【盲信原因と脱却⑦】「輪廻転生」を、原理主義的に盲信してしまう

の記事)

今日は7番目の、
アレフ信者が、「輪廻転生」を、原理主義的に盲信してしまう問題と、
その解決方法について、詳細を掲載したいと思います。

まず、アレフでは、依然として、麻原彰晃を、
「最終解脱者・シヴァ大神の化身」として絶対視
しています。

さらには、麻原の関与した殺人事件についても、
圧倒的な客観的事実・証拠があるにもかかわらず、
「陰謀である」と主張したり、「わからない」と考えたりして、
麻原を否定する理由とすることを避けています。

こうした、オウム・麻原信仰に陥り、
そこから抜け出せない根底には、
「輪廻転生」への原理主義的な盲信があります。



輪廻転生とは、人は死んでも何度でも生まれ変わり、その生前の行いに応じて、
地獄や餓鬼、動物のような苦しみの多い世界や、
天界のような喜びの多い世界に生まれていくという考え方です。

そして、アレフで行っているオウム・麻原信仰においては、

① 輪廻転生は絶対に存在し、

② 現代人の大部分(約99%)は、来世、
   地獄などの低い世界に生まれ変わるが、

③ そこから救われるには、麻原に帰依するしかない。

④ オウム・アレフをやめれば、グルである麻原との縁が切れて 
 地獄に堕ちる


と説いています。

そして、脱会を希望する者に、そのように説いて、
脅しのようなことをしています。
>>脱会引き留めの実例はこちら

しかし、これに関して、それぞれ次のとおり指摘しなければなりません。


(1)輪廻転生の存在は科学的には証明はできず、
  釈迦牟尼も強調していない


そもそも輪廻転生の存在については、古来、激しい議論がなされてきた
ことからもわかるとおり、いまだに科学的には証明されていません。

つまり、あるともないとも、はっきり断言できないというのが科学的な態度です。

また、仏教の開祖・釈迦牟尼自身も、当時のインドで支配的であった
輪廻転生の考え方を背景にはしながらも、
それを強調することはしませんでした。

むしろ、死後の世界はあるかないかについては、
両極端な考え方に偏らない「中道」を説き、
肉体と霊魂が同じか別かという形而上学的な問いかけについても、
「無記」(回答しない、説明しない)という合理的姿勢を示しました。

そのような考え方に、いたずらにとらわれること自体が無益であるというのが、
釈迦牟尼の考えだったことがわかります。

もっとも、仮に輪廻転生があるとしても、
その考え方自体は宗教界に一般的に存在しているように、
大きな問題があるわけではありません。

しかし、オウム・麻原信仰の場合は、
この考え方に固着すると、次のような落とし穴にはまります。


(2)「現代人の大部分が地獄行き」という根拠はない

オウム・麻原信仰では、

修行をしていない現代人の大部分(99%ともいわれます)は、
死後、地獄・餓鬼・動物という苦しみの多い低い世界に生まれ変わっていく

と説いています。

しかし、そもそも、地獄に落ちるような所業を行ったのは、
オウム・麻原なのではないのでしょうか。

実際に、サリン事件等の無差別大量殺人を行い、
自分の弟子をリンチ殺人で殺し、
それを反省するどころか、
宗教的に肯定するオウム・麻原信仰、アレフの思想こそが、
自らを地獄に導くものではないでしょうか。


オウム・麻原が説いた「ポワ」は、本来のチベット密教の教えとは違っており、
用語を悪用して、殺人を肯定する言い訳として勝手に使っていただけでした。
オウム事件は、宗教的にも到底正当化できるものでないことは明らかです。

また、釈迦牟尼が、「現代人の大部分が地獄等の低い世界に落ちる」
と説いたという確たる根拠もありません。


確かに、伝統的な仏教では、正しい仏法に巡り会うことの難しさや、
地獄の住人の多さなどについては論及していますが、
そうした説話を知った麻原が、「現代人の大部分は地獄に落ちる」等という
極端な表現を用いた説法を行っただけというのが現実です。


