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麻原三女『止まった時計』の虚偽③ 2003年の「上祐外し」に中心的関与

 麻原三女・松本麗華氏著『止まった時計』における虚偽の内容について、前回の記事麻原三女『止まった時計』の虚偽② 2000年~裏から教団に関与の続きです。

③ 2003年の「上祐外し」に中心的関与
   
 2003年以降、三女ら家族は、社会融和路線を進める上祐に対して、それが「グル外し」(=グルである麻原の否定)であると批判し、上祐を、アレフの教団運営から外しました(いわゆる「上祐外し」)。

  この過程で、三女は、麻原の家族らの中で中心的・主導的な役割を果たしことは明らかで、家族らは教団施設の外で、野田成人・村岡達子などの教団内部の最高 幹部(いわゆる正悟師)や中堅幹部(師)と繰り返し面談するなどして、上祐を教団活動から外して、修行に籠らせました(いわゆる「上祐幽閉」)。

  上祐は、2003年後半から2004年末近くまで、1年半間ほどの幽閉の後、麻原の家族らの方針に疑問を感じ、上祐の教団活動への復帰を支持する信者が増 えたことや、上祐の心境の変化(脱麻原信仰の始まり)もあり、上祐と上祐を支持するグループが、麻原の家族らに反抗を開始して、教団分裂に至りました。

 なお、この教団分裂は、教団内の信者らから、「上祐派」と、「A派(アーチャリーのA)」と呼ばれていたことからも、三女が主導したことがわかります。

 この上祐の活動再開の際も、三女は、自ら上祐と電話で話し、それを食い止めようとしました。また、三女は、多数の信者らに対しても同様のことを行いました。なお、その数年後、2007年に、上祐らのグループは麻原信仰を払拭して、アレフを脱会・独立しました。

 一方、家族に誘導されたアレフ教団は、麻原への帰依を再び強めていきました(いわゆる「麻原回帰」「アレフの先鋭化」。

 この教団の方針転換は、明らかに、三女ら家族の関与の結果です。
 その結果、家族が直接指示したという証拠はありませんが、教団は、オウム事件に対する麻原・教団の関与を認めない陰謀説を流布して、事件を知らない若い信者を入信させたり、さらに被害者団体との賠償契約の締結を拒否したりした事実があります。

1 三女を中心とした「麻原家族の上祐外し」を示す多数の証言

 では、以下に、麻原の家族によるアレフ教団への関与・裏支配の実態について、アレフを脱会した元幹部信者の証言をご紹介します。

(1)証言① アレフを脱会した元幹部(野田成人氏)

 「三女に、カラオケボックスに呼び出された」

   野田成人氏は、アレフの最高幹部(正悟師)の一人で、上祐代表がアレフを脱会した後に、代表に就任した、アレフ元代表です。オウム・アレフ幹部時代に、直 接的に麻原家族と連絡を取りながら教団運営にあたったことから、三女を中心人物(の一人とした)麻原の家族の裏支配の実体験し、よく知る人物です。

『革命か戦争か』
p69~ 「三女の登場」
野田成人のブログ
「月刊現代1」http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-184.html
「月刊現代2」http://alephnoda.blog85.fc2.com/blog-entry-186.html

○三女の登場

  2003年の6月上旬、私は突然松本家の三女に呼び出されました。多少の不安を抱えながら待ち合わせ場所のカラオケボックスに出向くと、一般の女子大生ふ うの身なりをした三女が現れました。しかし発言する内容といえば女子大生のそれではなく、以前と変わらぬ命令口調でした。
「マイトレーヤ正大師(上祐の宗教名)のやっていることがおかしいの。彼の言うことを聞かないで、陰で私に協力して」
 要するに彼女の主張は、上祐の教団運営を批判するものでした。教祖である父をないがしろにしていて、上祐自身が教祖になろうとしている、という内容です。嫌な予感が的中してためらう私に、彼女はこう言い放ちます。

三女「あんた重いわねぇー。男性の正悟師はやっぱりカルマ(業)が重いのかしら。村岡達子正悟師なんてすぐハッと気が付いたわよ。目が覚めましたって・・・」
  教団内の上下関係は、すべて麻原が決めていましたから麻原の子どもは、すべての出家者の上のステージに置かれていました。その下に上祐らの正大師、さらに 下には私を含めた正悟師と続きます。こうなったらどんなにがんばっても血筋には勝てないというわけです。上には唯々諾々と従う。それが帰依であり、教団内 で求められる秩序関係なのです。

 「でも具体的にどうすればいいんでしょうか?」
 「私が陰から教団に指示をするから、あなたはそれに従って。他の正悟師や師も従うって言っているから大丈夫。マイトレーヤ正大師の言うことは聞かないで。でも指示は私が出しているっていうのは、マイトレーヤ正大師にも秘密よ」
 「はぁ・・・?」
 「いい?従える?」

  この話には正直うんざりしてしまいました。なぜなら、それまでの教団運営で三女ら麻原の娘の意向を優先させたが為に、99年の北御牧村のような騒動を招く ことになったからです。彼女たちが引っ込んで上祐体制になり、やっとまともな運営体制になったと安堵していたところにこの話です。ただこの時点では、まだ 私も麻原の娘に正面切って堂々と断れない情けない状態でした。

 「本当にアーチャリー正大師が責任持ってくれるんでしょうか?」
 出した指示に対して内部と外部両方に対してきちんと責任を持てなければ、権限をふるう資格はありません。教祖のわがまなな娘にそれを期待することは無理だろうなと思いつつも、こう言質を取るくらいしかその時のわたしにはできませんでした。
 
「うん、私が責任持つから」
「わかりました・・・」

 この一週間後、三女に再び呼び出しを受けて出向くと、今度は二女と麻原の妻・松本知子も同席していました。(中略)公判では、「麻原と離婚することも考えている」と発言した松本知子でしたが、そんな発言はどこ吹く風で麻原を担ぎ上げます。

 「尊師の教えをきちんと守るなら上祐体制に全面協力するって言ってあげたのよ。それなの裏切った。尊師を外して自分が教祖になろうとしている。許せない!」

  すでにこの時点で、教団の正悟師であった村岡達子、杉浦茂、実兄弟、二ノ宮耕一の4人は懐柔され、反上祐派として固まっていました。どうやら私が一番上祐 寄りと危惧されていたようで、説得懐柔されたのは私が一番最後でした。逆に一番過激だったのは、武闘派として知られる二ノ宮でした。

