それに異常なまでに付き従った弟子たちや信者の人格分析を
行いたいと思います。
◆親子関係の傷
――残存する「理想化された親のイマーゴ」=第二の親・麻原
◎理想化された親のイマーゴ
「理想化された親のイマーゴ」とは、
自分を支配し、願望をかなえてくれる「神」 のような親の理想像です。
ある時期、親や身近な大人を、「理想化したもの」として尊敬し、
「手本」として取り込むことが、この「 理想化された親のイマーゴ」も、
子どもの健全な成長にとって欠くことのできないものです。
もちろん、ある時期に生じた「理想化された親のイマーゴ」は、
子どもが成長する中で、現実の親や大人の「理想的ではない部分」 を
徐々に認識する中で、徐々に解消されていき、
その結果、理想ではなく、現実に基づいた、
親や他者への尊敬・尊重に変わっていきます。
ところが、何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、
「理想化されたイマーゴ」としての役割を果たせず、
本人の期待をひどく裏切ったり、 本人に対して支配的すぎたりすると、
本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、 親のイマーゴばかりが、
「過度に膨らんだもの」として、
本人の心の中に、居座り続けることになるとされています。
こうして、現実的な、成熟した、健全な自己愛に向かった発達が
損なわれた結果として、
「誇大自己」や「理想化された親のイマーゴ」が残存して支配する
という考え方は、子どもや大人の「非行」を理解する上で、
非常に有効な概念だとされています。
どのくらいの弟子たちが、その親との関係で、
誇大自己症候群の原因となるような、
親の適切な愛情の施しにおいて、問題があったかは未調査です。
また、一般社会のケースと比較する必要もあるかもしれません。
しかし、親に傷を持っている人は、結構多いように思われます。
また、現代の社会は、いわゆる「父権の喪失」によって、
子どもにとって、親が、先ほどの論理でいう、
「理想化された親のイマーゴ」への欲求を適切に満たして、
適切に解消するという健全なプロセスが実現されにくい面がありま す。
すなわち、子どもの理想・尊敬の対象になりにくい、 ということです。
◎上祐代表の場合
例えば、麻原の男性の一番弟子と言われた上祐代表の場合は、
両親の別居が小学生時代から始まっており、
父親は別の女性と暮らして上祐氏の家に帰ってこなくなり、
それに悩む母親を見ながら育ち、
その他、父親の経営する会社は倒産してしまいました。
こうした中で、上祐氏は23歳頃に、
「超能力を身に付けてスーパーマンになりたい」といった願望で、
オウム神仙の会に入会し、
その後、麻原の説く「解脱者になって世界を救済する」 ということに共鳴し、
オウムに出家しました。
上祐氏は、
自分が解脱し救済者になるという理想=「誇大自己」 の実現を手伝ってくれる、
「理想化された親のイマーゴ」として、麻原に依存していきます。
この中で、上祐氏は、麻原を、自分の頼りなかった両親に代えて
「第二の親・親代わり」にした面があったと思われます。
◎多くの弟子たちの共通点
「麻原を、理想化された親のイマーゴとした」という点ですが、
これはほとんどの弟子たちに共通した側面であったのではないか、
と思われます。
弟子たちは皆、「麻原に依存すること」で解脱者になる、
キリストの弟子として救済者になる、
という「誇大妄想的な」欲求を満たそうとしました。
そして、多くの出家した弟子たちは、
隠語として、麻原を「お父さん」と呼ぶときがありましたし、
出家とは、仏教でいう、いわゆる「家を出る」 という意味合いではなく、
理想的ではない肉親の家族から、自分の理想を実現してくれる、
頼れる「麻原の大家族に移ることだった」と思われます。
その後、外部社会から客観的に見るならば、
弟子たちは、95年以降、麻原の逮捕・勾留によって、
事実上、麻原を失いました。
「失った」はずでした。
ところが、弟子たち・信者たちの中では、
「麻原を失った」ということを自覚しない、したくない人たちが、
よりいっそう麻原を「理想化」して、教団を辞めずに、 続けていきました。
これは、誇大自己症候群における
「誇大自己」と「理想化された親のイマーゴ」 の問題そのものです。
「何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、
"理想化されたイマーゴ"としての役割を果たせず、
本人の期待をひどく裏切ったり、" 本人に対して支配的すぎたりする"と、
本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、
"親のイマーゴ"ばかりが、過度に膨らんだものとして、
本人の心の中に、居座り続けることになる」
と上記に述べました。
麻原は、信者の第二の親としては、
明らかに、「本人に対して支配的すぎたりする」親でした。
教団の中で、麻原は、
「偉大なグル」「キリスト」「マイトレーヤ」といった「 絶対的な位置付け」を持ち、
弟子は、麻原の弟子として、今生に限らず、 来世を含めて未来永劫、
一緒に転生し、麻原のお手伝いをしていく、 という方向に誘導されました。
それとは反対に、仮に、弟子が脱会するなどして、
グル・麻原から離れるならば、
グル・真理との縁が傷つき、
地獄などの低い世界に転生する(可能性がある)という
「恐怖」も植え付けられました。
こうして、信者の第二の親としての麻原は、
「本人に対して支配的すぎたりする」親でありました。
そのため、弟子・信者たちは、
「本来の育むべき理想や自立心が育たないまま」の状態になり、
麻原という「親のイマーゴばかりが、過度に膨らんだものとして、
本人の心の中に、居座り続けることになる」 という状態になりました。
これは、今現在も、私たちがひかりの輪として独立する中で、
脱会したアレフ(現在Aleph に改名)について当てはまることです。
その中では、わたしたちが脱会した5年前に比べ、