(3)麻原に帰依するしかないという「脅し」

その上で、

「麻原に帰依するしか、地獄から逃れる方法はない」

というのがオウム・アレフの盲信の態度なのですが、
誰か特定の生身の人間に帰依しなければ、救われない
などということがあるでしょうか。

仏教開祖の釈迦牟尼ですら、弟子が釈迦牟尼を崇拝することを戒めています。
(『サンユッタ・ニカーヤ』(相応部経典)より)

あくまで釈迦牟尼は、特定の人に帰依するのではなく、
めいめいの自己と法則を帰依処とするように説いたのです(「自灯明・法灯明」)。

そして、輪廻転生があると仮定しても、より良い世界に生まれ変わるためには、
仏法に基づく良い「行い」が必要であると釈迦牟尼は説いています。

繰り返しますが、仮に良い世界に生まれ変わろうとすれば、
それは特定の人物に帰依したり崇拝したりすることによってではなく、
各人の「行い」(具体的には他人を利する利他の実践)によって
実現される
というのが、釈迦牟尼の教え
なのです。

また、この世界には、仏教の指導者は数多くいます。

オウム・アレフにおいては、麻原こそが世界で唯一の真の仏教指導者
と強調していますが、その根拠はあくまで、

「麻原自身がそう言っていたから」

というものにすぎません。

オウム・アレフの信者は、自ら実際に、
全世界のすべての仏教指導者を調べ尽くしたわけではないのですから、
より謙虚な姿勢で、他の仏教指導者について調べ、
その声に耳を傾けてみてもよいのではないでしょうか。

「麻原に帰依するしかない」というオウム・アレフの主張が、
いかにナンセンスかが、よりわかるものと思います。


(4)麻原は、弟子によい転生をさせることができるのか


オウム・アレフでは、死後の中間状態において、
麻原こそが自分たちをよい転生に導いてくれる唯一の魂という
盲信
があります。 
 

しかし、麻原に本当にそんな力があるのでしょうか?
何をもって、麻原にそういう力があるといえるのでしょうか?


実際、麻原がそのような力をもっているということを、
すべての人が納得する証明は存在しません。

それはアレフ信者が、そう信じ込んでいる(あるいはそう思いたい)だけであり、
解釈しているだけで、現実とは違います。

もしも、麻原が、他人の死後をコントロールして、よい転生へ導くような
「絶対的神秘的力」というようなものを持っているなら、
なぜ、現実の麻原は、今現在のような惨めな状態にあるのでしょうか?


今の麻原の状態・現実から、普通に、当たり前に考えてみれば、
それほどの力があるとは思えないのではないでしょうか?

もし、麻原に、本当に絶対的神秘的力というようなものがあるのなら、
逮捕されることもなかっただろうし、
刑務所から出てくることもできるだろうし、
超常的力を多くの人に見せて、自分が神のような存在であることを示し、
信仰させることもできるのではないでしょうか?

しかし、そういったことはやってない(=できない)ということは、
そういう力がないと考えることが妥当ではないでしょうか。

普通に考えて、現実の世界で、自分のことすら自由にならない者が、
他人の死後を自由にコントロールしたりできると信じるというのは、
あまりに、飛躍した盲信といえます。

こうした盲信によって、
「輪廻への恐怖があるから麻原への帰依をやめられない」
というオウム・アレフ信者は数多くいますが、
麻原への帰依などなくても、その恐怖を克服することは十分可能です。

次の記事では、その盲信から脱却したひかりの輪のスタッフの
体験談をご紹介します。

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アレフ問題対策室

Author:アレフ問題対策室
▶アレフへの疑問、脱会しても大丈夫か、スムーズな脱会の方法等ご相談ください。ひかりの輪スタッフは脱会して13年、呪縛から解放され幸せです。
▶ご家族がアレフに入信して困っているご家族の方のご相談も、多数いただいております。
▶元・オウム・アレフ信者の経験から、150名以上の脱会を支援してきました。
▶アレフの内情も知り尽くしています。
▶アレフ勧誘の前段階・アレフを隠した偽装ヨガ情報を公開中。おかしいと思ったらこちらを
▶今なお続く、アレフの諸問題の告発と対策を行っています。
▶ひかりの輪STAFFの4人が運営しています。(主な担当者:山口・宗形・広末・細川)

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