 「上祐のやっていることは絶対おかしいですよ!」
 三女の問いかけに対して、二ノ宮は語気を強めてこう語っていたようです。(中略)二ノ宮はすでに、主要都市部にある道場長クラスを三女に合わせて、根回しを広げていたのです。(中略)
 
 私を含めた正悟師5人と麻原一家は、何度か会合を重ねますが、内容はほとんど上祐批判です。
「彼(上祐氏)はね、尊師の説法囚を骨抜きになるよう編集しているの。「尊師は最終解脱者である」という記述から『最終』を取って『解脱者』にしようとしたのよ!」
 松本知子の発言に、三女と二女も揃って声を上げます。
「とんでもないことだよねぇ!」

○上祐軟禁決定

 しかし、麻原一家が裏から指示を出すなどという「秘密ごっこ」が、上祐にばれないわけがありません。松本家3人と正悟師5人が会した2003年6月26日の「秘密会議」でのことでした。正悟師5人全員の外出を不審に思った上祐が、次々に電話してきたのです。
 三女は会議の存在そのものを気付かれないようにと、正悟師たちには、「シラを切って」と言いますが、私は思わず反論しました。
 「こんなことやっていても絶対バレます。教団運営の責任を取るなら、いま電話して、ちゃとマイトレーヤ正大師(上祐の宗教名)と話してください。お願いします。」
 懇願する私の声が、場の雰囲気をぶち壊したようになりました。松本家に逆らうのはなかなか大変です。他の正悟師は声を上げませんでしたが、無言で私を後押ししているようにも受け取れました。

 それを感じたのか、三女は渋々席を立ち、一時間ほど上祐と電話で話をしたあとに、私たちにこう告げました。

「これからマイトレーヤ正大師とここにいる全員で話をすることになったから。彼には修行に入ってもらうことにする。みんなでそう言ってね」

 教団内では、組織の指示に従わなくなった人間には、修行に入れて籠もらせるという慣習がありました。(中略)外部との接触もできませんから、当然教団運営に関わることもできません。要するにここでいう「修行入り」とは、組織内での左遷のようなものです。
 
(中略)会議が始まったのは日付が変わった27日。奇しくも松本サリン事件から9年目の日でした。(中略)

 こんなバカバカしい話で2時間くらいすったもんだした末に、最後には三女がこう言い放ちました。
「上の人の言うことを聞くのが帰依でしょ。皇子'(麻原の子ども)はどのサマナよりもステージが上だよね。私のほうが上だよね」
 結局、この後上祐は修行に入ることになりました。こうして松本家による裏支配の始まりです。(中略)

 「もうこんな陰でこそこそやっている体制なんかできないよ!やってられないよ!!」
 二ノ宮がブチ切れたのは、上祐の修行入りから一か月ほど経った頃でした。松本家御前会議の直前に、私を含めた正悟師にぶちまけたのです。
「えーでも上祐体制だったらダメだからって、協力したんじゃなかったの?」と私。
「アーチャリー正大師が責任を持つって言うから協力したんだ。陰に隠れて全然責任取らないじゃん!!もういい加減にしろよ、って言いたいよ!!」
(中略)
 しかし、いざ三女を目の前にした会議が始まると、二ノ宮は借りてきたネコのように黙ったままなのです。(中略)
「やはりご家族の指示というのが秘密で出せないところで、正悟師としてもサマナを納得させられない問題があります。あるいは結局誰が責任を取るのかということになってきます」
 すると三女は、語気を強めて反論しました。
「そんなこと言ったって今の私たちの状況じゃ表に出られないよね!仕方ないよね!!」
 (中略)二ノ宮はうつむいて押し黙ったままです。三女に威圧されたまま、問題が解決されないまま、会議は終わりました。
(中略)やりきれない気持ちを私に吐露してきたのです。
「もう修行も何もかもわからなくなてきたよ」
心配した私は、三女に電話してこの状況を伝えました。三女は二ノ宮を直接励ますと言って電話を切りました。三女の励ましが功を奏したのか、しばらく二ノ宮が切れることはありませんでしたが、それもしばらくの間でした。
(中略)

○陰湿な嫌がらせ

 松本家の陰支配と上祐の軟禁は、2004年の年が明けても続きました。
 団体の運営は正悟師会議で決定。その議長と書記を務めたのは私であり、当然松本家とのやりとりも頻繁に行っていました。(中略)
 ステージの序列でいうと、上祐の次が私でしたので、そういう意味でも責任を感じていました。そのため自分の意に反して松本家と教団を取り持っていたのです。(中略)
 松本家からの指示は、往々にして現場レベルで到底納得できないような理想論に偏ったものでした。(中略)

 しかしこの裏支配体制では、正悟師には帳尻あわせの権限がほとんどありません。まともに現場の声を聞けば聞くほど、私の葛藤は大きくなっていきました。私はその葛藤・矛盾を解消すべく、浦志は痛い性から生じる現実問題を、松本知子や三女に機会あるごとにぶつけたのです。
  しかし、松本家は、宗教の理想論を掲げて、現実の問題に耳を傾けません。私が逆らうと、今度は現場レベルに直接指示を出すのです。松本知子に言い含められ たサマナは私の足を引っ張りました。松本家の威光は強力で、しかもしれが、こちらではわからないようなレベルでやられるのです。まるで陰湿ないじめに近い ものでした。つまり、現場とは別世界の創業者一族が会社を混乱させるのと状況は似ています。

○無間地獄宣言

 実務的な話に介入するのはほとんど知子さんでしたが、たまに三女も口出ししてきました。
「あんた一体何やってんのよ!」
「は?」
「あなた権力にとらわれているのよ。いい加減にしなさいよ」
「な、何のことでしょうか?」
 いきなり電話をかけてきて、理由も言わず怒鳴ることもしばしばでした。(中略)
 しかし私などはまだマシで、三女から「あなた、そんなんじゃ無間地獄行きだね」と宣告されたサマナもいたようです。教団で言う無間地獄とは地獄の中でも最悪の地獄。奈落の底に突き落とされる恐怖なのです。

