「アレフ脱会例・入信を未然に防いだ例」目次・まとめページ

このページは、
「アレフ脱会例・アレフ入信を未然に防いだ例」
カテゴリーの目次ページです。

このカテゴリーでは、

①「アレフ脱会例」として、アレフ入会後に疑問や葛藤を持ち、ひかりの輪に相談してこられて無事アレフを脱会することができた方々の例を一部ご紹介しています。

②「アレフ入信を未然に防いだ例」として、アレフ入会直前だった方や、アレフと隠してアレフに勧誘するヨガ教室を辞めることができた例をご紹介しています。



①アレフ脱会例

1.>>ひかりの輪に相談し、「脱会したら地獄に堕ちる」と引き留められたアレフを脱会できた(Hさん20代男性)


私は、かつてアレフに所属していましたが、アレフが麻原崇拝やオウム事件の宗教的肯定をしていることに疑問を感じるようになり、ひかりの輪の皆さんの援助を得て、アレフを脱会してひかりの輪に来ました。その経緯を書きたいと思います。(Hさん 20代 男性 東京)


2.>>アレフにあった麻原やオウム事件への疑問を、ひかりの輪に相談し脱会できた(Bさん20代女性 関西地方)


書店で声をかけられ、アレフと隠した覆面ヨガ教室に入り、アレフに入信してしまった方が、その後、オウム事件の現実との葛藤や疑問から、ひかりの輪に相談され、脱会できた事例をご紹介します。


3.>>オウム事件を知らずアレフに入信、疑問を感じひかりの輪に相談・脱会できた(Cさん男性 20代 東京都)

 オウム事件のとき、まだ子どもだったことから、アレフ・オウムのことをよく知らずに、入信してしまったCさんという20代の男性が、アレフを脱会できた事例をご紹介します。


4.>>平田本人かもわからない? 平田容疑者逮捕やオウム事件へのアレフの姿勢(Dさん20代男性・東京)

2012年1月に、昨年末に、平田容疑者が出頭して以降の、アレフの平田容疑者逮捕に対する姿勢に、疑問を持ったアレフ信者から、相談のメールをいただきました。

 この方も、偽装ヨガ教室で勧誘された20代男性だったので、まだアレフ信者の期間も比較的浅く、そのメールをきっかけに、事件の事実等をお話しし、無事脱会することができました。

 このことから、事件や平田の件に関するアレフの姿勢を知ることかできましたので、ご本人の掲載許可をいただき、こちらに掲載します。


5.>>オウムを知らない若い世代が私と同じことを繰り返してほしくない(Dさん20代男性・東京)



 2012年1月に、昨年末に平田容疑者が出頭した際の、アレフ内部の姿勢に疑問を持ったアレフ信者から相談のメールをいただきました。

  この方は、2011年8月に、ミクシィで偽装ヨガ教室に勧誘され、2011年9月にアレフに入信した20代男性でした。
 まだ、アレフに入信して信者であった期間も、4ヶ月と比較的浅く、わたしたちのほうで、事件の事実等をお話し、脱会を支援させていただいた結果、約1ヶ月後には、無事脱会することができました。

 今回、「オウムを知らない若い世代が、私と同じ事を繰り返さないために」と、詳細な体験談を、ブログに寄せてくださいましたので、こちらに掲載します。


6.>>「アレフに入信して苦しくてどうしようもない。死ぬことも考える。助けてください」① Eさん20代女性


偽装ヨガ教室をきっかけに、アレフに入信することになり、ひかりの輪の「アレフ洗脳被害脱却救済窓口」にメールでご相談くださり、その後、二ヶ月後に、無事脱会できた方の実例をご紹介します。

 「もう苦しくてどうしようもない、死ぬことも考える、たすけてください」

 という、たいへん深刻で急を要する、アレフに入信したことで引き起こった悲痛な悩み相談のメールでした。
 アレフに入信して1年4ヶ月になる20代の女性の方でした。
 「かつてオウム・アレフの経験者だからこそ何とかしてくれるのではないか?」と思って連絡をくださったとのことでした。


7.>>「アレフに入信して苦しくてどうしようもない。死ぬことも考える。助けてください」② Eさん20代女性

上記6.>>「アレフに入信して苦しくてどうしようもない。死ぬことも考える。助けてください」① の続きです。



8.>>Eさんはどのようにアレフから抜け出せたか① 「麻原に救済されなければ、三悪趣に落ちてしまう」

「アレフ洗脳被害相談救済窓口」にご相談くださった、Eさん(20代女性)との、やりとりをご紹介しました。

上記6.>>「アレフに入信して苦しくてどうしようもない。死ぬことも考える。助けてください」 ①

上記7.>>「アレフに入信して苦しくてどうしようもない。死ぬことも考える。助けてください」 ②

 たいへん深刻で急を要するご相談だったので、その後、名古屋支部の山口が、5~6回ほど、1回の電話で3時間くらいお話しして対応させていただいたところ、Eさんは2ヶ月後に、無事アレフを脱会することができました。
 脱会後も苦しんでいらっしゃいましたが、現在は、心も落ち着き前向きになったとお聞きして、ほんとうによかったです。

 以下、二ヶ月で、彼女が具体的にどのようにして抜け出すことができたのか、以下、山口の文章でご紹介します。


9.>>Eさんはどのようにアレフから抜け出せたか② 多くの人を現実に不幸にしていく、危険なアレフの教え


上記8.>>Eさんはどのようにアレフから抜け出せたか① の続きを掲載します。



②アレフ入信を未然に防いだ例


1.>>アレフ入信寸前(北海道・東京で勧誘)だった、18歳の男性と上祐代表のメールやりとり


北海道や東京で、アレフの勧誘活動を受けた実例と、そこからの脱却のプロセスについてご紹介します。

 以下の一連のメールは、2009年にアレフに入会寸前だった東京在住の18歳(当時)のTさん(男性)と、上祐代表のやりとりをまとめたものです。

 Tさんが、上祐代表の公式HPにメールをしてきたことをきっかけとして、メールや直接の面会によって、詳しい説明や資料提供を受け、麻原とオウム、アレフへの信奉を解いていったプロセスが、克明に記されています。

 また、アレフの勧誘活動の実態も、よりリアルに記されています。


2.>>この日がなければ、今でも麻原・アレフに相当入れ込んで精神的に出てこれなかった(Dさん20代男性大阪)

 昨年2011年に、アレフへの入信を未然に防ぐことのできた、Dさんという大阪の20代男性の事例をご紹介します。
 
 防ぐことができたきっかけは、上祐宛に来た、相談メールでした。


3.>>大阪・今里駅近辺の、アレフの覆面ヨガ教室の勧誘の状況(Gさん20代大学生・大阪)


今回は、大阪・梅田の紀伊國屋書店で勧誘され、
大阪府・今里駅近辺の、覆面ヨガ教室に通ったものの、
アレフと関連があるのかと本対策室にご相談をいただき、
覆面ヨガ教室の段階のみで、それ以上の詐欺的な教化を受けずにすんだ方からお聞きした、
勧誘の実態についてご紹介します。


4.>>アレフと知らずにいつの間にか関わっている。大阪のアレフを偽装した覆面ヨガ教室(Zさん30代女性)

また、アレフを偽装した覆面ヨガ教室へのご相談が数件あり、無事、アレフのヨガ教室をやめることができた方のケースをご紹介します。

Eさんはどのようにアレフから抜け出せたか② 多くの人を現実に不幸にしていく、危険なアレフの教え

 (2012-02-18 16:35:37 の記事)

昨日の、以下の記事の続きを掲載します。

>>Eさんはどのようにアレフから抜け出せたか① 「麻原に救済されなければ、三悪趣に落ちてしまう」


■「自分は煩悩が多く、汚れているから、だめなんだ」

 また、彼女がアレフに入って暗くなってしまったということに関しては、

「自分は煩悩が多く汚れているから、自分はだめである」

という卑屈が強まったことが一番の原因でした。

 メールを読むと元々卑屈になってしまう傾向のある方であるので、そこに追い打ちをかけられたという感じがします。

 それに関しては、

 
「すべての衆生に仏性がある」という、大乗仏教の教えを話しました。

 
今まで生きてこれたことは、他の多くの人や自然の恵みの恩恵・支えによってであること、
      そうやって生かされているということは、あなたは生きる価値がある存在なんだ、

ということを話しました。
  
 この二点によって、自分に価値があることを感じていただけるようお話ししました。
 

■職場の人たちとコミュニケーションを遮断して、暗くなってしまった

 暗くなったことのもう一つの原因である、職場の人たちとのコミュニケーションを遮断してしまったことについては、以下のように話しました。

 
 遮断というのは、他の人との間に壁を作ることであり、閉じこもることである。
 それは人間として、不自然なことだ。

 人間は、人との関わりの中で生きている存在であ るので、
 その事実と反した、他との関わりを断つことによって、
 他との関わりの中で生きていることを認識できない、
 孤立した意識状態になるので、暗くなって当然で ある。

 人間は、人や自然など、すべての他との関係性の中で生きている、という真実を認識できないことで、
 自己中心的になり、他のことを考えることはできなくなる。 

 自己中心的になると、心は暗くなる。

 そうでなく、他のことを思いやる、慈悲の心を持つことで、心は明るくなる。

 アレフは、四無量心(慈・悲・喜・捨)を盛んに言うが、
 言うだけで実際には、四無量心が育 つどころか、
 アレフの教えは、「自己中心的な心になる教え」であることなどを話し、
 「職場の人とも話をしないように」という、アレフの教えの間違いを指摘しました。


■アレフが「事件をやっていない」ということが間違っていること
 

 事件のことに関しても、アレフが「やってない陰謀だ」ということに対して、
 アレフの、特に出家者は、事件をオウムがやったということを認めてしまうと、
 自分の信仰が揺らぎ、崩れてしまうので、そうならないように、「事件をやっていない」と主張して、
 自分にも「やってない」と思い込ませている。

 しかし、どう考えても裁判も行われ、自供もしていて判決も出ている。
 いくら何でも、「警察、裁判所、検察庁なども含め陰謀に加担している」
 などというのは、被害妄想もいいところで、
 当たり前に、普通に考えて、そんなことがあるわけがないということ。

 また、麻原は子供のころから被害妄想が強く、オウムでも総選挙での落選を「陰謀だ」としていたが、
 それも子供っぽい考えであり、そのようなことが有り得るはずのないこと。
 とにかく、「被害妄想的体質」がオウムにはある、ということなどをお話ししました。

  
 以上のようなことを5回に渡って話しました。一回につき、3時間ほどお話ししました。
 3回ほど話した時点で、Eさんの脱会する意思が固まりました。
  
 そして、彼女は、行政書士に依頼して、脱会届けを支部に送って、ひかりの輪に初めて相談したときから
二ヶ月後に、アレフを正式脱会しました。
  

■Eさんが洗脳されているな、と感じた点

 Eさんが洗脳されているな、と私が感じた点を整理してみます。
  

 「輪廻転生が絶対的にある」と思っていること

 「麻原が、輪廻転生を左右することができて、死後次の転生をするまでの間バルドー(中陰・中有)と呼ばれる状態で
   麻原がいい転生に導いてくれる」と信じていること。

 「オウムの事件は陰謀でやってない」と思っていること。

 今現在の麻原が、正常でない行動・精神状態であることを、「弟子を試す行為だ」と思っていること。

 世間の人たちとの人間関係は、意味がないこと、
   自分の行為や世間の人たちの行なっていることを、
   一つ一つ(いちいち)輪廻転生と結びつけて考えて、
   「普通の生き方では、三悪趣に落ちてしまう」として、普通の生き方を否定している点。
  
  
 以下にEさんからのメールから、洗脳されているとわかるところを一部抜粋しておきます。

 「綺語を話してはいけない、現世遮断だ」と思い、
  会社の人とも話さないようにしました。
  道場ではだれも笑わないので、「修行者は笑ってはだめなんだ」と思い、
  あまり笑わなくなりました。
  綺語やテレビや食欲や恋愛の話をしている会社の人とは、話すことがなくなりました。」


 「現世がすべて色あせて見えて、
  何をしてもどうせ死ぬんだからやる意味がないんじゃないか、と思い、心が晴れません。
  カップルや親子の情など見ても、「無常なのに」とか、「執着だな」とか、
  冷めた目で見たり、屈折してしまいます」
 (はじめてのメールから)


  「オウムの生き方が修行がすべてだ」と思い、
   道場で修行することが一番の目的で、自分のことしか見えなくなり、
   時間に追われ、人とのコミュニケーションをしばらく忘れていました。
   (ひらすら記憶修習ばかりして、思索実践をしなかったので、
    それをしたら違っていたのかな、と思ったりもします)

   自分ではいいと思っているけど、
  「普通の人にとっては、ただの危ない宗教だから勧められないな」と思っていて、
   会社で仲良かった人やみんなに、「入ったほうがいいよ」と言っても、絶対入らないだろうし、
  「むしろ入ったほうがいいよ」なんて言えないけども、
  「じゃあこの人たちはみんなどうなるんだろう。三悪趣か」とおもったり、
  「楽しみもとめてたらだめなのに!」とか、「それは悪業だし!」みたいな感じで、
   だんだん批判心が強まっていって、心がせまくくらーくなりました。


  「ひかりの輪の講話を読んでも、ほかのスピリチュアルな本や話をきいても、
   『アレフの教義はこうだから、これは違うんじゃないか』とか、
  アレフを軸に判断してしまいます。」

