麻原三女『止まった時計』の虚偽④ 2005年・06年の「正悟師外し」への関与

 麻原三女・松本麗華氏著『止まった時計』における虚偽の内容について、前回の記事麻原三女『止まった時計』の虚偽③ 2003年の「上祐外し」に中心的関与の続きです。

④ 2005年06年の正悟師外しへの関与
  上祐以外の最高幹部を次々と教団運営から外す


 上祐を教団運営から外した後、三女や麻原の妻は、教団内に残る最高幹部(正悟師)会議と連絡を取る形で、教団に関与しました。
 しかし、正悟師とされる最高幹部たちが、必ずしも自分達の方針に従わないことを見て彼らも次々と教団活動から外し、「修行入り」を命じるようになりました。
 具体的には、野田成人、村岡達子、杉浦茂といった正悟師を排除しました。以下に、これらの幹部たちの実体験に基づく証言を紹介します。
 なお、受刑を終えた正悟師の越川や、いったん脱会した正悟師の杉浦実の教団への復帰についても、家族の意向で妨げられたのではないかというのが、事情をよく知る者や当局の見方となっています。


1 2005年、三女が、野田成人氏を教団活動から外す指示を出したこと

以下は
『革命か戦争か』野田成人氏 p88~
野田成人のブログ
「月刊現代1」http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-184.html
「月刊現代2」http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-186.html
 松本家の裏支配に悩んだ日々でしたが、04年7月6日に"解放"されました。私が薬事法違反で警視庁に逮捕されてしまったのです。(中略)

 そして、当時バリバリの原理主義者だった村岡正悟師に経理が引き継がれたのは、05年の11月のことでした。この一か月後に、私は様変わりした教団に戻ることになります。

  2005年12月26日、執行猶予の判決で教団に戻ってきた私を迎えたのは、村岡正悟師と別所幸弘氏(教団名・ラーマネッヤカ師)でした。別所は「人権救 済基金」という団体を事実上切り盛りする人物です。その弁護士とのからみで、松本家が抱えたトラブルを処理する弁護士も紹介していました。
 つまり、教団幹部の中で唯一、正面切って松本家とコンタクトできる立場になっていました。彼は、松本家の信頼を得ていたようで、上祐によれば原理派の大番頭とのこと。その彼に聞いていました。

 「ご家族は今後はどういう風に教団運営していくつもりなのですか」
 「いやご家族はもう教団運営には、まったく関与されていないですから」
 松本家の指示は、イエスマンだけで共有される機密事項です。予想通り、私は完全にカヤの外に置かれてしまいました。

 「そんなはずないでしょう。私の時だって、ずっと裏で松本知子が指示出していたんだから」
 「いや今はもう何も指示はないです」
 「私がどうしたらいいか、聞いてほしいんだけど」
 「捕まっていたわけですから、しばらく修行していたらいいんじゃないですか」

 教団内で「修行に入れ」というのは、運営の現場に関わらないでくれ、という意味の別表現です。

 「私が修行するかどうかは、あなたに指示されるべき話でもないから」
 「・・・」
 「でもあなたがアーチャリー正大師(三女)と会う機会があって、私のことについて聞く機会があるなら聞いてみてほしいんだけど」
 「わかりました。聞いてみます」

 当然のことですが、表向き松本家は、教団には関与していないとするしかありません。だた、最高幹部・正悟師の私を封じ込めるには、松本家の威光を借りるしかないのです。

 次に村岡正悟師に、私が正悟師としてできることはないかと聞いてみました。(中略)

 「将来的に教団が、経済的に立ちゆかなくなるのではとみんな心配しています。何でしたら経理を私が見させていただいてもいいですけど、どうでしょうか?」
 「いや、ここだけでの話では決められないから」
 「ここだけって、村岡正悟師が今経理の担当なんですよね?ご自身で経理のことは判断されているんじゃないですか?」
 「いや、いろいろな人と相談しているから」
 「いろんな人って誰ですか」
 「特に誰っていうことはないけど、いろいろな人」
 「・・・」
 「だったら師以上を全員集めて、会議やりましょうよ。以前やってたみたいに」
 「いや今はそういうのもやってないから。会議に集めるのも、ここだけの話では決められない」
 「じゃあ、誰と相談してそういうのを決めるんですか?」
 「個別に関係する人と相談する」
 「じゃあその関係者を今教えて下さい。私のほうから連絡取りますから」
 「いや、それはこちらで後で考えて決めますから」
 「・・・」