 そんな三女ですが、世間にみせる表の顔は全く違います。彼女は2004年4月に和光大学から入学拒否された際、こう訴えました。
「カルト教団教祖の娘というだけで入学拒否するのは人権侵害。もう教団とは関係ない」
 人権侵害を訴えるなら、信者に「無間地獄宣言」などやめてほしいものです。
  三女がマスコミや集会で「精神を病んだ父に適切な治療を」と訴えたこともありました。麻原元代表が獄中で精神を病んだ状態なのは事実でしたし、世間にとっ て極悪人でも三女にとっては唯一の父です。何とか救いたい気持ちはわかりますが、ならばやはり「無間地獄宣告」などしてほしくありません。しかし、こんな 私は、すでに「無間地獄」を宣告されていることでしょう。

(2)証言② アレフを脱会した元幹部(村岡達子氏・元アレフ会長)

 脱会した「村岡達子」元アーレフ会長の「さらば麻原一家」
 (週刊新潮 2011年8月11・18日号)より。

 村岡達子氏(61)も、最高幹部(正悟師)の一人であり、アレフの会長職を勤めていた人物で、オウム・アレフ幹部時代に、直接的に麻原家族と連絡を取りながら教団運営にあたったことから、麻原の家族の裏支配の実体験し、よく知る人物です。
 この記事の一部にある通り、上祐らが家族と対立した際は、一時的には家族側に立ち、上祐側と対立していました(のちに対立は解消)。そのため、三女を中心人物(の一人とした)麻原家族のアレフ教団裏支配を実体験しており、よく知る人物です。

 そして03年、「麻原の影響を排除する」と宣言するのだが、これに麻原の妻や三女(アーチャリー)が猛反発したのだ。そのため、教団はアーチャリー派と、上祐派に分裂し、お互いに激しく対立するようになる。

「上祐さんが、"尊師のことを全面に出さないように"と、在家・出家の両方の信者を集めて呼びかける一方、三女は"上祐のことを放置しすぎた"と後悔していました。麻原一族は上祐さんに危機感を募らせ、実力で抑えにかかったのです」

 その結果、上祐氏は、修行と言う名目で世田谷区のマンションに閉じ込められ、見張り番までつけられてしまう。
 元団体幹部によれば、その頃、上祐氏が教団代表になったことでピンチヒッターの村岡氏は、「会長」という名の閑職に追いやられていた。もともと麻原の妻に信頼されていただけに、村岡氏は「反上祐」の姿勢をいっそう強めていったという。
 ところが04年、上祐氏は監禁されていたマンションを脱出、自分を慕う信者を集めると各地の道場を支配下に置き始める。アーチャリー派との溝はもはや修復しがたいところまで深くなっていた。

「そこからはもう、陣取り合戦みたいになって。尊師の奥さんは、"上祐は教団を乗っ取ろうとしている"と親しい信者たちにメールを送り付けていました。実際、 仙台や船橋といった道場が上祐派に押さえられましたが、アーチャリー派も強かった。何しろ経理やメディアを握っていましたから」

 この頃から上祐氏は、新しい教団を立ち上げるために勝手に信者を集めるようになり、いっぽうアーチャリー派に信頼されていた村岡氏は会計責任者を任されるようになる。

(3)証言③ 上祐史浩 

   上祐史浩の証言を、上祐史浩個人の総括文(オウムの教訓サイト)より掲載します。
○松本家の反対で、教団改革が停止される(2003年後半)

 私は改革を進めようとしたが、一言でいえば、信者の麻原信仰と、それを維持しようとする麻原の家族によって、2003年の4月頃からブレーキが掛かり始めた。

  教団改革を止めた麻原の家族の中心は、麻原の妻・三女・次女であるが、この辺の動きは、当時正悟師という最高幹部の地位にあった野田成人が、月刊誌(『現 代』2008年01月01日号)で告白している。

それによると、麻原の家族が、私に秘して、彼ら正悟師に連絡をし、私を教団運営から外すための協力を求め られたという。

  その結果、麻原家族と、その要求を受け入れた正悟師達の意見の結果として、2003年の6月頃から、私は、教団運 営を離れて、いわゆる籠もった形の修行に入らざるを得ない状況となった(いわゆる世間で上祐の幽閉と呼ばれる)。そして、10月の末からは、一切の教団運 営から退き、信者の前から姿を消す形になった。

 今思えば、仮に、この時点で、私が、強い意思を持って、自分の考えを貫いて、教団 運営から身を引かずに、自分に賛同する人たちと共に、自分の道を歩んだならば、後に麻原信仰を脱却していく者達は、より多かったと思う。しかし、その当時 の私は、徐々に変化を始めていたとはいえ、依然として、麻原への依存が残っており、そのために、麻原の家族に従う考え方からも脱却できていなかった。

 特に、私が妥協しなければ、教団の中に闘争が起こり、教団分裂に至ることは必然であり、オウムの教義では、教団分裂は無間地獄に落ちる悪業とされていた。また、麻原の家族は、父親譲りの表現で、「戦争だ」「戦う」という言葉で、明確に警告していた。(中略)

 そして、家族とそれに従う信者達は、2003年の6月以降、具体的な教団運営において、私に賛同する者や、明確に反対しない者について、「魔境である」、 「悪魔に取り憑かれている」と批判し、教団活動から排斥した。

また、信者に対しては、私達と接触しないように圧力をかけ、接触すれば批判し、活動から排斥 することもあった。

(4)証言④ 宗形真紀子
  (現ひかりの輪専従スタッフ、2007年3月までアレフ出家者)
 書籍『二十歳からの20年間―――オウムの青春の魔境を超えて』から抜粋と加筆。
○三女から、教団活動を排除され、隔離される

 それから一ヶ月ほど経った2003年の6月に、さらに、予想外の出来事が起こりました。
 ある日突然、わたしに、麻原家の三女から、携帯電話に電話があり、上祐と一緒に、教団活動から外れ、修行に入るよう命じられました。
 上祐は実質、麻原家(三女ら)により監視役をつけられ自室マンションに閉じこもる、謹慎のような処遇となりました。