  「一般的なひとがやるレジャーに行くだとかも、『徳が減る』とか思い、楽しんだりできませんし」
  (2回目のメールから)


■ アレフの教えは、本当に間違っている

 私は、Eさんと話していて、オウム・アレフの教えは、本当に間違った教え、危険な教えだとつくづく思いました。
 信仰していけばいくほど、暗くなって、生きる意欲をなくさせてしまう「信仰」とは何なんだろう?と思いました。

 もちろん、この人の、もともとの卑屈さというものもありますが、そうでなくても、

 「自分は汚れている、そのままだと三悪趣、麻原に救ってもらうしかない」

と徹底的に自己否定をして、さらに世間での生き方を馬鹿にし、

「そういう生き方では三悪趣に落ちる」

と言い、

「アレフの修行以外、生きる価値・意味はない」

と思わせられれば、生きる意欲をなくしてしまうのも当然でしょう。

 人との関係も遮断して、人間の感じる喜びをすべて否定しているわけですから。
 オウム・アレフの現実否定の教えの問題点を、改めてしっかり認識しました。


■ 「自分たちは真理に気付いた偉大な魂」

 オウム・アレフは、この現実世界を否定するだけでは生きいく意欲を持続させられないので、

 「自分たちは真理に気づいた、偉大な魂である」

という教えで、生きる意欲を与えていました。
今もそうなのでしょう。

 さらに、麻原がいるころは、終末予言があり、

「選民である自分たちが生き残る」

というシナリオがあったので、より生きてゆく希望が持てたのでしょう。

 しかし、終末の時期を過ぎた今は、それはないので、

「単に、真理に巡り合えた稀な素晴らしい存在としての自分」

という自己存在価値を与えられることによって、生きる意欲を保っているだけです。

 ですから、このEさんのように、自己否定と自己価値のバランスが自己否定に傾いてしまうと、生きる意味・価値を見いだせなくなって、暗くなって、自殺を考えるのは当然だと思います。


■ 「生き残る選民」

 終末予言があるころは、

「生き残る選民」

ということで、自己価値の方が、自己否定より優位になっていたので、自己否定に傾くことはなかったのでしょうが、今はそうではないので、Eさんのように自己否定に傾く人も出てくるのでしょう。

 この点を考えると、今のアレフの信者は、終末予言がない分だけオウム真理教時代より脱却もさせやすいのかと思います。

 しかし、この原稿を書いた後で、なんと、アレフが最近、

「第三次世界大戦が起こる。だから時間がない。だから、導きをがんばりましょう」

と、新たな予言の概念を使って、勧誘活動を強化しているとの情報が入ってきました。

 これは、意義を感じさせるためにそうしたのでしょう。


■ 多くの人を、現実に不幸にし、犯罪を生み出すオウム・アレフの教え

 現実世界の中で幸福を感じることのできない人たちに、安直に手っ取り早く幸福を感じさせる
 (もちろん間違った形ですが)ために、「選民思想」を使い、
 自己存在価値・意義をくすぐるオウム・アレフの教えは、本当の宗教がやることではないと思います。

 本来の宗教は、この現実世界の中でどのように考え、
 どのようなものの見方・捉え方をして生きていくことが幸福になるか、を説くものだと思います。
 私たちはこの世界に生きているのですから。

 宗教は、本来、人が幸福に生きるために存在するはずですが、
 オウムは、信仰している人も、そしてそうでない人も、多くの人を不幸にしてしまいました。
 Eさんも家族とトラブルを起こしました。

 そして、この世界を否定するというオウムのものの見方が、
 サリン事件という破壊活動を生み出す元になっているのですから、
 その現実否定の教えは危険であり、それをいまだに流布していることは大きな問題だと思います。


■ 脱却経験者だからこそわかること

 また、「オウム・アレフからの脱却支援は脱却経験者でないとできないな」ということもつくづく思いました。

 相手が、「どうして、そういう考え方に陥っているのか」は、経験した者でないとわかりません。
 わかるからこそ、何を伝えれば、言えば、脱却できるかもわかります。

 そうでないと、的外れのアレフ批判になる可能性もあり、
 相手に「わかってないなあ」と思われてしまい、脱却支援ができないこともあり得る、と感じています。


■ 脱会した後、生き方の軸を確立することが大切


 そして、単にアレフを脱会しただけでは、脱却は終わっていないことも自分の経験からわかっています。

  アレフ脱会は第一段階で、第二段階は、オウム・アレフの教えに代わる軸、生き方の軸を確立させることです。
 そうしてはじめて、オウム・アレフの教えから脱却できたことになります。

 そして、Eさんと話をしている最中、「自分は洗脳から脱却しているな」と何度も思いました。

 つまり、「事実と信仰の違い」をしっかり認識できているということです。

 洗脳されている人たちは、「オウムの信仰での解釈が事実である」と思っています。
 しかし、洗脳のない人は、「それはオウム・アレフでの解釈にすぎない」ということがよくわかります。
 Eさんに話をするときも、その点を強調してお話しました。

 Eさんがアレフ脱会でき、本当によかったと思います。
 あとは、わたしたち もそうでしたが、脱会した人は、深くはまり込んでいればいるほど、後から、アレフの誤った教えが浮上してきて、悩み苦しむ状態になることも多々でてきます。Eさんもそうで、脱会後もお話してきました。
 あとは、今後何を指針にして生きていけばいいのか、というところがしっかり確立していけば大丈夫だと思っています。

 例えば、ひかりの輪の説く教えのなかで、感謝と慈悲の話をお話しました。
 三悟心経という、ひかりの輪が日々唱えているお経があるのですが、
 そのなかの「万物恩恵、万物感謝」の教えで生きていくことで明るく幸福になっていけることを、アレフの教えと比較しながらお話ししました。
 もちろん、Eさんがひかりの輪に入会するしないはどちらでもよいことです。
 Eさんがこの世界を肯定的に、明るく、他に思いやりを持って生きていければいいだけです。
 ところで、Eさんは、最近、以下のメールをくださいました。


 光の輪の方がたには脱会の相談にのっていただき感謝しておりますが、
  今後、どこかの宗教団体に入って修行したいとは思いません。
  このどん底の体験を乗り越え、日々感謝の気持ちを思い出し、
  笑顔で過ごせるように、自分らしく生きていきたいと思います。」


 Eさんが、このような気持ちに戻れて、本当によかったです。
 Eさんらしい、現実の日々の中での幸せを願っています。



Eさんはどのようにアレフから抜け出せたか① 「麻原に救済されなければ、三悪趣に落ちてしまう」

 (2012-02-17 16:58:07 の記事) 

昨日までに、「アレフ洗脳被害相談救済窓口」にご相談くださった、Eさん(20代女性)との、以下のメールのやりとりをご紹介しました。

>>一通目 「アレフに入信して苦しくてどうしようもない。死ぬことも考える。助けてください」 ①

>>二通目以降 「アレフに入信して苦しくてどうしようもない。死ぬことも考える。助けてください」 ②


 たいへん深刻で急を要するご相談だったので、その後、名古屋支部の山口が、5~6回ほど、1回の電話で3時間くらいお話しして対応させていただいたところ、Eさんは2ヶ月後に、無事アレフを脱会することができました。
 脱会後も苦しんでいらっしゃいましたが、現在は、心も落ち着き前向きになったとお聞きして、ほんとうによかったです。

 以下、二ヶ月で、彼女が具体的にどのようにして抜け出すことができたのか、以下、山口の文章でご紹介します。


■最初のEさんの状況 「アレフの信仰を始めて、自分がどんどん暗くなっていった」


 私はEさんと、5~6回電話で話をしました。1回の電話で3時間くらい話しました。
 彼女は、アレフ脱会はしましたが、まだ、完璧にアレフの洗脳から抜けきれていなくて苦しんでいるところがあったので、しばらく間は空きましたが、それ以降も、ときどき電話で話していました。

 彼女が一番始めにひかりの輪に連絡を取ってきたときは、

「アレフの信仰を始めて自分がどんどん暗くなっていき、死にたくないのに自殺を考えるようになった」

という状態でした。

 そういう状態でしたから、アレフを辞めたいと思っているのに、辞めたくてもアレフの教義でものを考えてしまい(洗脳)、「辞めたら三悪趣(地獄・餓鬼・動物)という苦しみの世界に輪廻転生してしまう」という恐怖によって、辞めることもできないという状態でした。

 まず、なぜ彼女が暗くなっていったかということを、この方がくださったメールから抜粋します。

「’カルマ落とし’がこわくて、『ああなったら、こうなったらどうしよう』とか、
 『楽しんでたらだめなんだ、苦しまなければいけないんだ』
 と精神的にちぢこまっていきました。
 『綺語を話してはいけない、現世遮断だ』と思い、
 会社の人とも話さないようにしました。


 道場ではだれも笑わないので、『修行者は笑ってはだめなんだ』と思い、
 あまり笑わなくなりました。

 (ウソをついてる後ろめたさや、三悪趣えの不安や、
 「みんなにオウムとばれたらどうなるのか」との不安や、
  カルマ落としの恐怖で、心が暗くなっていたのもあると思います)
 綺語やテレビや食欲や恋愛の話をしている会社の人とは、
 話すことがなくなりました。」(最初のメール)


「人とかかわるのが大好きで、笑顔で生きていた自分が、
 人が嫌いになり、笑顔がなくなりました。


 盲信と、『一日1回の食事が聖者の食事である』という教えで体重も激減し、

 笑えず、別人のようになりました。
 自分が自分じゃないように本当に暗くなり、
 アレフの人に、『精神的に苦しい』と相談しても、


 『真理に巡り合い、サットヴァの光に照らされて、あなたの本質が出たんだ、
  あなたの本質は暗かった』と言われ、

 『自分って暗くてこんなにも汚い人間だったんだ』
 と、もう最低な精神状態でした。

 教義や戒律が頭に入っていて、いちいち照らし合わせたりして、
 自分を表現できなくなりました。」

 (後日のメールから)


■辞めたくても辞めることができなかった理由


 また、ご家族にアレフをやっていることがわかってしまい、反対されたときのことをこのように書いています。

 「皆、猛烈に反対し、どんなに危険な団体か説得されました。
  しかし私は、“事件ははめられたもの”といわれていたし、
 
 『そんなことは関係なく教えが素晴らしいのだから問題ないはず、

  ここをやめたら三悪趣やし私の輪廻はどうなるんだ』と思い、
  やめたくありませんでした。

 (私は鈍感で神秘体験はまったくありませんでした。
  そもそも修行の経験や教えの実践で、自分が変化したとか、
  徳のエネルギーなどの
確信があったわけではなく、
  書籍や説法を読んで、自分が自分で勝手に追い込まれていって、

  「やりたいやりたくない」とかではなく、
  「やめられない」ということだけでやっていました。)」


 「辞めると嘘をついて、隠れて続けようとしたのですが、
  ついたウソがばれ修羅場になりました。

 「やめる」と言いつつ、アレフの方と連絡を取り、ひそかに続けることにしました。
 (やめるにやめれず、やるときめたのは私です。
 「辞めたと思われたくない」というアレフの中でのプライドがあったのか、
 「今まで時間とお金をかけてがんばったしもったいない」
 という気持ちもありました。)」


 「 このまま続けれる気はしませんが、
  辞めてもどうすればいいのかわからないし、

  変なプライドからか、やめるというのが嫌で、
  ずるずるなんとなく生きていま す。


 (「この人たちはグルに済度され、いい転生していくんだろうけど、私は悪趣だろうし」

 と嫉妬心や卑屈や嫌悪や、
 「入信しなければ、こんな今じゃなかっ たはずなのに」
  という恨みのような感情も出てきます。)

  選んだのは自分なのですが、どうにもこの感情が止まりません。」


 電話でも、Eさんは上記と同様のことをお話されていました。


■「麻原に救済されなければ、三悪趣に落ちてしまう。だから辞められない」

 Eさんが、辞めたくても辞めることのできない、一番大きな理由は、「輪廻転生」のことでした。
 
「麻原に救済されなければ、三悪趣に落ちてしまう。だから辞められない」ということでした。

 そのことに対して、私は以下の3つのポイントから話しました。

 輪廻転生は、あるかないかわからないということ。
   100%あるという証明はできない。
   だから絶対に転生して悪い世界に落ちていくということも100%のことではない。

 輪廻転生があるということを前提にした場合
  仏教での輪廻転生の仕組みはどうなっているのかを話しました。

  具体的には、釈迦牟尼が前生において地獄から脱却した話と、『蜘蛛の糸』の話をして、
  自分のことしか考えない自己中心の心が悪趣に生まれ変わらせ、
  その反対に、自分のことばかりでなく他のことも考えるという利他・慈悲の心が、よい転生をするということ。
  「麻原に頼らなければよい転生ができない」ということはない、ということなどを話しました。

 「麻原が、よい転生をさせることができる」ということは事実なのか?
  「何をもって、麻原にそういう力があると言えるのか」ということ。

  麻原がそのような力をもっているということを、万人が納得する証明は存在しない。
  それはアレフでの信仰であって、事実ではない。

  彼らはそう思っている(あるいは思いたい)だけであり、アレフの解釈であって事実ではない。
  麻原が、もし「絶対的神秘的力」を持っているなら、なぜ、今現在のような惨めな状態に彼はいるのか?
  今の彼の状態から、普通に当たり前に考えて、
  それほどの力があるとは思えないのではないか?などと話しました。

  また、本当に絶対的神秘的力があったら、捕まることもなかっただろうし、
  刑務所から出てくることもできるだろうし、
  超常的力を多くの人に見せて、自分が神のような存在であることを示し、
  信仰させることもできるのではないか?
  しかし、それをやってないということは、そういう力がないということではないか?