 要するに責任の所在を特定させないで、ものごとを決めさせない作戦のようでした。(中略)

 一日ほど経って別所から伝言がありました。三女に確認したという私の処遇は、やはり、「修行」という名の軟禁でした。まあこう言われてしまっては、最低一か月はおとなしくせざるを得ませんでした。
 ただ、派閥争いに辟易し、なんとか事態打開をはかって欲しいと私に期待するサマナも多数いたのです。上祐氏を除けば順列ではトップに来る立場上、何ら説明もなしに引きこもっているわけに私はいきませんでした。
 出所して3日後、烏山で説法をする機会がありました。

 「アーチャリー正大師に指示されたので、しょうがなくしばらく修行してます」
 ちょっとぼかした言い方でそう説明しました。

 話が終わって、サマナたちとなごんでいたところに、荒木が険しい顔をして割り入ってきました。
 「正悟師、ちょっと話があります。別のところでいいですか」

 場所を移すと、荒木が怒鳴るように、
 「今日のような松本家の話は、サマナの前でやる話ではないでしょう!社会融和上も松本家のことに触れることは問題があります!」

 教団内での彼の地位は私より二つ下です。舐められたものです。しかし、いったい何が彼をしてここまで言わせたのでしょうか?

「私の立場で、サマナになにも説明しないで、修行に引きこもっていられると思っているのか?」
「どう説明するかは正悟師の判断ですが、今日の話は問題があると思いました」

「君はご家族と連絡取ってるんじゃないのか?前のほうの席で必死にメモ取っていたのはなんなんだ。私の話を報告するためじゃないのか?報告しろって指示を受けているんじゃないのか?」

「いや指示はありませんよ」
「君が松本知子と 常に連絡を取っているっていうのは私の耳にも届いているんだよ。どうなんだ?それは。」
「・・・」
「グル・シヴァ大神に誓って、松本知子とは連絡取ってない、一切やりとりがないと言えるのか?どうなんだ?絶対にないとグル・シヴァ大神に誓って言えるのか?」
 怒気を込めながら、私が彼にこう迫ると、

「いや、たまに、連絡取ることぐらいありますよ。でもそんなに頻繁に取っているわけじゃないですから・・・」

 松本家との連絡は個人的に取っているが、組織的な指示はない。そういう逃げ口上のようにも受け取れました。突っ込めるのはここまでが限界かと、私はこの場をおさめたのでした。


2 2006年、三女らが、村岡達子氏を教団活動から外す指示を出したこと

以下は
『革命か戦争か』野田成人氏 p98~
野田成人のブログ
「月刊現代1」http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-184.html
「月刊現代2」http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-186.html
 上祐らの一派と原理派である教団本体の分裂は、私が出所した2005年末の時点でほぼ決定的でした。もちろん原理派とはいっても全員が麻原回帰の原理主義なわけではありません。
 しかし、松本家の威光は、代表であり正大師の上祐を引きずり下ろすほど、十分に強力なものでした。一般のサマナがあらがえようはずもありませんでした。

 しかし、その原理派の一角を突き崩す出来事が起きました。松本家四女の家出です。(中略)

 四女は、「ご家族」と神聖視されていた松本家の内幕を、一つふたつ明らかにすると、話を聞いた信者たちの中には、「松本家も聖人君子ではないんだ」と目を覚ます者もいたほどです。

 村岡正悟師もその一人で、松本家の陰支配に疑問を呈するようになります。その結果として松本家からも疎まれ、徐々に教団内で、窓際の立場に追いやられていきます。彼女がそのように教団から離脱することによって、教団のバランスは微妙に変わっていきました。(中略)

 四女の話に目を覚ました村岡正悟師は、もはや松本家からイエスマンとはみなされなくなりました。

 松本知子は、村岡正悟師に次のような言葉を残して、連絡を絶つようになったのです。

「あなたは私たちを大事にしなかった」

脱会した「村岡達子」元アーレフ会長の「さらば麻原一家」
 (週刊新潮 2011年8月11・18日号)より。

「6月6日付けで退会届を出しました。退会時の肩書きはありません。」(中略)