 三女は、携帯電話で、わたしに対し、一方的で、強い口調で怒鳴り続け、以下の内容の話がありました。
 ・上祐は、悪魔が取り憑いている
 ・プライド魔境、権力魔境、性欲魔境である
 ・上祐は、グルに成り代わろうとする野望を持って自らのグル化をすすめ、教団改革と称して、グルの絶対性を否定したり、グルが禁じた「外道」の神社仏閣に行ったり、グルと違う「外道」の教えを説いたりして、グルの意思を外している
 ・当然、それを精力的に手伝っていた宗形も、同じように、グルの意思を外し、悪魔が取り憑いた魔境に陥っている
 ・上祐が魔境に入ったのは、宗形のせいだ。
 ・正悟師はその意見に合意し、全員従っている。
 ・だから、教団活動を外れて修行に入ってもらう

 わたしは、 最初は、その突然の、話し合いの余地のない理不尽なやり方に、まったく納得がいかず苦しみました。
  上祐が教団に戻ってくる前は、「崩壊寸前の教団を立て直す ことができるのは上祐しかいない」とすがりつくように頼り、その後、上祐のおかげで、崩壊寸前の教団をなんとか立て直すことができたにもかかわらず、その 恩を仇で返すような行動に出たように感じられて、わたしはとてもショックを受けました。
 三女に対し、上記のようなことを述べて、激しく反発しましたが、三女は、以下のようにわたしに言いました。

「宗形も、上祐も、尊師の意思を外している「魔境」に入って、
 尊師への帰依が足りなくなっているから、今は修行に入って、尊師を観想し、
 尊師にすがって救ってもらうしかない」

 その後、すぐに、三女の指示で、わたしが、上祐と連絡を取り合うことのないよう、持っていた携帯電話やお金やパソコンなどを没収され、何も行動が起こせないようにした状態で、上祐が幽閉されることになったる東京・世田谷から、長野県の郊外にある施設へと隔離されました。

 長野に移った後も、三女との電話では、わたしが「麻原への帰依」を取り戻すように、麻原に帰依するための「帰依マントラ」を唱えるよう指示があったり、麻原を観想するよう指示があったりしました。

 上祐が幽閉中には、三女からの指示を受けた同居する世話役の信者らにより、上祐の日常の動向や、外部との交信を監視され、携帯電話の通話記録までチェックされていました。

○荒木浩が三女と麻原の妻の指示を受けて行動

  わたしが教団活動から排除されてしばらくすると、教団の中では、上祐への反発が、いっそう激化していきました。上祐やわたしなどのいないところで「上祐や わたしなどが、いかに麻原の意思を外した魔境であるか」と糾弾する「お話し会」という活動などが活発化していきました。 
 その中心人物は、信じられないことに、少し前まで一緒に上祐の下で秘書をしていた荒木でした。「どうして荒木君が?」と耳を疑いましたが、以下の荒木のお話会に参加した後、荒木氏に、直接、三女と麻原妻の指示により、行動を起こしていることを確認しました。

 この時の状況について、公安審査委員会に提出した書面がありますので引用します。

A派(反上祐派)荒木浩のお話会の詳細内容(2004年1月17日) 
               宗形真紀子

 2004年1月17日に、アーレフ教団八潮施設(通称光音天)にて行われた、荒木浩(以下荒木)のお話会について、以下のとおり私が見たままの詳細を陳述します。
  当時のアーレフ内で、勉強会や説法が行えるのは、オウム真理教の位階制度で、「成就者」とされた、正大師、正悟師、師というステージの者に限られており、 これに当てはまらない荒木が、出家信者に対して勉強会を行うことは、これまでの教団内で極めて異例のことでしたが、荒木は、2003年6月に、上祐が麻原 家三女・松本麗華の指示により、修行という名目で教団活動から外れてから、「お話会」という名の「上祐批判」を、単独で2004年1月17日までに少なく とも20回以上行っています。この事実は、さまざまな場所で、上祐派を除く多くの出家信者が参加しているため、周知の事実となっています。

 この異例な指導が容認された背景には、その背後に、麻原家という後ろ盾があることを、正悟師、師の上層部が知っており、異例な行いを容認していたためです。
  なお、当時まで上祐の秘書をしていた私は、2004年1月17日当日、当時八潮施設の責任者であった野田成人に対し、正悟師である当人が、異例の荒木のお 話会を、八潮施設の集中修行に入っている信者の修行を中断させてまで容認・推奨したことについて、麻原家の指示だから推奨している旨を確認しています。

 2004年1月17日のお話会の内容を、当日とったノートのメモをもとに説明します。
 この日、八潮施設一階の通称「男性師部屋」にて、約30人くらいの人数が、2階で行われている修行を中断して、お話会に参加しました。修行を中断してまで行うことは、通常はありません。
  荒木は、上祐が、改革という名の下に、いかに麻原を外し、否定し、麻原の意思でない外道の活動を行うという悪業を積んだことにより、上祐の周りの信者とも ども魔境に墜ち、教団に災いをもたらしたかについて説明する年表を参加者に配布し、その内容が麻原家の三女・麗華も同じように言っていることをほのめかし ながらそれをもとに解説を行いました。
 その内容は、以下のとおりです。

1 上祐が2002年1月に代表に就任すると同時に、プライド・権力欲の虜となり、麻原になり替わろうとする「グル化」を押し進め、2002年には以下の麻原の意思に反することを行った。

・ 上祐が、アーレフの規約を取り決めた際、麻原を相対化する要素の入ったその取り決めに従わず、「どんな指示でも、犯罪行為の指示でも麻原の指示に絶対的に 従う」と明言し、いくら説得を重ねてもその態度を変えなかった幹部信者Nを教団から除名処分に付したことは、麻原への帰依のあるNを排除した、麻原の意思 から外れた冷たい人間である。

・上祐は、『ファイナルスピーチ』の改ざんの際、重要な「麻原が最終解脱者であり、未来においてマイトレーヤ真理勝者として降誕する」旨の内容を削除したことは、麻原の絶対性を否定するとんでもない悪業だ。今その編集をやり直し始めている。

・上祐は、本来、グルである麻原からしかイニシエーション(エネルギー移入)を受けられない出家信者に対して、その立場を超えて、エネルギー移入を行ったことは、麻原と出家信者に対する不遜な行為である。