 などという主旨の話をしました。

 もちろん、1回話ただけで、Eさんが上記のことを納得したわけではありません。

 彼女は、私にそう言われれば、「そうか」と思うのですが、やはり洗脳されているアレフのものの考え方をしてしまっていました   (脱会後も、まだ洗脳の残りはありましたが、輪廻転生のことではかなり脱却できている)。 
 しかし、それは、はまり込んでいるため仕方のないことで、その後、何回か、同様の話をしました。

 続く

「アレフに入信して苦しくてどうしようもない。死ぬことも考える。助けてください」② Eさん20代女性

 (2012-02-16 16:19:27 の記事) 

 一昨日ご紹介した以下の方の、続きをご紹介します。
>>「アレフに入信して苦しくてどうしようもない。死ぬことも考える。助けてください」① 20代女性

 アレフに入信して1年4ヶ月になる20代の女性の方でした。
 「かつてオウム・アレフの経験者だからこそ何とかしてくれるのではないか?」と思って連絡をくださったとのことでした。

 今回は、アレフの洗脳被害者を防ぐために、メールの公開にご協力くださいました。
かつてご自身がどのような精神状態になってしまったか、入信後の洗脳的教化活動の実態、教義の問題点などが、かつてのEさんのメールにリアルに記されており、多くの方の、脱却のためのご参考になると思います。

(※なお、念のため申し添えます。
 本ブログでは、当然のことながら、ご本人に無断で、メールの公表をすることはありません。
 個人的なご相談ですので、公開することはありません。
 これからご相談下さる方は、どうぞ安心してメールをお送りください)
※以下は、アレフ側にご本人が特定されないよう、メールの時期、入信の時期、地域などは記載していません。


ひかりの輪の「アレフ洗脳被害者相談救済窓口」から、Eさんに対するご返信メール

(略)
アレフで魔境と言われている、ひかりの輪に連絡を取ってくださったこと、
とても勇気がいることだったとお察しします。
それ以上に、たいへんお辛い状況でいらっしゃるとお察しします。

Eさん(お名前がわからないので、とりあえずこう呼ばせていただきますね)の陥っている事態、とてもよくわかります。

といいますのは、Eさんと全く同じようにしてアレフに入信したものの、苦しみと疑問を感じて、わたしたちに相談されて、アレフを脱会した元アレフの若者が、身近にいるからです。

また、オウムを隠して若者を集めるヨガ教室や、陰謀論の植え付け、それから入信、そして、ある意味脅しの転生をほのめかすパターンも、実際に体験した何人もの方からの相談をいただき、よく知っています。

それよりも一番は、わたし自身が、二十歳でオウムに出家し、十数年も、そのようなことを行ってきた過去を持っていますので、アレフが何を言っているのかを、よく知っています。

そして、どうやったら、その苦しみから抜け出せるのかも、元オウムだったひかりの輪の者たちが、たくさん経験しています。

アレフのそのやり方は、残念ながら、普遍的な真理なのではなく、「洗脳」といってよいものだと思います。
本当の宗教は、輪廻転生の理論を使って、人を脅したりしません。

もっと、心が自由に、幸福に、その人の心が輝いていくものです。
自分を特別視して、プライドを満足させたり、自と他を比較して、卑屈になったり、優越感にひたったりすることは、全部、エゴの追求でしかないから、起こっていることです。

また、神秘体験は、わたしはたいへん体験しやすいタイプで、
オウムでは成就者とされていましたが、
人の中には、そういう体験をしやすいタイプの人と、しにくいタイプの人がいて、
それは、単に、耳がいい人と悪い人、目がいい人と悪い人がいるように、
単純な、特徴でしかなく、
それをするから、優れている、劣っているということではないのです。
(略)

以下にいくつか、参考になりそうなものを載せます。

アレフから脱会して、いまはひかりの輪にいる20代の若者の体験です。
http://www.joyus.jp/hikarinowa/voice/10/0093_20.html
また、アレフのことは、以下のように考えています。
http://hikarinowa.net/public-info/departure/assistance/
わたしは、オウムにはまって抜け出した経験から、以下のような本を出しました。
http://hikarinowa.net/public-info/social-contact/other-association/20.html

さんは、さんですか?
さんの洗脳教化のことは、よく存じています。

このメールのやりとりでもよいですし、
もしよろしければ、直接お会いして、いろいろな疑問をお聞きすることも可能です。
お会いしたからといって、ひかりの輪に入らなければならない、
ということはありませんので、安心なさってください。
もちろん、入りたい方は自由です(笑)

まずは、今の状況を解決することが、先決と思います。
お返事お待ちしております。



■Cさんからの2通目のメール


お返事ありがとうございます。

Aさんというのは事件前から入信してらっしゃる信徒の方です。
お会いしてお話してみたい気もするのですが私は◎◎◎に住んでいるので難しいと思います。

先日のイベントは、グルの超越神力についてのお話で、素直に、すごいなと思いました。
そして信徒の方々の神秘体験等も、正直、うらやましいと思いました。
そして、「どうせ私はグルからは見放されているだろうし」と卑屈になります。
サマナのかたには、パイプはある(※アレフ信者の言う、麻原とグルと弟子の関係で繋がっている見えないパイプのこと)んだから、あなたが否定してるだけだよ、徳積んで頑張って!」
という感じでした。

「信じて頑張っていいものかわからないから、頑張れないんだ」と言っても、
「頑張ってなくて結果が出てないからだよ、
だめだめ言ってやっててもそれが現象化するから、信じなきゃ。」
みたいな感じでした。
(実際に疑念や不信や自暴自棄で、最近はただ土日に行ってるだけなので頑張っていないのです)

「事件はオウムではない」というジャーナリストが書いた記事も、サマナの方から見せられました。

入信してから、教学をしていく中で、
「説法はこう言っているし、自分もこんな厳しくいかなきゃだめなんだ、苦しまなきゃだめなんだ」
と、自分で自分を追い込んでいました。

「オウムの生き方が修行がすべてだ」と思い、道場で修行することが一番の目的で、自分のことしか見えなくなり、時間に追われ、人とのコミュニケーションをしばらく忘れていました。
(ひらすら記憶修習ばかりして思索実践をしなかったので、それをしたら違っていたのかな、と思ったりもします)

自分ではいいと思っているけど「普通の人にとっては、ただの危ない宗教だから勧められないな」と思っていて、
会社で仲良かった人やみんなに、「入ったほうがいいよ」と言っても、絶対入らないだろうし、
「むしろ入ったほうがいいよ」なんて言えないけども、
「じゃあこの人たちはみんなどうなるんだろう。三悪趣か」とおもったり、
「楽しみもとめてたらだめなのに!」とか、「それは悪業だし!」みたいな感じで、だんだん批判心が強まっていって、心がせまくくらーくなりました。

今現在アレフに行くことについて、非常に家族との関係が悪く、ホントに心重く不安定なんです。

アレフについて「絶対だめだだめだ」と言ってきて、私が行く以上みんな不安やし、気狂うわ等言われます。
「何のためにうまれてきたの?殺人集団の軍資金になってるんやよ」など言われて、まいります。

本当は私が憎たらしいでしょうが、文句以外は、普通に接するようにしてくるのですが、私以上に、家族は強烈に精神に来ていると思います。
(入信してから「アレフで修業しなきゃ」という私のエゴによって家族につけた傷は数知れず、後悔してもしきれず、なんでこうなったんだろうとおもいます。)

「辞める」とウソをついてはばれ、「アレフの人じゃない」と言ってはそれがばれ、家族からしたら、「大事な家族にウソつかれ裏切られた」という思いしかないと思います。

それでも優しくしてくれる家族や親族がいて、どれだけ私はその愛情を貪ればきがすむんだろうと。。。私の言葉は「またウソじゃないか」、「どこまで本当か」という感じで、家族は私を疑うと思いますが、そう思わなきゃいけないのってつらいだろうなと。

サマナの方には、「真理の邪魔をして、家族に悪業積ませちゃってるよ」といわれ、
「あなたが頑張って天界に行くカルマを作れば、家族も救われるんだよ」と言われ、信じたくなります。
「食べて寝てばっかりしてたら徳がなくなるよ」と言われます。

今年、病気で倒れて危なかった方に、その本人が知らない、その病気に対しての呼吸の仕方や、救急車、家の鍵を開けておきなさい、などのグルの声でアドバイスがあったそうです。
ほか体験談などを読んだりすると、どうしても信じたくなるのです。。。

{歓喜や悦の状態ってどんなんだろう?」とものすごく興味がわくんです。。。(ホントに私には何ら霊的なものはないので、なおさら修行でこんなふうになるのってありえるのかと、疑念というか不思議に思うんです。)
やはり何らかのエネルギーはあるのですよね?

信じたいのですが、事件のことでの社会からの圧力や、親の反対からいくと、やはりだめなのか?

もし本物のグル、宗教で、事件もはめられたことだったとしても、オウムがやったということになっているこの社会の中でやるのってむずかしいよな」とかも思います。。

ひかりの輪にも興味はありますが、家族からしたら、オウムの上裕氏がつくったところだから結局アレフと変わらないとの評価になるので、どうにもならないというかどうしようというか。。。
ひかりの輪に入れば転生がどうにかなるとかあるのですか?
(おまかせくださいとはいえませんよね。そしたらオウムとおなじになりますもんね。。)
ひかりの輪では転生についてはどうなるのですか?
グルがポアしたり、ミラレパ正悟師が儀式をしたりで高い世界に転生させたお話をよんだことありますが、

「やはりそういう力があったんだですよね?」と思うと、なんだかやめれないというか、続けたほうがいいのかとおもいたくなったりするんです。(「今年、転生祭したおばあちゃんがアルプスに人間転生した」と言ってて、
やっぱり力ああるのかなーとおもったり。)

ひかりの輪の講話をよんでも、ほかのスピリチュアルな本や話をきいても、「アレフの教義はこうだからこれは違うんじゃないか」とか、アレフを軸に判断してしまいます。
そして生まれ変わりとかスピリチュアルなこともうんざりになります。。

アレフをやめたら徳はどこで積むのですか?
どこかに入って徳を積むためにお布施をしたところで、それが本当にいい団体で徳が積めるかなんて私にはわかりません。結局どこに入っても、信じる信じないなんですかね?
信じなきゃお布施なんてできませんよね。。

転生や神秘的なことを信じる私にとって、アレフを辞めることは、つぎに何を信じればいいかわからなくなり、迷子になるんです。
 
みんなそれぞれの宗教や思想がいいとおもってやているし、結局何を信じるか、やるかわ自分なんですよね。だから何を軸にすればいいかわからなくなるんです。。
(アレ
フがいいと思って入ったけどそれが違かった
  →
いいと思ったものが違かったなら、
次なにかを信じるにしてもそれがいいとはわからない。
 信じて続けなければ結果は出ないけど、
それが信じて続けていいものなのかもわからない、という感じになります。)

逆にもう、何も信じたくなくなります。

何のために生まれてきたのか、なにを軸に、目的に生きていけばいいのか迷子です。
一般的な人がやるレジャーにいくだとかも、「徳が減る」とか思い、楽しんだりできませんし、
恋愛とかも気持ち悪くてできませんし、ただ毎日すっきりしないまま過ぎていきます。

私のこのもやもやが解決することはあるんでしょうか?
だらだらとわかりにくい文章ですみません。
またお返事いただけるとありがたいです。

 ご相談の内容が深刻なので、メールだけは対応が難しいため、直接お会するかお電話でお話できたらと以下のメールをお送りしました。

■ひかりの輪「アレフ洗脳被害者相談救済窓口」からの2回目のご返信

(略)
地方にお住まいとのこと、どちらの県にお住まいですか?
わたしは長野県ですが、今月は上祐代表が、北海道に行く予定もあったり、
沖縄、九州など含め、全国的に誰かしら、毎月いろいろなところに
行っていますので、
そのとき、ぜひお会いして、いろいろお話をお聴きできたらと思います。
たくさん、お聞きになられたいこともおありと感じます。

わたしも、昔は、グル信仰をやめることができませんでしたが、
やめた今の方が、比較にならないほど、幸せになりました。
だから、大丈夫です。
わたしも、Eさんのように疑問を持ってから、とても苦しみましたが、
その苦しみが、新たな道を開いてもくれると思います。


■Eさんからの3回目のメール

(前略)
こちら方面にもに来ることはあるのですか?
こられたとしてもそれがいつになるのか知りませんが、その時までまつのも嫌です。

自分には徳がないのか」とか、「神様にきらわれているのだろう」と思います。
(嫉妬心や嫌悪がつよく、ストレス解消に食べまくって、悪業しかつんでいないので。)

自分の潜在意識に、変なものしか詰まってないだろうし変にヨガとかするのもこわいです。
グル信仰をやめて、死後どうなるのですか?
(やっていたときも、グルとのパイプなどを感じたことがあるわけではないですが。。。。)
「いつ徳がなくなり、苦しみばかりになるのか?」と思ってしまいます。

