「アレフ信者、松本死刑囚の妻子に指導仰ぐ文書」の記事(読売2012年1月24日)
(2012-02-03 23:49:39 の記事)
先日、1月24日の読売新聞朝刊に、
アレフ信者、松本死刑囚の妻子に指導仰ぐ文書
との記事が掲載されていました。
警視庁が昨年夏、「Aleph」(アレフ)
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アレフ信者、松本死刑囚の妻子に指導仰ぐ文書
読売新聞 1月24日朝刊
警視庁が昨年夏、オウム真理教主流派の団体「Aleph」(
パソコンに、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(56)の妻(53) や三女(28)に宛て、 教団運営について指導を仰ぐ内容の文書が複数残されていたことが 、捜査関係者への取材で分かった。
教団側が公安調査庁に提出した信者名簿に家族の名前は記載されて いないが、警視庁は、家族が松本死刑囚の影響力を背景に、 依然として教団運営に深く関与しているとみている。
捜査関係者によると、警視庁は昨年7月、 アレフ信者が公安調査庁の立ち入り検査を妨害したとされる事件で 、関係先として、東京都練馬区にある団体の施設を捜索した。 その際、押収したアレフの出家信者のパソコンなどから、 松本死刑囚の妻や三女宛ての文書が複数見つかった。
文書は、この出家信者らが作成したとみられる。例えば、 2009年には刑事事件で服役後に出所した信者の受け入れについ て、 翌10年には死刑が確定した元教団幹部と信者の養子縁組などにつ いて、それぞれ三女と妻に承諾を求める内容が書かれていた。 中には「(家族の教団への介入が明らかになると) 教団つぶしの展開になるかも知れないので、 絶対に避けなければならない」との記載もあった。
警視庁は、 一連の文書は妻や三女にメールなどで送られていたとみており、「 教団は現在も松本死刑囚の影響下にあり、 家族とも親密な関係を保っている」としている。教団は近年、 松本死刑囚を「尊師」と呼び、誕生日に生誕祭を開催するなど、「 原点回帰」を強めているとされる。
松本死刑囚の妻はかつて、松本死刑囚に次ぐ「正大師」 の地位にあり、「郵政省大臣」 として教団の出版物の編集やビデオ製作を担当していたが、 信者リンチ殺害事件で殺人罪に問われ、 2001年7月に懲役6年の実刑判決が確定。出所後は「 アレフにかかわるつもりはない」とのコメントを発表し、その際、 松本死刑囚との離婚の意思も表明したが、捜査関係者によると、 離婚は確認できていないという。
三女も以前は「アーチャリー」というホーリーネームで「正大師」 の地位にあった。妻や三女は現在、埼玉県内で暮らしている。
www.yomiuri.co.jp/national/教団側が公安調査庁に提出した信者名簿に家族の名前は記載されて
捜査関係者によると、警視庁は昨年7月、
文書は、この出家信者らが作成したとみられる。例えば、
警視庁は、
松本死刑囚の妻はかつて、松本死刑囚に次ぐ「正大師」
三女も以前は「アーチャリー」というホーリーネームで「正大師」
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◆麻原の家族のアレフ教団を裏配の事実・上祐史浩の証言
以下は、麻原の家族が、アレフ教団を裏から支配している事実についての上祐史浩の証言を、上祐史浩個人の総括文(オウムの教訓サイト)
■松本家の反対で、教団改革が停止される(2003年後半)
私は、こうした教団改革を進めようとしましたが、
それに反対する人たちがいました。
その結果として、最終的には、いわゆる代表派(上祐派)
とはいえ、当時の教団の状態は、かなり複雑であり、
全てを網羅的に説明することは難しいと思いますが、
一 言でいえば、麻原への信仰と、それに基づいた麻原の家族によって
私の進めようとした教団の改革は、
教団改革を止めようとする麻原の家族の中心は、
この辺の動きは、現在も、アーレフの代表である野田成人代表が、
麻原の家族が、私の知らないところで彼に連絡をし、
裏側の事情などにつ いて、詳しく語っていますが、彼の報告は、
それが、私が直接関わっている部分に限っては、
その結果、野田氏が報告しているとおり、松本家と、
正悟師と呼ばれる他の教団の最高幹部の意見の結果として、
私は、教団運営を離れて、
7月には、松本家の要求のために、私は、
という主旨の発言を、
そして、10月の末からは、私は、一切の教団運営から退き、
これは、私の本意では全くありませんでしたが、松本家が、
代表である私が、彼らに替わって、そうせざるを得 なかったという事情によるものです。
すなわち、改革が停止となっても、それからしばらくは、
今から振り返るならば、この時点で、私が、強い意思を持って、
教団運営から身を引かずに、自分に賛同する人たちと共に、
しかし、その当時の私は、
麻原の信仰と麻原に対する依存を続けており、麻原を絶対とし、
その教団での考え方から脱却できておらず、
実際の松本家の言動には、納得がいかなかったものの、
特に、私が妥協しなければ、教団の中に闘争が起こり、
これは、実際に、松本家の人たちが、
当時の私としては、大きな圧力になりました。
しかし、こうしていったんは、松本家や反上祐派に従っても、
その後、時間が経てば経つほど、彼らの信仰・
結局は、2004年末には、上祐派を形成して、2007年に、
その意味で、この2003年から、
私にとって、
■反代表派の中の大きな変化が始まる(2006年始め~夏まで)
さて、3月には、もう一つ別の大きな変化がありました。
それは、村岡達子氏や村松孝子氏といった反代表派の幹部が、
反代表派を離脱して中間派に転じるという事態でした。
これによって、反代表派は、中堅の幹部(師)においては、
最高幹部(正悟師)については、二宮氏1人だけとなりました。
逆に言えば、野田成人氏、杉浦実氏、杉浦茂氏、
その後は、教団の中で、
そして、転向した 村岡氏らは、反代表派から裏切り者扱いを受けることになり、
反上祐派が支配している主だった教団活動からは、実質上、
さて、村岡氏等が離脱した背景には、その後、表面化していく、
それは、麻原の四女(識華氏)と、三女(麗華氏)
当時17歳の識華氏は、
反上祐派の考えを持つ三女や母親の行動に反発して、
村岡氏らと個人的に接触したところ、村岡氏らも、
すなわち、教団の中で反上祐派が分裂を始めたわけですが、
その背景として、松本家の中でも分裂が始まったということです。
そして、私は、この反上祐派と中間派、そして、
私が脱会した後のアーレフにおいて、
■教団と松本家の関係について
なお、この頃、私は、会議において、
(松本知子氏の描いた宗教画に対する使用料の支払い)
現在の状況を考えると、社会の理解を得られず、
そこで、反代表派に対して、繰り返してその取りやめ、ないしは、
経済的な理由によって取りやめることが出来ない場合には、
松本家からのその事情の説明を受けるように求めましたが、
麻原とその家族に対する帰依を背景として、
しかし、7月には、警視庁が、
それに伴う報道において、
公に報道されて、批判される事態となりました。
その中で、
中間派の野田氏や村岡氏が、反代表派の執行部に再考を求めました
それも受け入れられることはなく、依然として、彼らは、
そうしている内に、8月になると、
麻原から正式に自立するために、
「家族は教団と関係ないと嘘をついて、教団を支配しており、
事態は悪化して続けています。
しかしながら、反代表派は、識華氏についても私と同様に、
このような状況が変わるには、
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