・上祐は、オウム真理教時代、麻原が許可していなかった気学、姓名判断、インド占星学などの占いを使ったことは麻原の意思から外れている。

・上祐がインドの聖者ヴィヴェーカーナンダが自分と似ている話などをして、自己を神格化しようとしたことは、麻原に対する不遜な行為である。

・上祐の書籍や機関誌やイニシエーションのポスターにおいて、強烈なインパクトのある大きな上祐の写真を目立たせたのは、麻原を外し、自らが「グル化」の証である。

・麻原が推奨していない、日本のさまざまな神社仏閣や自然に旅したことは、外道の実践であり、麻原の意思から外れている。

・ 上祐は、10月に大黒柱の天啓という魔境のヴィジョンを見、虹を目撃するなどの経験により、プライドや権力欲が増大し、麻原に成り代わってグル化する方向 にはまっていった。その直後に信者全員に、麻原しか受けることのできない「懺悔」を自分が受けるなどの行動を行ったことは、グル化した証拠である。


2 荒木は、2003年1月~4月にかけて行われた上祐の教団改革について、上祐が服役中から秘かに企んでいた「麻原外し・麻原否定」を正当化するためのものだと、以下のような趣旨の内容で激しく批判を行った。
(中略)

 このように上祐が行ったことは、「グル隠し」が、「グル外し」になり、結果的に「グル否定」になったという声を、麻原家がかなり言っている。
 上祐の行った行為は、麻原を外し、教団の安定を求めるという自己保全の悪業であり、麻原への帰依ではなかった。自分自身も上祐の下で社会融和の名のもと、悪業を積んだことを情けなく思っている。


3 荒木は、2003年に、教団に起こった悪い現象について、上祐が以下の麻原の意思から外れた悪業を積み、その報いが今、教団に悪業の返りとして返ってきて、教団にさまざまな災いがおきていると以下のように強烈な批判を行った。
(中略)

・これからの教団の方針は、正悟師以上のステージの高い方(これは正大師か、麻原家という意味になるので、上祐でない以上は、麻原家のことを示している)といっしょに決めたい。

 内容は以上です。

 荒木は、その後も、麻原家三女松本麗華や、麻原の妻・松本知子らの指示により、上記のような批判を全国を回って行い続けており、その事実は、アーレフ教団のほとんどの人が参加しているため、周知の事実となっています。

(5)証言⑤ 細川美香

  (現ひかりの輪副代表、2007年3月までアレフ出家者)
○三女からの電話

  2003年に入ると、今までのアーレフのやり方では、よくないのではないかということにより、改革がスタートしてきました。これは麻原色をなくしていく、 というものでした。この改革は、初めこそ、勢いに乗っていましたが、改革への反発が生じはじめ、徐々に動きが鈍くなっていき、ついには、頓挫することにな りました。
 そして、私にとっては、その頓挫は、突然に起こったのです。2003年の6月の下旬のことです。

 その日は、烏山本部に道場のリーダー格の人が集まり、上祐代表とミーティングを行っていました。ミーティングが終わり、その帰り道に仲間の一人と喫茶店に入り、法則の話など、いろんな話をしていたところ、携帯電話が鳴りました。
 その電話に出てみると、聞き慣れない声で、

「お 姉さん、誰だかわかる?」と言われました。初めはわからなかったので、「誰でしょう、よくわかりません。」と答えました。そして、沈黙何十秒後に、「もし かして、アーチャリー正大師ですか?」といったところ、「忘れてしまうなんて、お姉さんひどいね」と言われたので、「そんなの無理ないですよ、7年以上話 をしていないわけですから」と言いました。

○三女の「尊師との縁を傷つけたから、このままだと地獄に落ちる」という脅し

 アーチャリー正大師とは、麻原の三女で、松本麗華さんのことです。彼女はなにか周りをひどく警戒しているようで、周りに誰かいないかを確認してから、話を始めました。その内容は、まずは、私の個人的な話から始まり、そのことについて、

「お姉さんは、尊師(麻原)との縁を傷つけた。
 このままだと地獄に堕ちるから、このマントラを唱えたほうが良い」

と言われました。それは、脅しと同じような感じでした。

○三女から、直接会って話がしたいと呼ばれる

 その後、三女は、
「シャクティーパットの影響で、上祐代表の調子が悪い、おかしい」
「上祐代表を修行に入れたい」
「そのために協力して欲しいことがある」
ということでした。

「できれば、直接会って話をしたい」

ということでしたので、指定された場所に向かいました。(中略)
 駅に着いて、アーチャリー正大師を待っている間、生きた心地がしませんでした。なぜなら、この6月には、私のとって大きな変化出来事がありましたが、それについても悩んでいる時期でもあり、アーチャリー正大師の話次第では、どうなるかわからない、と思ったからなのです。
 「ああ、私はなんてカルマが悪いんだろう」と、半分、泣きそうになる気持ちを抑え、緊張しながら、彼女が来るのを待っていました。

○三女と二人で駅で会う

  そして、約7年ぶりにアーチャリー正大師と再会しました。彼女は背が伸びており、女性らしくなっていました。駅の改札を出て、あまり人目につかないところ で、立ち話で2時間くらいだったでしょうか、話を聞きました。その内容は、ひたすら上祐代表の悪口(と思えた)でした。彼女の話は、私が腑に落ちない点が いくつかあったのですが、ここで逆らっても仕方がない、と思い、ひたすら話を聞いていました。
 幾分、話をしているうちに、私の緊張も取れていき、十分、話を伝えきれたと思った彼女は、
「お姉さん、だいぶ理解したみたいだね。」と言い、
「次は、もっとびっくりさせてあげる」と言われ、私を次の場所に連れて行きました。