「もう私には、虚しい輝きのない人生しか残ってないのだろうな」とか。。、
(いま特に、いじめられたりとか、お金がなくて貧乏とかはなく、それなりに生きていますが、心の貧しさが苦しいです。)
前のメールの疑問やこのメールの疑問など、いま、解決や答えをもらったりしなければ精神的にもちません。   


 そして、Eさんの場合は、「今すぐ解決したい」とのお答えだったので、まず、電話でのご相談をお受けすることになりました。
 次の記事では、この方の脱却支援を担当した山口(名古屋支部担当)より、Eさんがこの状態から、どのようなプロセスで2ヶ月で脱却することができたかをご紹介します。

「アレフに入信して苦しくてどうしようもない。死ぬことも考える。助けてください」① Eさん20代女性

 (2012-02-14 23:42:25 の記事) 

先日、「アレフ新規信者、北海道で突出…全国の36%」http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120204-OYT1T00151.htmとのニュースが報道されました
 それと同じように、偽装ヨガ教室をきっかけに、アレフに入信することになり、ひかりの輪の「アレフ洗脳被害脱却救済窓口」にメールでご相談くださり、その後、二ヶ月後に、無事脱会できた方の実例をご紹介します。

 「もう苦しくてどうしようもない、死ぬことも考える、たすけてください」

 という、たいへん深刻で急を要する、アレフに入信したことで引き起こった悲痛な悩み相談のメールでした。
 アレフに入信して1年4ヶ月になる20代の女性の方でした。
 「かつてオウム・アレフの経験者だからこそ何とかしてくれるのではないか?」と思って連絡をくださったとのことでした。

 数回ほど、メールのやりとりをさせていただいたところ、たいへん深刻で急を要するご相談だったので、5~6回ほど電話でお話をしました。1回の電話で3時間くらいお話しました。そして、2ヶ月後に、無事脱会することができました。

 彼女の、アレフにいた期間は一年4ヶ月という、わたしたちに比べれば短い期間ではありましたが、アレフの、現実と異なること(オウム事件はオウムの犯行ではないなど)を教える洗脳的教化や、麻原を崇拝させる修行実践の結果、この短期間で、わたしたちがオウム真理教時代に陥っていたのと同じような精神状態にまでなってしまっていました。

 この事実に、わたしたちは、改めて驚かされ、オウム的な洗脳的教化への危機を痛切に感じました。

 脱会後も苦しんでいらっしゃいましたが、その後、心も落ち着き、宗教を離れて、「笑顔で自分らしく生きたい」と、前向きに一歩踏み出され、ほんとうによかったと思います。(ひかりの輪とは脱会支援の関わりのみで、入会はしていません)

 今回は、このブログの趣旨にご賛同いただき、かつてご自身がどのような精神状態になってしまったかを訴えるメールの公表にご協力くださいました。

 アレフの勧誘活動の実態、入信後の洗脳的教化活動の実態、教義の問題点などがリアルに記されています。

(なお、アレフ側にご本人が特定されないよう、メールの時期、入信の時期は記載していません)

(Eさん 20代女性)

1.Eさんから最初に来た、「アレフ洗脳被害者・相談救済窓口」あてのメール



■ ミクシィから、カレーの会、偽装ヨガ教室に勧誘される


 アレフについてご相談したくメールさせていただきました。
 文章力がないため読みにくいだろうと大変申し訳ないのですが、一人で悩むのもうんざりなので、長文ですがよろしくお願いいたします。
 私は今20代の女性です。アレフに入信して1年4ヶ月になり、今も入会しています。

 入会する前は、スピリチュアルに興味をもち、人と話したり笑ったりいろいろ不思議なことなど考えるのが好きでした。
 入会する三年ほど前から、心の持ち方で人生が変わることを本当に実感し、人生で学んできたことを軸に、精神的に豊かになれるように自分なりに勉強し、自分に自信が持てるようになり、心をひろく持てるようになっていました。いやなことや人が、あまりなくなりました。
 たくさんの人と出会い、人と関わり人から学んだり、人との関係で、自分を認識できたりするものだと思っていました。

 最初、ミクシイでメールをもらい知り合ったかた(Aさん)と何度かやりとりし、「スピリチュアルなことなど色々お話しませんか?」と「カレーの会」に誘われ、会いました。

 私以外は、Aさん含め三人いました。(みんな信徒でした。うち二人は女性です)
 ヨガの話などもしました。3回ほどカレーの会をして、わたしも当時、「ヨガを教室で習いたい」と思っていたのでその話から、「私たちは個人で教えている先生に習っているのですがどうですか?」という感じでいわれたので、興味があったわたしは、「参加したい」と言いました。

 ヨガの教室は、Aさんの家に先生を招いたりして行われ、生徒は、私とAさんとカレーの会にいた女性信徒で、アーサナメインの教室を数回しました。(入会してから判明したのはアーサナの先生はサマナの方でした。)

 アーサナの教室の次は、勉強会でした。
 Aさんの家で、Aさんと女性信徒と私と三人で、ファイルしたプリントを使い輪廻の話やヨガ哲学の話などを勉強したり、チベットの修行や、冤罪の番組のDVDをみたりしました。
 「間があくとあまりよくない」と、週一で開催され二、三か月ほど続きました。
 生まれ変わりは信じていたものの、人は人に生まれ変わると信じていたので、六道輪廻の話を初めて聞き、怖くなりました。

  これまで、ストレスで過食症みたいになるときが何度かありました。心が安定してきて、そういうことがあまりなくなったのですが、「自分は食のむさぼりが強かったので、’餓鬼’というところを初めて知って自分はそうなってしまう!」と怖くなり、勉強会の話に興味を持ち、ハマりました。


■「第二段階」で、アレフと明かされる

 彼らは、「自分たちは道場で勉強している」と言っていました。
 勉強会も進んでくると、Aさんは、「第二段階に入れば道場にいける。第二段階に行くにはもっと勉強がいる」みたいな感じで、’第二段階’をもったいぶりました。
 私もそんな風に言われると、とても興味が出て早く’第二段階’とやらに進みたくなりました。

 いよいよ時が熟したらしく、第二段階の入会に進めるとのことで、「続けて二日続けて時間を空けてほしい」といわれ、予定を合わせAさんの家に行きました。そのときに、「実はこれまでのこの教えはこの人の教えなんだ」といって、麻原尊師の写真を見せられました。

 はじめ、見せられてびっくりしましたが、インドにいったときに麻原氏のような風貌の修行者や、もっと汚い感じの修行者を見たので、「だから麻原氏はこんな風貌だったのかぁ」と納得しました。(事件うんぬんではなく麻原氏の風貌に対しての納得でした。)
 勉強会のときもパッケージや見た目で判断するのではなく中身で判断するよね」という話をしていました。(自分も人に対してはそうだったので共感して話していました)
 なので、グルが麻原氏でも今まで勉強会での教えが自分にはまり、「よいものなのだからよいものなのだろう」と思い、すんなり入会しました
(麻原氏を打ち明けられた時、まだオウム真理教ってあったんだ」と正直おもいました


■アレフ入信後、アレフの修行実践で変わってしまった自分
 

 教えを学ぶ前から、『自分が心の持ち方で、とても精神が解放されイライラやおこることがあまりなくなったので、みんなのことも楽にしてあげたい』と思っていたので、「入って勉強すればみんなを救えるんだ」と思い、うれしくなりました。
 海外旅行、勉強することや本を読むこと、人との交流が好きで、人生は楽しむものだと思っていました。

 アレフの道場の本を読んでいくと、「楽しみを求めてはいけない」とあり、「自分の好きなことは、全部楽しむためにやっているからだめなんだ」と思い、やめました。
 本も、「一般の本はあまり読まないほうがいい」と言われていたので読まないようにしました。テレビはもともとあまり見なくなっていたので、何も思いませんでした。

 人のためになれる’何か’を求めていたので、「これだったのか!」という感じではまり土日の休みは朝から晩まで道場で教学をしたりして、今までの自分の時間をすべて修行生活に移して行きました。

 本を読むのが好きだったので、教学のお話を早く読みたくて、10課までハイスピードで進めました。
 食事にとらわれていて、餓鬼に落ちるのがこわくて、食事も一日1回にしたりしていたら、もともと一日二回の食事で細かったのですが、異常にがりがりになり骨と皮だけになっていきました。

  私は家族と実家で暮らしています。平日も毎日のように仕事が終わってから、道場に行き修行し、夜12時過ぎに帰宅して、家族にオヤスミだけを言って寝て、 朝は早起きしてガージャカラニーしたり、オウム食的なもの(野菜の水煮)を作ったりして仕事に行くという生活をしていきました。(「家族にご飯を作っても らうと、供養となりカルマを受けるから」とのことで、今までお弁当や夕飯を作ってもらっていたのを拒否し、自分でオウム食のようなものをつくるようになり ました。)

 「少しでも多く説法を聞かなければいけない」とのことで、家族との食事中も、家にいるときはつねにCDを聞きました。
  親には「ヨガに通っている」と言いましたが、毎日夜遅い、土日はまるまる家にいない(道場が遠いので土曜は家に帰らずとまったりしていました)お経のよう なものが聞こえる(私のとなえるマントラやCDが聞こえていた)、だんだん痩せていく、とのことで大変怪しまれました。

 「オウムに入ったことが、家族には、ばれたら絶対まずい」と思っていました。
 「真理を実践するためのウソはウソにならない」と言われたので、「ヨガだ」と言い張り、「ヨガスタジオで先生がいて習っているんだ」と言ったり、「友達の家に泊っていると」言って道場に泊りました。

 ヘッドギアを洗って干したのが見つかり、「オウムみたい」と怪しまれましたが、苦し紛れのウソをつき、ごまかしました。
 ウソをつくのでばれないように、詮索されないように、家族とあまり話さないようにしました。(「情を切らなければいけない」という思いもありました)
 ウソをつくので、目をあまり合わせられなくなりました。

 私は「道場での修行だけがすべてだ」と思い、「それ以外はだめなんだ」と思い込んでいました
 
 ’カルマ落とし’がこわくて、「ああなったらこうなったらどうしよう」とか、「楽しんでたらだめなんだ、苦しまなければいけないんだ」と精神的にちじこまっていきました。
「綺語を話してはいけない、現世遮断だ」と思い、会社の人とも話さないようにしました。
 道場ではだれも笑わないので、「修行者は笑ってはだめなんだ」と思い、あまり笑わなくなりました。(ウソをついてる後ろめたさや、三悪趣えの不安や、みんなにオウムとばれたらどうなるのかとの不安やカルマ落としの恐怖で、心が暗くなっていたのもあると思います)
 綺語やテレビや食欲や恋愛の話をしている会社の人とは、話すことがなくなりました。

 入信前は笑ったり話したりするのが好きで、会社のみんなと仲良く、みんなに元気を与えられる人になりたかったので、
笑顔を忘れず、文句や悪口をいわないようにし、自分の可能性を信じていました。

 あまり話をしなくなり、笑わなくなり、痩せこけていく私を、周りは心配していました。
 自分でも思いますが、明らかに人が変ったようになりました。
 コミュニケーションの仕方が、あまりわからなくなりました。
 心がどんどん暗くなり、なにか違和感やずれを感じていましたが、アレフの人には、「教学が足りないから」とか「徳を積めばいい」と言われ、励まされるので通いました

 サットバの光で照らされて、性格が暗い本質が出てきたんだよ」と言われ、’自分は暗い人間なんだ’と自分で暗示にかかるように、さらに重くなっていきました。


■家族とのトラブルが生じる

 入信して半年くらいたったとき、離れて住む家族と、今まで(私のことで)たまっていた家族と一緒に追及され、オウムのことがばれ、数々の真理のためのウソもばれました。

 皆、猛烈に反対し、どんなに危険な団体か説得されました。
 しかし私は、「事件ははめられたもの」といわれていたし、「そんなことは関係なく教えが素晴らしいのだから問題ないはず、ここをやめたら三悪趣やし私の輪廻はどうなるんだ」と思い、やめたくありませんでした。
(私は鈍感で神秘体験はまったくありませんでした。そもそも修行の経験や教えの実践で、自分が変化したとか徳のエネルギーなどの確信があったわけではなく、書籍や説法を読んで自分が自分で勝手に追い込まれていって、「やりたいやりたくない」とかではなく、「やめられない」ということだけでやっていました。

 辞めると嘘をついて、隠れて続けようとしたのですが、ついたウソがばれ修羅場になりました。
 
 「やめる」と言いつつ、アレフの方と連絡を取り、ひそかに続けることにしました。(やめるにやめれず、やるときめたのは私です。「辞めたと思われたくない」というアレフの中でのプライドがあったのか、「今まで時間とお金をか
けてがんばったしもったいない」という気持ちもありました。)

 (略)
 家族がその1、2ヶ月後に来たときに、また追及され、また朝まで説得され、私のウソ、裏切りに号泣されました。家族の一人は、過呼吸になり、気が狂ったようになっていました。皆、本当に私のことを心配してくれたのに、私のウソはひどかったと思います。

 サマナや法友には、私がアレフと周りに知れたら嫌だから、自分たちの立場を心配して、私がアレフに行くことを止めているんだ」と言われ、「とらわれないように」とのことでした。(一般的に見たら、殺人集団とされているところに自分の家族がいたら嫌だろうし、本気で心配してくれていたのだと思ったので、何か違和感を感じました。)

