【麻原の人格分析④】 「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動との比較検討 その1
(2012-04-01 10:50:24 の記事)
前回の続きです。
それでは 具体的に、「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動との比較検討
を項目ごとに進めていきたいと思います。
「万能感」という誇大妄想
誇大自己の持つ「万能感」は、 何かに挑戦しようという前向きな力にもなります。
しかし、現実認識が甘く、現実と遊離した形では、
「誇大妄想」の万能感となって、それは、危険なものとなります。
「自分は何でもできる」
という「自己誇大視による万能感」があり、等身大の自己認識を欠 いてしまい、
現実が伴わない「過剰な自負心」となります。
麻原については、この傾向がしばしば見られます。
例えば、
① 人徳もなく、生徒会長になろうとして落選したこと
② 学力もなく、「国立の医学部に入学し医者になる」とか、
「東大の法学部に入学して総理大臣になる」と主張し失敗したこと
③ 宗教団体(オウム真理教)を開いてからは、
民主的に政権をとろうと考えて、選挙に出て惨敗したこと
④ その後は教団武装化=軍事力によって、日本・ 世界の王になろうとしたこと
などです。
自己顕示欲
「見捨てられ体験」をした者は、 自分に確かな価値観が感じられず、
周囲の関心や注目を過度に求めることで、「自分の価値」 を確認しようとします。
満たされない思いを補うために、誇大な願望を膨らませ、
派手な自己顕示に向かいます。
誇大自己は、絶えず「注目と賞賛」を望みます。
自己顕示欲というものは、本人は大まじめでも、
第三者の目には滑稽に映ったり、異様であったりするようです。
自己顕示欲的行動は、それに感応した人を惹きつけますが、
そうでない人には茶番に映ります。
この傾向も、麻原には顕著です。
例えば、
① 青年時代に、寮生活で学友を集めて行なったとされる「 松本智津夫ショー」
② 衆議院選挙で行った、特異なパフォーマンス
(滑稽・異様に感じた人も多かった)
③ 自分の誕生日に、「キリスト礼拝祭」 と名付けた教団の祭典を行い、
その中で、実際に自分が十字架に掛かる( ことで自分がキリストである)
という演出をしたこと
などです。
その他にも、社会の注目を集める「派手で特異な」活動・言動は、
枚挙にいとまがありませんでした。
「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想
自分を、世界の中心である「特別な存在」であると思い、
自分が特別な存在で、「唯一絶対の存在」であるような思いが、
心を支配し続ける傾向があります。
麻原の場合は、
① 実際に、「私が世界の中心であることは間違いなく・・・」
と語る説法があること
② 自分のことを、
「最後の救世主」
「キリスト=世界の王」
「未来仏マイトレーヤ」
「地球の教祖」になる
などと宣言・予言していたこと
③ インドに行ったときには、お釈迦様が悟りを開いた場所で、
立ち入り禁止である場所に座って、
自分を、仏陀と同列に位置づける行為をなした
(地元住民とトラブルとなった)こと
④ 歴史上の皇帝・将軍など、その時代の中心人物を
「自分の過去世である」
と語ったたこと
など、これも枚挙にいとまがありません。
「他者に対する共感性」の未発達、喪失
このことは、「他者に対する二面性」に現れます。
それは、冷酷な血も涙もないような行いと、
過度に親切で優しいという一面です。
しかしながら、親切で優しく振る舞う状況と、
ドライで酷薄に振る舞う状況の落差を分析すると、
どちらも、「その人の気分や欲求」に重心が置かれており、
相手の視点や立場に立った、本当の「共感」 や思いやりによるものではない
ことが明らかとなります。
その背景には、冷酷さも、過度な感情移入も、
その人が「世界の中心」にいる、 という設定条件の下に生じています。
感動したり共感しているように見えるときも、
相手の思いよりも自分の思いに力点が置かれ、
感動している自分自身への陶酔という側面が強く、
とかく「独りよがりな思い」に走りがちです。
麻原の場合は、一連の事件などの冷酷さと、
信者に見せた行為の「二面性」がこれに当たると思われます。
続く
それでは 具体的に、「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動との比較検討
を項目ごとに進めていきたいと思います。

誇大自己の持つ「万能感」は、
しかし、現実認識が甘く、現実と遊離した形では、
「誇大妄想」の万能感となって、それは、危険なものとなります。
「自分は何でもできる」
という「自己誇大視による万能感」があり、等身大の自己認識を欠
現実が伴わない「過剰な自負心」となります。
麻原については、この傾向がしばしば見られます。
例えば、
① 人徳もなく、生徒会長になろうとして落選したこと
② 学力もなく、「国立の医学部に入学し医者になる」とか、
「東大の法学部に入学して総理大臣になる」と主張し失敗したこと
③ 宗教団体(オウム真理教)を開いてからは、
民主的に政権をとろうと考えて、選挙に出て惨敗したこと
④ その後は教団武装化=軍事力によって、日本・
などです。

「見捨てられ体験」をした者は、
周囲の関心や注目を過度に求めることで、「自分の価値」
満たされない思いを補うために、誇大な願望を膨らませ、
派手な自己顕示に向かいます。
誇大自己は、絶えず「注目と賞賛」を望みます。
自己顕示欲というものは、本人は大まじめでも、
第三者の目には滑稽に映ったり、異様であったりするようです。
自己顕示欲的行動は、それに感応した人を惹きつけますが、
そうでない人には茶番に映ります。
この傾向も、麻原には顕著です。
例えば、
① 青年時代に、寮生活で学友を集めて行なったとされる「
② 衆議院選挙で行った、特異なパフォーマンス
(滑稽・異様に感じた人も多かった)
③ 自分の誕生日に、「キリスト礼拝祭」
その中で、実際に自分が十字架に掛かる(
という演出をしたこと
などです。
その他にも、社会の注目を集める「派手で特異な」活動・言動は、
枚挙にいとまがありませんでした。

自分を、世界の中心である「特別な存在」であると思い、
自分が特別な存在で、「唯一絶対の存在」であるような思いが、
心を支配し続ける傾向があります。
麻原の場合は、
① 実際に、「私が世界の中心であることは間違いなく・・・」
と語る説法があること
② 自分のことを、
「最後の救世主」
「キリスト=世界の王」
「未来仏マイトレーヤ」
「地球の教祖」になる
などと宣言・予言していたこと
③ インドに行ったときには、お釈迦様が悟りを開いた場所で、
立ち入り禁止である場所に座って、
自分を、仏陀と同列に位置づける行為をなした
(地元住民とトラブルとなった)こと
④ 歴史上の皇帝・将軍など、その時代の中心人物を
「自分の過去世である」
と語ったたこと
など、これも枚挙にいとまがありません。

このことは、「他者に対する二面性」に現れます。
それは、冷酷な血も涙もないような行いと、
過度に親切で優しいという一面です。
しかしながら、親切で優しく振る舞う状況と、
ドライで酷薄に振る舞う状況の落差を分析すると、
どちらも、「その人の気分や欲求」に重心が置かれており、
相手の視点や立場に立った、本当の「共感」
ことが明らかとなります。
その背景には、冷酷さも、過度な感情移入も、
その人が「世界の中心」にいる、
感動したり共感しているように見えるときも、
相手の思いよりも自分の思いに力点が置かれ、
感動している自分自身への陶酔という側面が強く、
とかく「独りよがりな思い」に走りがちです。
麻原の場合は、一連の事件などの冷酷さと、
信者に見せた行為の「二面性」がこれに当たると思われます。
続く
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