○カラオケボックスで、麻原妻と二女、村岡、二ノ宮が待っていた

 再び電車に乗り、とある駅で降り、そこからしばらく歩いて着いた場所は、カラオケボックスでした。そのまま促され、部屋に入ると、そこには、なんと、次女であるカーリー、
麻原の奥さんである、知子さん(現松本明香里)がいたのです。そして、二宮さん、その時、一緒にいた仲間も、すでにその部屋にいました。
 私たちは久し振りの再会に、多少の世間話や、昔話をしました。その後、現状の話を少しされました。 そして、まだ、「今から人がここに来るから、呼ぶまで、違う部屋で待機しているように」と言われました。
  違う部屋に行き、もう一人の仲間と待っていたら、村岡さんが来ました。彼女はこの成り行きを知っているようで、余裕な感じを受けました。呼ばれるまで、カ ラオケを歌ったり、話しをしていました。しばらくすると、先ほどの部屋に呼ばれましたので、行ってみると、そこには数名の道場活動の師の人達がいました。

○三女からの指示

 そして、三女が、上祐代表の問題点をいくつか話をし、最後に、

「今日、ここで話をしたことは、決して誰にも言わないように。
 この場所に集まった人達同士でも話をしないように。
 上祐代表にも、もちろん言わないように」
と、きつく言われたのです。
 
○三女から、長男・次男にお布施するよう言われる

さらに、

「せっかくだから、長男、次男に対して、
 お布施ができる良い機会だから、みんなお布施したらどう」

と言われました。
 私はそれについては、抵抗があったものの、他のみんなが素直にお布施するのを見て、「ここでしないのも、今後、活動がしづらくなるから、形だけでもしておこう」と思い、お布施をしました。(中略)

○三女から、チェックが入る

(中略)そして、次の日の朝、ミーティングで上祐代表に会いましたが、昨日の事がバレたら困ると思い、まともに、顔を見ることができませんでした。
(中略)烏山に着き、上祐代表に会い、私は自分の体験したこと、そこから出た疑念について、質問しました。そして、しばらく話しをした後、違う部屋で待機しているように言われ、待っていました。
 そこで待っているとき、三女から何度も携帯に電話が入りましたが、一度も出ませんでした。そして、その日のお昼過ぎ、二宮氏が電話を私に持ってきて、出るように言われたので、出てみたところ、三女からでした。
 三女は、私に、「なぜ電話にでなかったか」を聞き、次に、三女に会った人たちがその直後に事故を起こした件について、「上祐代表にその話をしたのは私なのか」と聞かれたので、「そうです」と答えました。


(6)証言⑥ 広末晃敏
  (現ひかりの輪副代表、2007年3月までアレフ出家者)

 2004年、三女から私の携帯電話に電話がかかってきました。
 少なくとも3度にわたり、合計5~6時間ほどの会話となりました。
 その頃の私は、オウム事件を直視しようという上祐に対する批判はおかしいと思って、上祐を擁護する意見を教団内の電子会議室に書き込んだり、隔離されていた上祐とひそかに連絡をとりあったりしていました。その動きを察知した三女からの電話でした。

 最初は「お兄さん、私が誰だかわかる?」と問いかけてきました。私は話しぶりからすぐに三女だとわかりました。そして、おおむね以下のような趣旨の話を三女は続けました。
 
 ◎あなたは自分が何をしているのかわかっているのか?
 ◎上祐は教団を乗っ取ろうとしているのだ。
 ◎上祐はシャクティーパットの影響でおかしくなった。
 ◎上祐には修行をしてもらい、麻原尊師への帰依を取りもどしてもらわなければならない。
 ◎だから、上祐に接触してはならない。
 ◎あなたはエネルギーが強くて周囲の人を巻き込む可能性があるから、そういう動きをしていることが心配だ。
 ◎上祐に会わないという約束をしてほしい。
 ◎私から電話があったということは絶対に内緒にすること。

 以上の話に対して、納得できない私がいろいろ反論や質問を重ねたからかもしれませんが、三女はその後も繰り返し私に電話をかけてきて、その回数は前記の通り、少なくとも3回にわたりました。

(7)証言⑦ 水野愛子
  (現ひかりの輪副代表、2007年3月までアレフ出家者)
○麻原妻と三女の影響力

 しかし、麻原の家族を中心として、麻原への信仰が強い者たちが、麻原を外していく上祐氏の改革に強く反対するようになり、6月下旬(2003年)、上祐氏は突然、長期修行入りという形を取った事実上の幽閉、失脚となってしまいました。
  それほどまでに、家族、特に妻(松本明香里)と三女(松本麗華)らの権力は強かったのです。
  私は、突然、二宮氏に呼び出され「マイトレーヤ正大師が大魔境です」と告げられ、一瞬言葉 を失うほど驚きました。それまで、「上祐教でいいんだ」といっていたほどの改革派で、上祐氏のパートナーとして、麻原色をなくした導きを推奨してきた二宮 氏の発言とはとうてい思えませんでした。

○三女からの電話

 その頃、他の師たちは三女に呼び出されて、知子夫人や複数の正悟師たちから、上祐氏が魔境である旨をこんこんと諭されたということでしたが、私は三女から一度だけ電話があり、
「グルとの縁を相当に傷つけている。懺悔した方がよい」
と言われました。
 上祐氏はその後10月頃までは月に一度の支部説法会には出てきていましたが、そのほかは一切の連絡を絶たれ、パソコンも携帯電話も取り上げられ、警備と称しての監視が続けられたということでした。
  私は上祐氏に傾倒していて同じく「魔境」とされ、9月頃から京都道場での修行を命じられました。それまで担当していた経理やお金、携帯電話も部署のサマナ (オウム用語:アレフの出家者)の管理となり(私が上祐氏と連絡をとらないよう)、私の動向は監視されているのがわかりました。
 24時間なにをしたかの報告を、毎日二宮氏にファクスで送らなければならなかったのですが、なかなか心が向かず修行できないでいると、「なんで修行できないんだ」と怒られたり、抜き打ちで視察されることもあり、ますますやる気をなくしていきました。

○荒木浩の上祐批判は、麻原家族の指示

 その後、麻原の妻から、村岡氏を通じて、仕事の指示の変更があったりと麻原の家族が仕事の指示をするようになりました。
  また、麻原が決めたステージ制度が絶対の教団の中で、かなりの下である荒木浩氏が、数段階上のステージである上祐を批判するお話会、を教団内で大々的でき たのかは、麻原の家族の指示だったからでした。上祐氏排斥は「グルの意思」だとまで言われました。これらの強制的なやりかたは、教団上層部の本質が変わっ ていないと感じさせました。
 家族は形式上は脱会してはいましたが、教団の意思決定には大いに関わっていたことは、
サマナなら誰でも知っていることでした。