 教学をしっかり理解し思索できているわけではないし、カルマの法則もあまり理解していないので、私の輪廻転生やカルマの法則の話は、家族からしたら、頭がおかしく洗脳されているとしか見えなかったと思います。(家族は生まれ変わりなど信じないのでなおさら。)
  しかも、私の体は痩せてげそげその餓鬼のようなからだでした。入ってから良いほうに変わったのなら、まだましだったのでしょうが、異常に痩せるし、笑わな いし、ウソついてあやしいし、明らかにおかしくなっていって、それがアレフに入ってからだとなれば、それは反対すると思います。

 「ウソをついて身内を傷つけてまで、家族よりアレフを信じるのか」と言われました。(私は、無知なこの家族たちよりはアレフのほうが真理だから、間違っていないはずなのに」と思いました。自分が理解できないだけで、アレフ自体は本物のはず、自分の実践の仕方が間違っていたんだ」と思っていました)
(略)

■今後どうすればよいかわからず、自殺を考えるようになる

 一生一人でアレフを続けていく自信がなかった私は、今回の話し合いで、家族や親族には「アレフをやめる」となりました。
 しかし心の中では、「やめたらどうすればいいんだろう、なにをすればいいんだろう」と思い、結局またアレフに相談し、「頑張れば変わる」といわれ続けました。

 「家にいるから、家族の影響で不安定になるから、道場の近くに引っ越して、毎日来道すれば安定する」と言われ、勧められました。

 そのアレフの信徒の方々はとてもいい人ですし、励ましてくれますので、それも入信を続けている理由に入ります。
 家族に病院に連れて行かれ、検査し、「ちゃんと食べなければいけない」と言われ、食べるようになりました。
  アレフのことのストレスや、会社での違和感や、今までの反動などで、一日2食たべるのですが、暴食するようになりました。自暴自棄になり、どうでもよくな り、食べるのがストレスのはけ口になり、入信して8ヶ月後くらいの、げそげそだった時から今までで、体重が激増し、入信前の自分よりも増えました。

 入信して8ヶ月後くらいまではまだ、「もっとちゃんと頑張れば、なにか体験や変化があるのかもしれない」と、可能性を信じようとしていました。
 しかし、だんだん、さらにもやもやが増え、ストレスで過食し、何もかも嫌になっていきました。

 「徳をつめば明るくなれるから」と言われ、イニシエーション用に積み立て(お布施)で徳を積むように、ということで、土日の来道の時に一定のお布施を毎週し、2カ月くらいしました。
 その結果、サマナの方には、「調子良くなってきたんじゃない?そう見えるよ。徳の効果だね」と言われました。(しかし私はその2ヶ月間の間も後も、貪りと嫌悪を繰り返していて、全く暗い心から抜け出せなかったのに、そう言われて、本当にわかっているんだろうか?と不信を持ちました。

 道場に行ってもやもやして、家ではなんだかすぐイライラしてしまい、会社では自分で壁を作ってしまい、むなしかったり、自分が毎日つまらなくて精神的に苦しいので、人の楽しそうな姿や幸せに嫉妬してしまい、ますます卑屈になります。

 入信して二ヶ月後くらいから、お昼も会社のテレビがある食堂で人と無駄な話をして食べるより、説法を聞きながら供養するほうがいいと思い、駐車場の車の中で食べるようになりました。
 初めは盲信してたので、「一人で供養できるしいい」と思っていたのですが、違和感に拍車がかかってからここ半年くらいは、むなしくなります。

 頻繁に涙が出たり号泣したりします。毎日「消えたいなー」と思います。
本当は死にたくないのですが、このまま続けても幸せになれないし、やめてもほかのヨガや宗教は本物かどうかなんて私にはわからないし、なにもしなかったらひまだし、生きていきたい理由がありません。
 現世がすべて色あせて見えて、「何をしてもどうせ死ぬんだからやる意味がないんじゃないか)と思い、心が晴れません。カップルや親子の情など見ても、「無常なのに」とか、「執着だな」とか、冷めた目で見たり、屈折してしまいます)

 「輪廻や別の世界なんてないと思いたい。消えてしまいたい」と思います。
 絶対、自殺したくないのですが、どうしたら楽に死ねるか考えたり、このまま生きてもそのうち自殺するんじゃないかなと思ってしまいます。

 「自殺したら死後も(輪廻転生を)狂わす」など聞きましたが、「どうせこのまま生きて人間でも苦しいのに、もういい転生なんてしなくて、三悪趣なら、もう何も考えず消えれたらいいのにな」と思います。


■辞めるに辞めれず、今後どう生きていったらよいのかわからない


  アレフの月刊誌の体験談は素晴らしいものだったり、道場で私の慕う女性信徒さんが蓮華座ではねていたり、1回だけ行った年末セミナーでダルドリーが起きて いるのを見たら、やはり、何らかの神秘的なものはあるはずだと思います。(私はまったくなかったのでそれにも嫉妬します)

 クンダリニーが上がった体験など見ても、うらやましいと思います。(神秘体験が起こるほど、行法などがんばってはいませんが。。。)

 洗脳やLSDによるものだ、ということが書かれていたりしますが、それだけの力だともおもえません。
 「本物の宗教のはず、グルが本当、最聖の魂だったら、やめたら悔しいな」とかいう、信じたい気持もあるのですが、オウムにつてネットで調べたりして、疑念まみれでヤル気は全くないのですが、他にすることもないので、今もだらだらと続けています。(「ひかりの輪は魔境だから見ないほうがいい」と言われましたけど。。)

 宗教ってやってる人は、いいと思っていて人に勧めるけど、勧められた人は、盲信や胡散臭さを感じたりするので、自分が人を宗教に誘うとか、オウムだとばれるのは嫌だったので、全く導きはしてませんでした。

 修行し出して、友達とも遊ばなくなったので、疎遠になってきました。
 そして形状容姿に自信がなくなり、自分の芯がわからなくなり、自信がなくなり、人と接することが苦手になりました。(自分のプライドからも、こんな自分を見られたくなくて会いたくなくなりました。)

 はっきり言って、ひかりの輪も、世間からみたら尊師の弟子の宗教でオウムの分派なわけですし、信じていいものかわかりません。日本でもいろんなヨギーがいますし、どれを信じていいのか、どこに進めばばいいかわかりません。
 外部の人でも「サリン事件はオウムじゃない」という有識者がいたり、他宗教の陰謀などというのや、麻原氏は本物だという人もいますよね。
 カナリアの会などの元信者の批判の証言も、「多宗教のスパイだった人がオウムをつぶすために書いたものだ」という情報もありました。

 アレフの師の方に、「高弟がたや元信徒が否定するのはなぜか?」と聞いたら、「尊師の課題に負けてやめたんだ」と、「嫉妬心やプライドから批判するんだ」と言われました。なにを信じればいいのかわかりません。

 お返事をもしいただけたとしても、それを信じるか信じないかは、きっとまた自分なのでしょうね。。。

 仏教もヨガもスピリチュアルも嫌いになってきました。

  今は、がりがりでおかしい時よりは、笑顔を気をつけて人とコミュニケーションをはかるように意識しますが、会社の人間関係が好きだった私にとって、なじめ ない今は一番の虚しさの因です。(いじめられたりしているわけではないのですが、明らかに変わった私は変な眼で見られているとは思います。それが気にな り、また心がおちつきません。)

 「ホントに前に戻りたい」と強く思います。当時は当時で、真理から見ると無知だったんだろうなと思いますが、自分なりに充実していたので、毎日幸せと思ってました。 
 自分で選んではいったはずなのですが、本当に時間を戻したいです。

 六道を知った今は、どこかで修行しなければいけない、したいのですがもうどこがいいのかわかりません。
 (自分に天界に行けるだけの意志や徳などはないとおもいますが。。。)

  変に修行して、変な世界に突っ込むのも嫌なので、いっそ修行などせず意図的無知に、何も信じないほうがいいのかとさえ思います。修行をしないとしても、も う私には何かをしたいというようなものもありませんし、どうせあっても、かなえたりできる徳もないだろうしと思い、この先の人生に希望や光を感じません。
 (略)

  このまま続けれる気はしませんが、辞めてもどうすればいいのかわからないし、変なプライドからか、やめるというのが嫌で、ずるずるなんとなく生きていま す。(「この人たちはグルに済度され、いい転生していくんだろうけど、私は悪趣だろうし」と嫉妬心や卑屈や嫌悪や、「入信しなければ、こんな今じゃなかっ たはずなのに」という恨みのような感情も出てきます。)

 選んだのは自分なのですが、どうにもこの感情が止まりません。
 (略)

 この先の、自分のベクトルの方向がわかりません。
 ネガティブ志向が雪だるま式に膨らみます。。
 たすけてください。

 長い人生相談で読んでいただいてありがとうございました。

続く

「麻原家族の教団関与の実態」目次・まとめページ

このページは
「麻原家族のアレフ教団関与(裏での支配)の実態」
カテゴリーの目次ページです




麻原の家族は、これまでのアレフ教団に関与(裏支配)の実態を隠蔽し、社会を欺いています。

>>「アレフ信者、松本死刑囚の現在、アレフは、麻原の家族に妻子に指導仰ぐ文書」(2012年1月24日読売新聞)

>>アレフが賠償契約締結を拒否する理由

 そこで、なぜ、麻原の家族がアレフ教団の運営に関わる(支配する)ことが問題なのか?について述べておきます。

 というのも、そもそも麻原の家族は、社会に対しては、「自分たちはアレフ教団とは関係なく、アレフの教団運営には関わっていない」と公言しているのです。

 少なくとも次の二つの場面で、公式に、そう主張してきました。

①現在アレフには「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の規制処置に基づいた「観察処分」というものが適用されています。そのなかの義務のひとつとして、アレフは、アレフ構成員の名簿を公安調査庁に提出しなければなりません。

 しかし、麻原の家族は、その名簿には記載されていません。つまり、行政機関に対して、公式に、麻原の家族はアレフの構成員ではないと述べていることになります

②2004年、麻原の三女は、父親が麻原であるという理由などで私立大学から入学を拒否されました。
 それに対して、三女は慰謝料請求の訴訟を東京地裁に起こしましたが、三女はその法廷において、自分はアレフには関係していないという趣旨の主張をしています(しかも東京地裁は2006年に三女の請求を認めて、三女勝訴の判決を出しています)。つまり、司法機関に対して、公式に、麻原の家族(この場合は三女)はアレフの構成員ではないと述べていることになります。

 以上のように、アレフとは無関係と公的機関に公式に主張しているにもかかわらず、実際には、アレフの運営に深く関わっているのが、麻原の家族なのです。表向きはアレフと無関係を装いながら、裏ではアレフを支配していることを指して、このページでは「裏支配」という用語を使っています。


では、麻原の家族によるアレフ教団への関与・裏支配の実態について、アレフを脱会した元幹部信者の証言をご紹介します。
※以下の青いリンクから各自の証言の記事にリンクされています。


1.>>麻原家族の裏支配の証言① アレフを脱会した元幹部(野田成人氏)

 野田成人氏は、アレフの幹部時代に、直接の、麻原家族との関わりがあったことから、麻原の家族の裏支配の実態を、よく知る人物です。



2.>>麻原家族の裏支配の証言② アレフを脱会した元幹部(村岡達子氏・元アレフ会長)

 2011年の6月に、村岡達子氏がアレフを脱会していたことを、8月に出た週刊誌で知りました。

 脱会した「村岡達子」元アーレフ会長の「さらば麻原一家」
 (週刊新潮 2011年8月11・18日号)

との見出しの記事でした。

村岡達子氏(61)は、アレフの中の位階制度では、「正悟師」という教団に数人ほどしかいない最高幹部の立場にあり、アレフの会長職を勤めていた人物です。

この見出しにあるとおり、村岡氏は、2007年にわたしたちがアレフを脱会するまでは、麻原の家族の側に立って、上祐側のわたしたちと対立していましたので、当然のことながら、麻原家族の、アレフ教団裏支配の実態をよく知る人物です。



3.>>麻原の家族が、教団を裏支配するようになる以前の経緯

 麻原の家族が、2003年から、アレフを、ひそかに裏支配するようになった経緯については、その事情をよく知る野田氏の記事や、村岡氏の記事に掲載したとおりです。

それまで、麻原の家族は、1999年までのオウム真理教時代には、すでに逮捕されていた松本明香里(旧知子)以外の家族は、
教団の中で、麻原に次ぐ最も上の位階にあり、教団運営に関わっていました。

しかし、家族らが2003年にアレフをひそかに裏支配するようになる前の、2000年に発足したアレフ教団には、麻原の家族らは、構成員には含まれていませんでした。
それは、彼らの逮捕によって、離れざるを得なかった事情によりました。
その経緯の詳細を以下に掲載しておきます。 