「3年ぐらい前から、私は信者でありながら全く教団に関わっていない状態でした。
 追い出されるような形で(中略)教団所有のアパートに住んでいたのです。
 教団から私は"おかしい人"と思われていたんです」(中略)

 ところが、06年、事態は意外な方向へ転がる。麻原の四女が茨城県龍ヶ崎市の家から飛び出してきて、教団施設で暮らすようになったのである。

「あ る日、突然連絡があって"三女が長男に暴力をふるっている"と彼女が言うのです。 それで相談に乗っているうちに彼女と通じるものがあると気がついたんで す。(中略)上祐さんとアーチャリーの泥沼の抗争を収めるためには、2人(※妻と三女)より霊性の高い四女に教団に入ってもらうしかない。私はそう思った のです」

(中略)ところが、四女の影響力が大きくなってきたことを一番警戒したのが、麻原の妻と三女だった。

「尊師の奥さんが電話をかけてきて、"彼女(四女)の言うこと信じるの!?"と詰め寄られたこともありました」

 その結果、麻原一族が選んだのは、四女を支持する村岡氏を放逐することだった。
 権限を剥奪された村岡氏は、説法会の仕事も回ってこなくなり、沖縄の道場やさいたま市の施設などに送られ、本部から遠ざけられる。3年前からは前述の吉川市のアパートで飼い殺し状態に。
 
3 読売が報じた、警視庁が掴んだ三女や妻の教団関与の証拠

 2010年の1月24日の読売新聞朝刊に、警視庁が2009年に、「Aleph」(アレフ)の関係先を家宅捜査した際に押収したパソコンに、アレフの信者が、麻原の妻子に、教団運営について指導を仰ぐ文章が見付かったことが以下の通り報道されています。

アレフ信者、松本死刑囚の妻子に指導仰ぐ文書
読売新聞 1月24日朝刊

 警視庁が昨年夏、オウム真理教主流派の団体「Aleph」(アレフ)の関係先から押収した
パソコンに、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(56)の妻(53)や三女(28)に宛て、教団運営について指導を仰ぐ内容の文書が複数残されていたことが、捜査関係者への取材で分かった。

 教団側が公安調査庁に提出した信者名簿に家族の名前は記載されていないが、警視庁は、家族が松本死刑囚の影響力を背景に、依然として教団運営に深く関与しているとみている。

 捜査関係者によると、警視庁は昨年7月、アレフ信者が公安調査庁の立ち入り検査を妨害したとされる事件で、関係先として、東京都練馬区にある団体の施設を捜索した。その際、押収したアレフの出家信者のパソコンなどから、松本死刑囚の妻や三女宛ての文書が複数見つかった。

  文書は、この出家信者らが作成したとみられる。例えば、2009年には刑事事件で服役後に出所した信者の受け入れについて、翌10年には死刑が確定した元 教団幹部と信者の養子縁組などについて、それぞれ三女と妻に承諾を求める内容が書かれていた。中には「(家族の教団への介入が明らかになると)教団つぶし の展開になるかも知れないので、絶対に避けなければならない」との記載もあった。

 警視庁は、一連の文書は妻や三女にメールなどで送られ ていたとみており、「教団は現在も松本死刑囚の影響下にあり、家族とも親密な関係を保っている」としている。教団は近年、松本死刑囚を「尊師」と呼び、誕 生日に生誕祭を開催するなど、「原点回帰」を強めているとされる。

 松本死刑囚の妻はかつて、松本死刑囚に次ぐ「正大師」の地位にあ り、 「郵政省大臣」として教団の出版物の編集やビデオ製作を担当していたが、信者リンチ殺害事件で殺人罪に問われ、2001年7月に懲役6年の実刑判決が確 定。出所後は「アレフにかかわるつもりはない」とのコメントを発表し、その際、松本死刑囚との離婚の意思も表明したが、捜査関係者によると、離婚は確認で きていないという。
 三女も以前は「アーチャリー」というホーリーネームで「正大師」の地位にあった。妻や三女は現在、埼玉県内で暮らしている。

www.yomiuri.co.jp/national/news/20120123-OYT1T01309.html

続きは以下です。

 >>⑤ 補足:2014年前後からの教団への関与

⑥ まとめ:三女が虚偽を述べる理由、疑い、問題、評価ほか

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