(8)証言⑧ 吉田恵子
  (現ひかりの輪専従スタッフ、2007年3月までアレフ出家者)
 2004年9月に、アレフの二ノ宮幹部から、アーチャリー派と上祐派のどちらにつくのか激しく迫られる電話がありました。それに即答できずにいると、激しく怒鳴られました。

 翌日、二ノ宮氏と江藤幹部に、カラオケボックスに呼び出され、わたしの機嫌をとるかのように食事などの接待があり、気持ちがほぐれて来た頃、二ノ宮氏は、三女と電話で話をし、私の様子を三女に報告していました。
 その場で、携帯電話が渡され、三女から話がありました。わたしは三女の家庭教師をしていたこともあります。
 三女は、

「マイさん(上祐)、魔境なのよ、おかしいの。
修行に入らなきゃいけないのよ」

と言うので、「上のほうでまとまれないのでしょうか?」と聞くと、

「それは無理!」
と言われ、困っていると、

「どっちにつくんだ、すぐ決めろ!」
と怒鳴られ、しばらくの間、怒鳴られ続けました。

 一通り三女の怒りが収まったころ、三女は、その場で決められなかった私に対し、

「お姉さん、修行に入ったら?教学(麻原に帰依する教え)をしっかりしたほうがいいよ、
こもって修行して。リトリートにとにかく籠もって、誰の電話もでちゃいけない」

と指示をしました。
 その後、わたしの監視役に江藤氏がつけられ、監視されながら、二度ほど、わたしの様子を確認するために、三女から電話がかかってきましたが、私が三女側に付くと即答できなかったために、自分の側に付かないとわかって以降は、電話がかかってくることはなくなりました。


2 「上祐外し」前後に関する三女著作の虚偽の記載内容
 
 次に、2003年の上祐外し前後に関する、三女の著作『止まった時計』(講談社)の中の、具体的な虚偽の記載について説明します。
 
◆『止まった時計』p194 母、アレフの現状に興味を持つ 

  2002年10月に、母が出所しました。(中略)一方上祐さんは、2003年1月、緊急に開催された師以上の会合において、「重大案件」を出しました。そ れは、「今までグルの一人とされていた尊師に代えて、マイトレーヤ(上祐さん)をグルとすることについて、各人の決断を求めるとともに意見を聞きたい」と いうもので、父の写真を全部破棄することなどを、上祐さんは求めたそうです。
(中略)けれども、この時点でも母は、上祐さんに「協力する」つもりであり、アレフに関与するつもりはなかったはずです。



 実際には、上祐は、アレフ教団において、「麻原色を弱める」ことを提案したものの、上祐自身をグルとすることを提案したことはありません。
 麻原・オウムの教義では、グルは麻原だけと決められているからです。実際にあったことは、上祐が行おうとしていた教団改革を、「グル外し」「麻原を外して、上祐がグルになろうとしている」と、三女や妻が主張したにすぎません。

 また、妻が行う協力というのがあったとすれば、これは、あくまでも、「上祐が行っていた、麻原の色を薄める改革をやめること」が条件ということにしかなりません。
 三女からは上祐宛に、「そうでなければ、家族は、上祐と全力で戦います」というメールが送付されてきました。


◆『止まった時計』上祐さんの嘘 p197

 2002年11月に、上祐さんは、『覚醒新世紀』という本を出しました。(中略)
 『覚醒新世紀』は、父の『生死を超える』文章の大部分を勝手にコピーし、父のポーズを真似した上祐さんの写真を使い、その上父が書いたとわかるところをカットし、まるで上祐さんが体験して書き上げたかのような内容にしてあったのです。
 母は、『生死を超える』を各際に父の手伝いをしていたため思い入れが深く、上祐さんが勝手にコピーをしたことに怒りました。わたしも、父が書いたものを、さも自分が書いたかのように振る舞う上祐さんに、ショックを受けました。
  上祐さんが家に訪ねてきたとき、『覚醒新世紀』の現物を手にしながら、わたしたちは、その回収を要望しました。しかし、上祐さんは、「わたしのメンツがつ ぶれるだろ!そんなことできるか」と怒りました。また、「救済のためだ」「真理を残すためだ」「それがグルの意思なのだ」と主張し、結局、「在庫にあるも の以外は、出荷しない代わりに、回収もしない」ということで押し切られてしまいました。



 これも全く事実に反することです。

 そもそもが、上祐が、自分より上に位置づけられた三女に対して、こうして上からものを言うこと自体があり得ません。
 また、この件を押し切られたというのも事実に反しており、三女ら家族は、上祐らを教団運営から外すことで、最終的に『覚醒新世紀』を廃刊にしています。
  なお、上祐が『覚醒新世紀』に記載したことは、確かに麻原の本との共通点はありますが、それはオウム真理教の修行者の共通した修行体験とした述べたもので あって、麻原の体験を自分の体験として表現したものではありません。また、社会融和の一環として、麻原の名前で、そうした修行体験を述べた本ばかりを使用 することを避けるという意味合いがありました。

 こうして、三女を含めた麻原家族の行動は、全て「麻原の帰依」、「麻原と自分たち家族の 教団の維持」ということに主眼が置かれており、この当時の上祐が、依然として麻原への信仰を残していた状態と、このような麻原家族の状態とは、いわゆる 「帰依の度合い」において、相当の温度差があったという事実も示しています。