4.>>麻原家族の教団裏支配の証言③ 上祐史浩 


  麻原の家族が、アレフ教団を裏から支配している事実についての
上祐史浩の証言を、上祐史浩個人の総括文(オウムの教訓サイト)より掲載します。



5.>>麻原家族の教団裏支配の証言④ 宗形真紀子

  麻原の家族が、アレフ教団を裏から支配している事実についての
宗形真紀子の証言を、宗形真紀子の個人総括文より抜粋してお伝えします。



6.>>麻原家族の教団裏支配の証言⑤ 細川美香

 麻原の家族が、アレフ教団を裏支配していることについての証言を、
細川美香の個人総括文から、抜粋してご紹介します。



7.>>麻原家族の教団裏支配の証言⑥ 広末晃敏


 麻原の家族が、アレフ教団を裏支配していることについての証言を
広末晃敏個人総括文から、抜粋してご紹介します。



8.>>麻原家族の教団裏支配の証言⑦ 水野愛子


 麻原の家族が、アレフ教団を裏支配していることについての証言を
水野愛子個人総括文から、抜粋してご紹介します。

麻原家族の教団裏支配の証言 ⑦水野愛子

 (2012-03-14 17:07:44 の記事)

 
麻原の家族が、アレフ教団を裏支配していることについての証言を
水野愛子個人総括文
から、抜粋してご紹介します。
※アレフを脱会する前、9年前、2003年頃に起こった出来事です。

水野愛子のつれづれ草(ひかりの輪活動レポートブログ)はこちら

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しかし、麻原の家族を中心として、麻原への信仰が強い者たちが、
麻原を外していく上祐氏の改革に強く反対するようになり
6月下旬(2003年)、
上祐氏は突然、長期修行入りという形を取った事実上の幽閉、失脚となってしまいました。

 それほどまでに、家族、特に妻(松本明香里)と三女(松本麗華)らの権力は強かったのです。
私は、突然、二宮氏に呼び出され「マイトレーヤ正大師が大魔境です」と告げられ、
一瞬言葉 を失うほど驚きました。
それまで、「上祐教でいいんだ」といっていたほどの改革派で、上祐氏のパートナーとして、
麻原色をなくした導きを推奨してきた二宮氏の発言とはとうてい思えませんでした。

●魔境と言われ修行入り:家族の指示で信徒の信頼を失い、上層部を信じられなくなった大きなできごと

その頃、他の師たちは三女に呼び出されて、知子夫人や複数の正悟師たちから、
上祐氏が魔境である旨をこんこんと諭された
ということでしたが、
私は三女から一度だけ電話があり、
「グルとの縁を相当に傷つけている。懺悔した方がよい」
と言われました。

上祐氏はその後10月頃までは月に一度の支部説法会には出てきていましたが、
そのほかは一切の連絡を絶たれ、パソコンも携帯電話も取り上げられ、
警備と称しての監視が続けられたということでした。

私は上祐氏に傾倒していて同じく魔境とされ、9月頃から京都道場での修行を命じられました。
それまで担当していた経理やお金、携帯電話も部署のサマナ(オウム用語:アレフの出家者)の管理となり
(私が上祐氏と連絡をとらないよう)、私の動向は監視されているのがわかりました。

24時間なにをしたかの報告を、
毎日二宮氏にファクスで送らなければならなかったのですが、
なかなか心が向かず修行できないでいると、「なんで修行できないんだ」と怒られたり、
抜き打ちで視察されることもあり、ますますやる気をなくしていきました。
(中略)

また、修行入りから一ヶ月ほどして、突然、信徒伝授用のプルシャ製品を作成することになり、
約一ヶ月半、400個以上の製品をひたすら作り続けることにな りました。
12月になり、セミナーで伝授されるそれらのストーゥパ(仏塔型の置物)がほぼできあがった頃、
突然の指示変更があったのです。そのストゥーパ の形がおかしいので伝授できないということでした。

しかし、作成前には十分な確認をしていたはずでした。
この指示は二宮氏を通さず、師を通して来たために、二宮氏も激怒し、
今後一切のプルシャ作成から(私を含めたチーム全体)撤退すると宣言しました。

それは、村岡氏が知子夫人(麻原の妻・松本明香里)に上げたためだった
(村岡が麻原妻の指示で動いていた)
ことが後々わかりました。
しかし、すでに、信徒さんには告知しており、注文も入っていました。
私は到底納得で きませんでしたが、300個以上のストゥーパを壊し破棄していきました。
昼夜を問わず細かい作業をしてやっと作り上げたものを壊す時の気持ちは行き場のな いものでした。
(中略)
 直接、知子夫人にいきさつを聞いて、自分の意見を聞いて欲しかったのですが、
家族と連絡を取る手段などありませんし、
(すでに疑念を持ち始め、怒っている 信徒さんもいたため)村岡氏に、
せめて信徒に事情説明と謝罪をして欲しいと頼んだのですが、
私が対応できないかと言われました。

これには、上は責任をとらないのかという思いが生じ、
私の家族側の正悟師や家族に対する不信感は決定的なものとなりました。

ワークをするようになって、上祐氏の修行入りの真の理由も耳に入るようになりました。
家族にとって、麻原は絶対の存在で、麻原をその位置づけから外すこと は許されないことでした。
被害者やそのご遺族のことは念頭になく、自分たちの信仰を守ることが大切で、
事件の反省もなかったことになります。

上祐氏がいかにおかしかったかの理由づけは、事実と大きく湾曲され、
ねじ曲げられていました。
荒木氏が主催した「おはなし会」はそのような嘘を堂々と吹聴していました。
(中略)

なぜ師補(第一番目のヨーガの成就者)である荒木氏が、自身より
はるかに高い成就をなした正大師(アレフの位階制度で最高位)
を批判できるのかは、
家族の指示だったから
でした。
二宮氏と家族の話し合いでは、上祐氏排除のために、過激なやり方も話題に出たと聞きました。

そして、上祐氏排斥は「グルの意思」だとまで言われました。
これらの強制的なやりかたは、教団上層部の本質が変わっていないと感じさせました。

家族は形式上は脱会してはいましたが、教団の意思決定には大いに関わっていたことは、
サマナなら誰でも知っていること
でした。

麻原家族の教団裏支配の証言 ⑥広末晃敏

 (2012-03-13 19:34:35 の記事)

 
麻原の家族が、アレフ教団を裏支配していることについての証言を
広末晃敏個人総括文から、抜粋してご紹介します。
※アレフ脱会前の2003年頃の出来事です。

広末晃敏プロフィール(二番目)

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●上祐改革の突然のストップ
 (2003年)
 
ところが、それからわずか3カ月ほどの2003年6月、上祐は定期的に集中修行に入るようになり、
同年10月には無期限の完全な修行入りとなって、一般信者から隔離されるようになりました。
一般信者に対しては「疲れがたまっているので回復のための修行」と説明されていました。
それにともない、上祐主導の改革はストップし、
教団は麻原個人崇拝カラーをどんどん強めていきました。つまり、昔に回帰していったのです。
会合の場で、いったんは皆で一致して改革に賛成したにもかかわらずです。

そして、上祐批判が始まりました。つまり

「上祐の改革は間違っていた」
「グルを犠牲にして"国民への愛"を説くのは間違いだった」
「上祐は魔境であった」
「"グル外し"をしておかしくなってしまった」
「上祐の言うことを聞いてはならない」

等と主張する「お話会」という名称の会合が、2003年後半から、
一部信者らによって繰り返し開かれるようになったのです。
この「お話会」は、建前上は教団非公式のものでしたが、
実質的には、大部分の信者が参加して話を聞くように求められました。
要するに、教団公式会合のようなものでした。

私は、この「お話会」には疑問を感じました。
もちろん、もともと上祐の改革に賛同していたからですが、
それ以外にも、お話会のやり方自体にも問題があると思ったのです。
なぜなら、お話会の内容のメインは、上祐に対する猛烈な批判なのですが、
当の上祐は修行に入れられ、信者から隔離され、
何の発言権、抗弁権も与えられていなかったからです。

つまり、法務部の私からすれば、まるで「欠席裁判」のように見えたのです。
このような欠席裁判で、一方的な批判を上祐に浴びせ続けるのはフェアではなく、
教団をまたいたずらに社会と対立させる方向に持っていくのも、
大変問題だと感じたのでした。

そこで、私は、こうした形での上祐批判は問題だという趣旨の発言を、
教団の中で繰り返したのでした。

●改革ストップの背後に松本家の存在 (2004年)

すると、このような上祐改革支持の私の発言が、たちまち松本家へ伝えられたようで、
松本家サイドから、私に牽制がかかり始めました。

松本家に近い複数の幹部から、

「私の発言を松本家が悲しんでいる、上祐は魔境でおかしいのだ

等と言われ、中には相当きつい表現で私を批判してくる幹部もいました。
それは2004年になってからのことでした。

このことから、上祐排撃の背後に松本家の存在があることが明確になりました
(このあたりの詳細については、この後アレフ代表に就任する野田成人による
『革命か戦争か―オウムはグローバル資本主義への警鐘だった』〈サイゾー刊〉にも記されています)。

また、上祐改革の一環として、麻原の説法集『ファイナルスピーチ』を
 
一部改変したことは先ほど述べたとおりですが、
この改変作業について、松本家に近いある信者が

「説法を勝手に修正して、松本家の皆さんが悲しんでいる」

と述べて、批判してきたこともありました。

2004年は、こうした感じで
「反上祐で松本家支持」という風潮が、教団内で圧倒的かつ支配的でした。
そんな中を、私をはじめとするごく少数の上祐支持の信者が、
細々と発言を続けているという状況でした。

というのも、教団では、松本家の人々は、きわめて高い地位を与えられていましたから、
無理もありません。
麻原は、1996年の破防法手続の際に、教祖の地位を降りましたが、
その際に第二代教祖として指名したのが、松本家の長男と次男でした。

また、それ以外の長女から四女についても、
「全てのステージの上に置く」と規定していましたから、
正大師というステージにあった上祐よりも、
松本家の人々は、はるかに教団内の地位が高かったのです。

松本家の人々は、麻原が絶対視・神格化されていた状況の中では、
ほとんど神に準じるような扱いを受けてきた
のであり、
その前では教団代表の上祐も吹き飛んでしまうような権威がありました。

ですから、上祐主導の改革を批判し、上祐を封じ込めることは、
松本家にとってみれば易しいことで、
だからこそ大部分の信者は、
急きょ手のひらを返して上祐の改革に反対し、松本家に賛同したのです。

グルである麻原の意思に沿うことが最も価値あるとされていた教団の中では、
上祐よりも地位が高いと麻原自身が定めた松本家の人々に従わないということは、
すなわち麻原への反逆を意味することになる
のです。

そういう意味では、私が麻原へ"反逆"し出したのは、
この時期からということになるのかもしれません。

●上祐派(代表派)を旗揚げする

私は松本家サイドの言うことには納得できず、度重なる説得を受けましたが、
応じませんでした。


「上祐の言うことを聞くことはグルの意思に反することになる」
「グルへの裏切りになる」
そういう意味の忠告を受けたことも何度かあります。

ですが、私にとっては、松本家の言うことに従うよりも、つまりグルの意思に従うよりも、
自分自身の良心に従いたいという気持ちが強まっていました。

グルの意思を主張する人たちは、
この教団と社会との対立を解決するための方法を持ち合わせていない、
社会の人たちの苦しみや教団への反感、
そしてそこから生じている教団信者や元信者の苦しみも解決しようとしていない、
ただ単にグルにすがれば、ひたすらグルの救済を待てばよいという消極的な考えだけだ、
これが本当の仏の道であろうか、本当に人々のためになる道なのだろうか
――という私の心の中の叫びが、いわゆる「グルの意思」に反逆する道を選ばせたのです。

そういうと何だか格好良く聞こえますが、
それも、上祐が先鞭を付けていたからこそ、私にできたことなのかもしれません。

そ う思っていたときに、上祐と会う機会が訪れました。2004年当時は、上祐は、一般信者との接触を禁じられ、自室で修行をさせられていました。あるとき、 警察か公安調査庁が、強制捜査か立入検査のために上祐の部屋に入った際、私は立会人として上祐の部屋に入り込み、立ち会いました。当局が引き揚げた後、私 は上祐と二人だけになるチャンスがあったので、すかさず、上祐や改革について教団でいろいろ批判されていることをどう思うか、尋ねてみたのです。
私は、てっきり上祐から、いろいろな反論があるものと予想していました。しかし、意に反して、上祐の答えは「何が正しいか正しくないか、あれかこれかという論争を超えたところに、真実はある」というものでした。
私はそれを聞いて、ハッとし、その吹っ切れた様を見て、少なくとも上祐を批判している人たちが言っているような魔境状態だとは上祐のことを思えませんでした。むしろ、批判している人たちとは次元の違った境地に至っているように見えました。

 それを機に、上祐と連絡をとり始めました。ちょうどその時期、上祐が原告になっている民事裁判があったので、その打ち合わせのためという口実で接触する機会を持てたということも奏功しました。
  私は、上祐と話を重ねた結果、かつての改革は、社会との調和を重視するという観点から基本的には間違ってはいないという確信を深めました。そこで、それま でに同調していた数少ない仲間と一緒に、私を含むたった4名で、上祐支持をアピールする会合を公然と本部施設で開いたのです。2004年11月末のことで す。そこで、上祐改革の正当性について訴えました。

その会合には、上祐を批判する人たちも大勢訪れ、かなりの論戦となりました。
それをきっかけとして、上祐を支持する人たちが徐々に集まり始め、
「代表派」を名乗るようになりました。
実権を奪われていたとはいえ、一応は上祐が教団の代表だったからです。

これが「代表派」の旗揚げとなりました
(なお、これ以降は、文意をわかりやすくするため、「代表派」のことを「上祐派」と記します)。

その一方、上祐を批判していた多くの人たちも、さらなる結束を固めていきました。
この人たちは当初、麻原の意思を正統に受け継ぐ者たちという意味で「正統派」を自称しましたが、
その後、そもそもこれは派閥争いではない、
上祐派は派閥などではない、単なる魔境の集団である
というスタンスに立って、自らを派閥とする呼称はやめたようです。