さらに、麻原の神格化、絶対化への回帰が強まっており、
誇大妄想的な主張や指導が、依然として展開されているのです。
オウム問題を解決し、
「麻原とは、いったいどういった人物だったのか」を
科学的に分析することが必要不可欠である
という視点から、麻原の人格分析を行ってきました。
今回は、
行いたいと思います。
◆親子関係の傷
――残存する「理想化された親のイマーゴ」=第二の親・麻原
◎理想化された親のイマーゴ
「理想化された親のイマーゴ」とは、
自分を支配し、願望をかなえてくれる「神」
ある時期、親や身近な大人を、「理想化したもの」として尊敬し、
「手本」として取り込むことが、この「
子どもの健全な成長にとって欠くことのできないものです。
もちろん、ある時期に生じた「理想化された親のイマーゴ」は、
子どもが成長する中で、現実の親や大人の「理想的ではない部分」
徐々に認識する中で、徐々に解消されていき、
その結果、理想ではなく、現実に基づいた、
親や他者への尊敬・尊重に変わっていきます。
ところが、何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、
「理想化されたイマーゴ」としての役割を果たせず、
本人の期待をひどく裏切ったり、
本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、
「過度に膨らんだもの」として、
本人の心の中に、居座り続けることになるとされています。
こうして、現実的な、成熟した、健全な自己愛に向かった発達が
損なわれた結果として、
「誇大自己」や「理想化された親のイマーゴ」が残存して支配する
という考え方は、子どもや大人の「非行」を理解する上で、
非常に有効な概念だとされています。
どのくらいの弟子たちが、その親との関係で、
誇大自己症候群の原因となるような、
親の適切な愛情の施しにおいて、問題があったかは未調査です。
また、一般社会のケースと比較する必要もあるかもしれません。
しかし、親に傷を持っている人は、結構多いように思われます。
また、現代の社会は、いわゆる「父権の喪失」によって、
子どもにとって、親が、先ほどの論理でいう、
「理想化された親のイマーゴ」への欲求を適切に満たして、
適切に解消するという健全なプロセスが実現されにくい面がありま
すなわち、子どもの理想・尊敬の対象になりにくい、
◎上祐代表の場合
例えば、麻原の男性の一番弟子と言われた上祐代表の場合は、
両親の別居が小学生時代から始まっており、
父親は別の女性と暮らして上祐氏の家に帰ってこなくなり、
それに悩む母親を見ながら育ち、
その他、父親の経営する会社は倒産してしまいました。
こうした中で、上祐氏は23歳頃に、
「超能力を身に付けてスーパーマンになりたい」といった願望で、
オウム神仙の会に入会し、
その後、麻原の説く「解脱者になって世界を救済する」
オウムに出家しました。
上祐氏は、
自分が解脱し救済者になるという理想=「誇大自己」
「理想化された親のイマーゴ」として、麻原に依存していきます。
この中で、上祐氏は、麻原を、自分の頼りなかった両親に代えて
「第二の親・親代わり」にした面があったと思われます。
◎多くの弟子たちの共通点
「麻原を、理想化された親のイマーゴとした」という点ですが、
これはほとんどの弟子たちに共通した側面であったのではないか、
と思われます。
弟子たちは皆、「麻原に依存すること」で解脱者になる、
キリストの弟子として救済者になる、
という「誇大妄想的な」欲求を満たそうとしました。
そして、多くの出家した弟子たちは、
隠語として、麻原を「お父さん」と呼ぶときがありましたし、
出家とは、仏教でいう、いわゆる「家を出る」
理想的ではない肉親の家族から、自分の理想を実現してくれる、
頼れる「麻原の大家族に移ることだった」と思われます。
その後、外部社会から客観的に見るならば、
弟子たちは、95年以降、麻原の逮捕・勾留によって、
事実上、麻原を失いました。
「失った」はずでした。
ところが、弟子たち・信者たちの中では、
「麻原を失った」ということを自覚しない、したくない人たちが、
よりいっそう麻原を「理想化」して、教団を辞めずに、
これは、誇大自己症候群における
「誇大自己」と「理想化された親のイマーゴ」
「何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、
"理想化されたイマーゴ"としての役割を果たせず、
本人の期待をひどく裏切ったり、"
本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、
"親のイマーゴ"ばかりが、過度に膨らんだものとして、
本人の心の中に、居座り続けることになる」
と上記に述べました。
麻原は、信者の第二の親としては、
明らかに、「本人に対して支配的すぎたりする」親でした。
教団の中で、麻原は、
「偉大なグル」「キリスト」「マイトレーヤ」といった「
弟子は、麻原の弟子として、今生に限らず、
一緒に転生し、麻原のお手伝いをしていく、
それとは反対に、仮に、弟子が脱会するなどして、
グル・麻原から離れるならば、
グル・真理との縁が傷つき、
地獄などの低い世界に転生する(可能性がある)という
「恐怖」も植え付けられました。
こうして、信者の第二の親としての麻原は、
「本人に対して支配的すぎたりする」親でありました。
そのため、弟子・信者たちは、
「本来の育むべき理想や自立心が育たないまま」の状態になり、
麻原という「親のイマーゴばかりが、過度に膨らんだものとして、
本人の心の中に、居座り続けることになる」
これは、今現在も、私たちがひかりの輪として独立する中で、
脱会したアレフ(現在Aleph に改名)について当てはまることです。
その中では、わたしたちが脱会した5年前に比べ、
さらに、麻原の神格化、絶対化への回帰が強まっており、
誇大妄想的な主張や指導が、依然として展開されているのです。
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