◆『止まった時計』上祐さんの嘘 p198

  (中略)この説法の改変について上祐さんに尋ねると、「説法の改変などしていない。社会融和のため、危険なところをカットしているだけだ」と言われまし た。驚くべきことに、上祐さんは、父が作ったものを自分のものにしていく課程で、「アーチャリーも賛成だと言っている」と言ったそうです。
 以前、わたしの名前を使わないと約束してくれた上祐さんが、まさか父の影を隠すために、わたしの名を使っているとは思いもしませんでした。
 わたしの意思不在のままに、名前だけが利用され、教団運営に影響を与える、という不自然な状態になっていたのです。
  上祐さんの言葉と行動の違いは、わたしを大いに混乱させました。上祐さんは、「尊師のためだ。尊師の教えを広めたくないのか」と言いながら、父の存在を抹 消しようとしたり、「社会融和のためだ」と言いながら、教団を拡大し、アレフを国教にしたいと、わたしに何度も話したりしました。
 なぜ彼は、自 分の経験したことを説かず、父の名を使って「グルの意思だ」と言いながら、父が書いたもの、父が経験したことを自分に都合のいいように変えるのだろう。権 力、名声を得たいの?なぜ動揺もなく戒律で禁じられた嘘がつけるのだろう。もしかして上祐さんには、信仰がないのだろうか。もしそうなら、なぜ自分で一か ら新しい宗教を作ろうとしないのだろう。悩んだ末、わたしは彼の言葉ではなく、行動を見ることにしました。



  この点に関しては、上祐が、社会融和の一環として、麻原の説法の一部を改訂したのは事実ですが、それは、例えば、絶対者・完全者をイメージさせる「最終解 脱者」という麻原に用いた言葉を「解脱者」としたり、当たらなかった麻原のハルマゲドン予言に関する記載を削除したりなど、真実に反しており、かつ事件の 原因となった内容を改定・解消したまでです。

 よって、これは、上祐の権力・名声ではなく、真実に反した盲信を続けず、社会に融和してい くためには当然のことであり、三女の記載は、どのような説法の改定を行ったかという具体的な内容を明確にせずに、変えること自体を批判している点で、都合 の悪い部分を隠しており、不誠実であると言わざるを得ません。なお、現実主義の上祐が「教団を拡大しアレフを国教にしたい」などと言うわけもありません。

  ただし、この記載の中で、三女が、上祐の麻原への信仰を疑い始めていますが、上祐自身としては、この時点では依然として麻原への信仰が残存していたもの の、家族らの麻原を絶対とする信仰に比較するならば、確かに、上祐の信仰は変わり始めていたと思われます。それが、上祐が、麻原信仰を払しょくして脱会・ 独立する結果となります。

◆『止まった時計』 さようなら上祐さん p199

「もう上祐さんの味方ではいられない」と、わたしの考えが変わった2003年春、母に、
「上祐さんとだけ連絡を取っていたのが、いけないのよ。ちゃんと正悟師たちに会いなさい」と言われました。
 母は、(中略)自分が関与しなければ、教団が変わってしまうという危機感を持ったようです。
  わたし自身、上祐さんがしたことについて、きちんと伝える必要があると考えました。 そこで、母についていって、正悟師や母の元部下の人たちやオウム人い たころ親しかった人たちと会うようになりました。今から思えば、わたしはこのような形で徐々に、しかし確実に母の動きに、確実に巻き込まれていきました。 (中略)
 わたしは上祐さんが、教団を解散するなら、何も口出ししませんでした。むしろ何度も、「本当に社会融和をしたいなら、解散してはどうですか」と提案しては、上祐さんに、「おまえには愛がない」と怒られていたのですから。
 わたしがしたことは、上祐さんの行動に対する責任追及であり、娘として、父の作品や宗教的名誉を守ることでした。しかし、アレフの人たちにとっては、父の本のコピーをやめさせようとすること=教団運営に口を出してきたこと、になってしまったのだと思います。


◆母の復権

 2003年夏、再度受験に挑戦しようと決めたあとも、母が教団の人に会うとき、一緒に来なさい、と言われると、行きたくないのに付いていく状態でした。(中略)
 結局母に、「もうこれに出れば終わりでいいから」と言われ、これで終わりなら、これまで会ったことがない人に本のことなど問題提起ができればいいと考え、行くことにしました。
  わたしが行ったのは、上祐さんに修行に入ってもらうかどうかを検討する、上祐さんや正悟師も参加した、師の人たちの会議のときでした。上祐さんの説法後、 師の人たちで数グループに分かれてディスカッションをし、わたしは上祐さんがどのようなことをしたのか説明しました。(中略)
 上祐さんは、2003年10月に長期の修行に入ることとなって、アレフの運営から外れ、以後は正悟師たちの集団指導体制となりました。



 これも、多くの点で、明白に事実に反しています。
  実際の多くの信者が体験した三女の言動からして、三女の行動は、母親の動きに巻き込まれたと判断できるものではありません。三女が、母親とは別に、一対一 で多くの幹部に会ったり、電話を掛けたりして、積極的に激しく上祐を批判した事実が、すでに紹介した多くの元信者の実体験の証言から明らかです。

  さらに、三女の主観がどうかは別にして、客観的に言うならば、三女が先頭に立って、様々な幹部に働きかけを行ない、それらの幹部は、上祐や妻と違って「全 ての弟子の上」に位置づけられた麻原の子供の一人である三女の影響を、最も受けており、強く印象に残していることが、すでに紹介した多数の証言から明らか です。

 よって、この部分の記載は、三女の責任逃れと言わざるを得ず、仮に三女が著書に記載した通りの主観を抱いていたならば、自己を客観視して、他人に対する責任を持つ必要があると言わざるを得ません。
 なお、三女が、解散を上祐に勧めたことなどありません。
  そもそも、麻原自身が許可していない教団の解散を上祐に勧めることは、家族でも不可能です。三女ら家族の行動は、麻原への帰依に基づき、「麻原の教団を守 る」ことにほかならず、三女の主張は、「社会融和をした教団にするくらいならば解散すべきだ」として、社会融和に反対しているに過ぎないのです。

  また、「わたしがしたことは、上祐さんの行動に対する責任追及であり、娘として、父の作品や宗教的名誉を守ることだった」という点に関しては、言葉はきれ いですが、上祐の行った行動の内容を見れば、その社会融和を否定して、麻原の教え・著作の間違った部分・危険な部分を変更することなく維持して、麻原への 絶対的な帰依を守るということに過ぎません。

 この後、以下の内容を、追って、本日掲載予定です。

て、具体的に、事実に反する記載について説明します。

>>④ 2005年・06年の「正悟師外し」への関与

⑤ 補足:2014年前後からの教団への関与

⑥ まとめ:三女が虚偽を述べる理由、疑い、問題、評価ほか

 


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■告発と対策■
今なお続く、アレフの諸問題の告発と対策を行っています。
■運営担当■
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