ただし、私たちは便宜上、「代表(上祐)派に反対する人たち」という意味で「反代表派」と呼んでいました
(以下の文中では「反代表派」のことを「反上祐派」と記します)

●上祐派と反上祐派の衝突の激化

こうして上祐派が旗揚げされたことで、2005年になると、反上祐派(こちらの方が圧倒的多数でしたが)は、
上祐派の封じ込めのための活動を盛んにしていきました。

反上祐派は、再び「お話会」という会合を繰り返し開いて、
上祐改革への反省のないまま上祐が活動を再開するのは許せない」
と主張をしました。

反上祐派のスタンスは、麻原を表に出さず仏教の空を追求するという上祐の改革は、
信者を麻原から引き離すものだったから反省すべきである、というものでした。
 
そして2005年5月、上祐が、長野県の戸隠神社一帯で修行をしたことを突き止めた反上祐派は、

「神社で修行するのは、やはり魔境である証拠」

として、上祐を激しく批判しました。

それも、数十名以上が集まる幹部会合の場で、上祐不在の場所で、
上祐への問い合わせを事前にすることなく、いきなり発表して、批判しました。
これも欠席裁判のようなものでした。

従来の麻原や教団の考えでは、
麻原が許可を出した場所や教団施設は聖なる場所だが、
そうではない一般の神社・仏閣は、エネルギー状態の悪い魔境エリアだとされてきました。
そのような神社で修行をする上祐も、当然に魔境だとされたわけです。

私たちは、神道はともかく仏教には親しみを感じてきた信者らに配慮し、

「神社といっても、もともとは観音信仰の寺院があった場所であり、
つまりオウム・アレフで親しんできた仏教と縁の深い場所である」と説明しました。

しかし、

「とにかく一般の神社・仏閣は全部ダメ」

ということで、全く受けいれられませんでした。
自分たち以外の教団を全面否定するというカルトの典型的な特徴が明確にあらわれていました。
こうして、上祐批判がいっそう激しく展開されるようになりました。

麻原家族の教団裏支配の証言 ⑤細川美香

 (2012-03-12 19:10:52 の記事)

 
麻原の家族が、アレフ教団を裏支配していることについての証言を、
細川美香の個人総括文から、抜粋してご紹介します。
※アレフ脱会前の2003年頃の出来事です。

細川美香プロフィール(三番目)

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●上祐代表の改革の頓挫と、松本家の人たちへの失望2003年)

2003年に入ると、今までのアーレフのやり方では、よくないのではないか
ということにより、改革がスタートしてきました。これは麻原色をなくしていく、というものでした。

この改革は、初めこそ、勢いに乗っていましたが、改革への反発が生じはじめ、
徐々に動きが鈍くなっていき、ついには、頓挫することになりました。
そして、私にとっては、その頓挫は、突然に起こったのです。
2003年の6月の下旬のことです。

その日は、烏山本部に道場のリーダー格の人が集まり、上祐代表とミーティングを行っていました。
ミーティングが終わり、その帰り道に仲間の一人と喫茶店に入り、
法則の話など、いろんな話をしていたところ、携帯電話が鳴りました。

その電話に出てみると、聞き慣れない声で、「お姉さん、誰だかわかる?」と言われました。
初めはわからなかったので、「誰でしょう、よくわかりません。」と答えました。
そして、沈黙何十秒後に、「もしかして、アーチャリー正大師ですか?」といったところ、
「忘れてしまうなんて、お姉さんひどいね」と言われたので、
「そんなの無理ないですよ、7年以上話をしていないわけですから」と言いました。

アーチャリー正大師とは、麻原の三女で、松本麗華さんのことです。
彼女はなにか周りをひどく警戒しているようで、周りに誰かいないかを確認してから、話を始めました。

その内容は、まずは、私の個人的な話から始まり、そのことについて、

お姉さんは、尊師(麻原)との縁を傷つけた。
このままだと地獄に堕ちるから、このマントラを唱えたほうが良い
」と言われました。

れは、脅しと同じような感じでした。
その後
シャクティーパットの影響で、上祐代表の調子が悪い、おかしい

という話になり、

上祐代表を修行に入れ たい

と言うに話になりました。
そして、
そのために協力して欲しいことがある

ということでした。
できれば、直接会って話をしたいということでしたので、指定された場所に向かいました。

その時、一緒にいた仲間は、同じころ二宮さんから電話をもらっており、
お互いに話の内容については触れず、これから何が起こるのかな、
という思いを抱きつつ、一緒に電車に乗ったのです。

 駅に着いて、アーチャリー正大師を待っている間、生きた心地がしませんでした。
なぜなら、この6月には、私のとって大きな変化出来事がありましたが、
それについても悩んでいる時期でもあり、
アーチャリー正大師の話次第では、どうなるかわからない、と思ったからなのです。

「ああ、私はなんてカルマが悪いんだろう」と、半分、泣きそうになる気持ちを抑え、
緊張しながら、彼女が来るのを待っていました。

●松本家の人々に再会する

そして、約7年ぶりにアーチャリー正大師と再会しました。
彼女は背が伸びており、女性らしくなっていました。
駅の改札を出て、あまり人目につかないところで、立ち話で2時間くらいだったでしょうか、話を聞きました。
 
その内容は、ひたすら上祐代表の悪口(と思えた)でした。

彼女の話は、私が腑に落ちない点がいくつかあったのですが、
ここで逆らっても仕方がない、と思い、ひたすら話を聞いていました。

幾分、話をしているうちに、私の緊張も取れていき、十分、話を伝えきれたと
思った彼女は、
「お姉さん、だいぶ理解したみたいだね。」と言い、
「次は、もっとびっくりさせてあげる」と言われ、私を次の場所に連れて行きました。

再び電車に乗り、とある駅で降り、そこからしばらく歩いて着いた場所は、カラオケボックスでした。
そのまま促され、部屋に入ると、そこには、なんと、次女であるカーリー、
麻原の奥さんである、知子さん(現松本明香里)がいた
のです。
そして、二宮さん、その時、一緒にいた仲間も、すでにその部屋にいました。

私たちは久し振りの再会に、多少の世間話や、昔話をしました。
その後、現状の話を少しされました。 
そして、まだ、今から人がここに来るから、呼ぶまで、違う部屋で待機しているように言われました。

違う部屋に行き、もう一人の仲間と待っていたら、村岡さんが来ました。
彼女はこの成り行きを知っているようで、余裕な感じを受けました。
呼ばれるまで、カラオケを歌ったり、話しをしていました。

しばらくすると、先ほどの部屋に呼ばれましたので、
行ってみると、そこには数名の道場活動の師の人達がいました。
そして、三女が、上祐代表の問題点をいくつか話をし、最後に、

今日、ここで話をしたことは、決して誰にも言わないように。
 この場所に集まった人達同士でも話をしないように。
 上祐代表にも、もちろん言わないように
」と、きつく言われたのです。
 
さらに、
せっかくだから、長男、次男に対して、
 お布施ができる良い機会だから、みんなお布施したらどう
と言われました。

私はそれについては、抵抗があったものの、他のみんなが素直にお布施するのを見て、
「ここでしないのも、今後、活動がしづらくなるから、形だけでもしておこう」と思い、お布施をしました。

話し合いが終わった時間は、深夜になっていましたので、
カラオケボックスで始発が来るまで待ちました。

その間、もう一人の仲間と、「どうしよう、大変なことになったね」と、
お互いに言い、今は気分を変えるしかない、ということになり、
時間になるまでカラオケを歌い、なんとか自分の気持ちを紛らわしたのです。

●上祐代表にも呼ばれる

しかし、そこで待っている間に、上祐代表の秘書から電話が入ってきたのです。
緊張しながら電話にでたところ、明日の朝7時から東京道場で代表がミーティングをしたい、
と言っているが、来れるか、ということでした。

私は、「大丈夫です」と、返事をしたものの、
「どうしよう、明日、上祐代表に会わないといけない。
でも、今日の出来事を気付かれてはいけないから。困ったな」と思っていたのです。

そして、次の日の朝、ミーティングで上祐代表に会いましたが、
昨日の事がバレたら困ると思い、まともに、顔を見ることができませんでした。

ミーティングを進めているうちに、昨日ミーティングに参加した師の人たちを乗せた車が、
東名高速で事故を起こしたという知らせが入ってきました。

私は即座に、「昨日の人たちだ。やっぱり、あの出来事は、良くなかったんだ」と思い、
ますます、どうして良いかわからず、考え込んでしまいました。

なんとかその場をやり過ごし、船橋道場に戻りました。
しかし、昨日の出来事が、そして、事故のことが頭をぐるぐる周り、ワークどころではありませんでした。
そんな中でも、上祐代表が出した指示に反発するかのように、違う指示が回ってくるのです。
私は頭が混乱し、苦しみもピークに達していました。

もう、こんな状態では、ワークもできない。そして、正大師同士で争っている。
こんな教団で今後、続けていくこともできないと思い、出家して以来、初めて教団を出ることを考えました。

そんな状況に陥っているとき、先に麻原の三女に会ったある師の人から、
私の様子がおかしいことを聞いた上祐代表が、心配して電話をしてきたのです。

だからと言って、本当のことを話をすることはできませんから、
最初は聞かれたことに対して、お話しできません、と答えました。

しかし、代表は「もう、知っているから、話をしなさい」と言いましたので、
私は、泣きながら、
「もう、こんな教団ではやっていくことはできません。代表に対しても疑念があります。」と叫びました。
 

それに対して代表は、話を聞くから、すぐに烏山に来るように言われたので、準備をし、私は烏山に行きました。
烏山に着き、上祐代表に会い、私は自分の体験したこと、そこから出た疑念について、質問しました。
そして、しばらく話しをした後、違う部屋で待機しているように言われ、待っていました。

そこで待っているとき、三女から何度も携帯に電話が入りましたが、一度も出ませんでした。
そして、その日のお昼過ぎ、二宮氏が電話を私に持ってきて、
出るように言われたので、出てみたところ、三女からでした。

三女は、私に、「なぜ電話にでなかったか」を聞き、
次に、
三女に会った人たちがその直後に事故を起こした件について、
「上祐代表にその話をしたのは私なのか」と聞かれたので、「
そうです」と答えました。

●混乱する教団の中で麻原や事件のことを考える
 
この2003年の6月の後、10月に至って、上祐代表は、完全に修行に籠もる、
すなわち、教団の活動から離れることになりました(離されました)。

そして、教団は混乱をきわめていました。
反上祐派と言われる人たちが、いろんなところで、「上祐代表の改革は失敗だった」
という話をするための「お話会」と呼ばれる会合が続けられていました。

私も一度、誘われたので、参加して話を聞いてみました。
話の内容は、上祐代表がおかしくなっていく過程、それに伴い、おかしな出来事が起きた、という話しの展開でした。

しかし、私がその話を聞いて思ったことは、話の内容はこじつけが多く、
無理な論理展開をしており、私には納得できない事が多くありました。
疑問に感じたこと、納得できないことを、お話会が終わった後に、いくつか質問をしました。
当然、明確な回答はもらえませんでした。

こんなお話会に出ても仕方ないな、と思い、今度誘われた時は、断ろうと思いました。
そんな心配をしなくても、その後は、一度も、お話会には誘われませんでした。

その一方で、私は、2003年の終わりから2004年の初冬にかけて、
麻原のこと、そして、自分の今後の信仰形態、教団のあり方について、深く考えるようになっていきました。

麻原家族の教団裏支配の証言 ④宗形真紀子

 (2012-03-11 18:43:01 の記事)

麻原の家族(妻と三女が中心)が、アレフ教団を裏から支配している事実についての
宗形真紀子の証言を、書籍『二十歳からの20年間―――オウムの青春の魔境を超えてから
抜粋してお伝えします。

※アレフ脱会前の2003年~2004年に、麻原家の家族(妻と三女)の関与により経験した出来事です。


宗形真紀子プロフィール 
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●突然の、教団活動からの排除


 それから一ヶ月ほど経った二〇〇三年の六月に、さらに、予想外の出来事が起こりました。

 ある日突然、わたしは、麻原家(三女)から、上祐と一緒に教団活動を排除され、修行入りを命じられてしまったのです。

 麻原家は、逮捕されたことでアレフ教団に入会していなかったものの、その後、麻原の妻の松本知子が出所して麻原家に戻った影響もあってか、このときから秘密裏に教団運営の指示を出すようになっていったのです。

 麻原の三女や妻たちは、教団を改革していこうとする上祐の活動をよく思わなかったために、ひそかに上祐を教団活動から外すための協力者を募って準備していたということでした。

 表向きには「修行入り」という名目でしたが、実質は、教団活動からの排除でした。私は持っていた携帯電話やお金やパソコンなどを没収され、東京から長野県の郊外にある施設へと隔離されました。

 上祐は実質、麻原家(三女ら)により監視役をつけられ自室マンションに閉じこもる、謹慎のような処遇となりました。

 それまで一緒にやってきていた、修行仲間だと思っていた幹部の友人たちすべてが、麻原の家族たちの指示に従い、一夜にして、豹変したように、上祐や、上祐の路線を進めていたわたしなどを「麻原の意思を外した魔境」(悪魔が取り憑いている)と断定して糾弾する側に回ったのです。

 わたしは、最初は、その突然の、話し合いの余地のない理不尽なやり方に、まったく納得がいかず苦しみました。上祐が教団に戻ってくる前は、崩壊寸前の教団を立て直すことができるのは上祐しかいないとすがりつくように頼り、その後、上祐のおかげで、崩壊寸前の教団をなんとか立て直すことができたにもかかわらず、上層部のみんなが、その恩を仇で返すような行動に出たように感じられて、わたしはとてもショックを受けました。

 麻原三女から電話がかかってきたときには、わたしは上記のようなことを述べて、激しく反発しましたが、わたしも、上祐も、麻原の意思を外している「魔境」に入って、麻原への帰依が足りなくなっているから、今は修行に入って、麻原を観想し、麻原にすがって救ってもらうしかないということでした。

 麻原家(三女と妻ら)の主張では、上祐は、悪魔が取り憑いている、プライド魔境、権力魔境、性欲魔境などと言われていました。上祐はグルに成り代わろうとする野望を持って自らのグル化をすすめ、教団改革と称して、グルの絶対性を否定したり、グルが禁じた「外道」の神社仏閣に行ったり、グルと違う「外道」の教えを説いたりして、グルの意思を外しているということでした。当然、それを精力的に手伝っていたわたしも、同じように、グルの意思を外し、悪魔が取り憑いた魔境に陥っているということでした。


●荒木が麻原家の指示を受けて行動

 わたしが教団活動から排除されてしばらくすると、教団の中では、上祐への反発が、いっそう激化していきました。上祐やわたしなどのいないところで「上祐やわたしなどが、いかに麻原の意思を外した魔境であるか」と糾弾する「お話し会」という活動などが活発化していきました。

 その中心人物は、信じられないことに、少し前まで一緒に上祐の下で秘書をしていた荒木でした。わたしは最初、「どうして荒木君が?」と耳を疑いましたが、荒木が、麻原家の指示を受けて行動していることなどを知り、徐々に事情がわかってきました。

 その理由は、麻原に帰依する人たちからすれば、麻原の意思と違うことをするとしか思えない、上祐やわたしなどに耐えられないということでした。

 特に、絶対で完全で、神の化身で、最終解脱者であるはずの麻原が、上祐の言うように「悪業や失敗を犯した存在」となると、信仰が続けられなくなってしまうというオウム・麻原信仰の根幹にかかわる反発だったのです。

 幹部の会合では、上祐を呼び捨てにして、嫌悪丸出しの傲慢な態度で、直接的に罵倒する人たちもいました。わたし自身も、あからさまに個人的な批判や皮肉や悪口の的になりました。ほかにもいろいろあるのですが、これらの非常に激しい排除の行動を見て、逆におかしいと言って辞めていく人も多数出たほどでした。

 それらの非常に激しい排除の行動に直面したわたしは、しばらく見つめていくうちに、同じ信仰を持つ人たちに対しては、たいへん優しくいい人たちなのに、同じ信仰でないと思った人に対しては、自分たちが信じる「真理」の名のもとに、豹変したようになって、非常に苛烈な行動に出るという性質に気づかされました。

 そして、まさにそれこそが、社会から見れば、まさしく自分が実践してきた「オウムそのもの」なのではないかと感じ、その宗教テロの原因はこういったことだったのかと愕然としました。わたしが今まで、オウムの側から社会に対してやってきたことを、教団内部での意見対立を通して、過去の自分の姿をそこに見せられているように感じ、たいへん考えさせられました。

 彼らが、「グルを外した」という意味で上祐やわたしなどを批判するのに使う言葉「魔境」とは、本当は、オウムそのもののこういった性質こそを指しているのだと気づきました。


(略)

●麻原家の反対を押し切り、上祐が活動を再開

 二〇〇四年の一一月には、上祐は、麻原家やその意向に従う人たちの強い反対を押し切るかたちで、上祐の教団改革を支持する人たちとともに、教団活動に復帰したことを聞きました。
 このときは、麻原家の家族が、教団役員を無視し、独裁的に教団内の指示を出すようになり、様々な混乱が生じていました。

 最後に、教団分裂の様子と、オウム・アレフを脱会するまでの経緯について、補足しておきたいと思います。

 

●アレフ信者の上祐への反発の理由

  重大な問題は、同じ教団内に、「事件を否定し認め、麻原を相対化すると、オウム・麻原信仰が維持できなくなる、それは嫌だ」という人たちが、想像よりもたくさんいたことがわかったということでした。

 そのため、上祐が二〇〇四年の一一月に、麻原家とそれに従う人たちの強い反対を押し切る形で、教団活動に復帰した後、わたしは友人たちと一緒に、事件については、ブログなどで以下のことを行ないました。

 これまでの事実の説明をし、現象をありのままに見ない信仰実践が盲信・狂信となる恐れがあることを警告し、事件関与を否定したり、事件がなかったかのような振る舞いをしたりすることの問題を訴え、内部信者へのリンチ殺人を含めた事件の年表を掲示したりしました。

 しかし、これらは大きな反発を呼び、逆にあの手この手で、活動を抑え込もうとされてしまいました。上祐らと接触した人を、かつてのわたしと同じように、アレフ教団活動から排除して修行に入れ、見せしめとしたり(このことは「魔女狩り」と呼ばれていた)、「上祐には悪魔が取り憑いているので、上祐と話すと、グルとの縁が切れて地獄に堕ちる」と圧力をかけたり、上祐の事実に反する批判を広めたり、ブログ禁止令を出したりといった具合でした。

 これらの活動により、教団内の信者たちは、おのずと自身の選択を迫られるかたちとなっていき、実質的に内部対立が激化し、大きく分けると反上祐派・上祐派・中間派の三つに分裂していきました。

 

●オウム・アレフからの脱会

  こうして二〇〇六年の初頭まで、アレフ教団との話し合いを何度も試みましたが、宗教観・社会観がまったく違うため、平行線をたどり、最終的には、主流派(反上祐派)が話し合いを拒否するかたちで決別していきました。

 わたしは、反上祐派の激しい反発を直接的に経験した結果、同じ教団で十数年もすごしてきたにもかかわらず、人によって宗教観がまったく違っていたことや、この一八〇度逆とも言える転換が、一度はまった信者には、非常に難しいことを思い知りました。理解してもらえるだろう、と思っていた人でも、かなり多くの人が賛同してはくれませんでした。


麻原家族の教団裏支配の証言 ③上祐史浩 

 (2012-03-09 23:40:47 の記事)

 
麻原の家族が、アレフ教団を裏から支配している事実についての
上祐史浩の証言を、上祐史浩個人の総括文(オウムの教訓サイト)より掲載します。


■松本家の反対で、教団改革が停止される
(2003年後半)

 私は改革を進めようとしたが、一言でいえば、信者の麻原信仰と、それを維持しようとする麻原の家族によって、2003年の4月頃からブレーキが掛かり始めた。

  教団改革を止めた麻原の家族の中心は、麻原の妻・三女・次女であるが、この辺の動きは、当時正悟師という最高幹部の地位にあった野田成人が、月刊誌(『現 代』2008年01月01日号 記事①  記事②)で告白している。

それによると、麻原の家族が、私に秘して、彼ら正悟師に連絡をし、私を教団運営から外すための協力を求め られたという。

 その結果、麻原家族と、その要求を受け入れた正悟師達の意見の結果として、2003年の6月頃から、私は、教団運 営を離れて、いわゆる籠もった形の修行に入らざるを得ない状況となった(いわゆる世間で上祐の幽閉と呼ばれる)。そして、10月の末からは、一切の教団運 営から退き、信者の前から姿を消す形になった。

 今思えば、仮に、この時点で、私が、強い意思を持って、自分の考えを貫いて、教団 運営から身を引かずに、自分に賛同する人たちと共に、自分の道を歩んだならば、後に麻原信仰を脱却していく者達は、より多かったと思う。しかし、その当時 の私は、徐々に変化を始めていたとはいえ、依然として、麻原への依存が残っており、そのために、麻原の家族に従う考え方からも脱却できていなかった。

 特に、私が妥協しなければ、教団の中に闘争が起こり、教団分裂に至ることは必然であり、オウムの教義では、教団分裂は無間地獄に落ちる悪業とされていた。また、麻原の家族は、父親譲りの表現で、「戦争だ」「戦う」という言葉で、明確に警告していた。(中略)

 そして、家族とそれに従う信者達は、2003年の6月以降、具体的な教団運営において、私に賛同する者や、明確に反対しない者について、「魔境である」、 「悪魔に取り憑かれている」と批判し、教団活動から排斥した。

また、信者に対しては、私達と接触しないように圧力をかけ、接触すれば批判し、活動から排斥 することもあった。


●反代表派の中の大きな変化が始まる


2006年3月には、もう一つ大きな変化があった。村岡達子を含めた正統派の幹部が、中間派に転じるという事態だった。

転向した村岡らは、正統派からは裏切り者扱いを受け、教団活動から排除され、後に脱会する。野田成人を含めた他の正悟師も、一人を除いては脱会する。

村岡の転向は、麻原家族の中での意見の対立だった。

麻原の四女と、麻原の三女と妻の間の対立で、三女や母親に反発して松本家を出て、村岡らと個人的に接触したところ、村岡らが共鳴し、正統派を離脱した。

同時に、正統派は、代表派を物理的・経済的に切り離しそうとしていた。正統派の信者の一部には、魔境である代表派とは一緒の施設に住みたくないとか、代表派が含まれている教団の活動には布施をしたくないと考える者が出てきたということだった。

それと同時に、代表派の方では、前に述べたとおり、私を含めたメンバーの心境の変化が徐々に進み、アレフ教団から離れて、麻原を脱却した、新たな団体を作り、新しい独自の道を歩くことを考え始めていた。

また、正統派との話し合いの経験を通して、正統派の物の考え方が変わるには、もっと時間が必要だろうと思われた。

この結果、代表派と正統派の居住区域を分別し。会計を独立させることで合意した。その合意と前後して、5月半ばには、私が、脱会して新団体を設立する意図や趣旨を説明した。


●麻原家族への捜査と反社会的な行為

この頃、教団は、麻原の妻が描いた 宗教画に対する使用料の支払いという名目で、麻原家族に対する多額の援助をしていた。

しかし、家族には、その娘と同居する者を含め、家族とともに脱会した 形をとった信者による布施があり、現在の状況を考えると、教団からの多額の援助は社会の理解を得られず、問題になるだろうと考えた。

そこで、正統派に対し て繰り返し、それを取りやめるか、経済的な理由でどうしても必要ならば、家族から事情説明を受けるように求めたが、家族への帰依を背景として、彼らは拒絶 した。
しかし、7月には、警視庁が、麻原家族とその関係者を強制捜査する事態が発生し、それに伴い、正統派から家族に多額のお金 が流れていることが報道されて、批判される事態となった。他の正悟師も、正統派に再考を求めたが拒絶された(脱会後は、よく分からないが、今も続いている 可能性がある)。

さらに、詐欺裁判の問題があった。

大学からオウム関係者として入学拒否をされた三女が、自分は教団と関係ないと偽って、大学に勝訴して賠償金を得た裁判がある。これについても警視庁は、摘発を検討したという情報があった(実際にはされなかったが)。

また、8月には、家族から家出をした四女が、家族から自立するために、江川紹子氏を後見人とする裁判を提起する中で、「家族は教団と関係ないと嘘をついて、教団を支配し、信者に貢がせて贅沢な生活をしている」等と述べ、事態は悪化し続けた。

 ただし、2008年になると、この四女が、実は、江川紹子氏との約束に反して、秘密裏に自分に従う麻原信者のグループを作る活動をし始め、それに疑問を 持った彼女の側近信者が、私を含め、ひかりの輪に連絡をしてきた。

それが江川氏の知るところになると、四女は江川氏から離れ、江川氏も、後見人を辞任する という事態が発生した。

麻原の家族が、教団を裏支配するようになる以前の経緯

 (2012-03-09 23:13:36 の記事)

 
麻原の家族が、2003年から、アレフを、ひそかに裏支配するようになった経緯については、
その事情をよく知る野田氏① 野田氏②の記事や、村岡氏の記事に掲載したとおりです。

それまで、麻原の家族は、1999年までのオウム真理教時代には、
すでに逮捕されていた松本明香里(旧知子)以外の家族は、
教団の中で、麻原に次ぐ最も上の位階にあり、教団運営に関わっていました。

しかし、家族らが2003年にアレフをひそかに裏支配するようになる前の
2000年に発足したアレフ教団には、麻原の家族らは、構成員には含まれていませんでした。
それは、彼らの逮捕によって、離れざるを得なかった事情によりました。
その経緯の詳細を以下に掲載しておきます。
 

上祐史浩個人総括文より抜粋

 こういった状況の中で、私は1999年の暮れに教団に戻りました。戻るとすぐに、私は、正悟師と麻原の家族らと、そして社会対応関係の担当幹部と話し合いをして、今後の対応について協議しました。その結果が、2000年初頭のいわゆるアーレフ体制の発足となります。
 私が戻ったときに受けた印象では、教団のリーダー達の意見は、非常に悲観的で、かつ、まとまっていない面がありました。

 (中略)

 教団のまとまりという点については、麻原の家族と正悟師の間の対立が多少なりともありましたが、それは、麻原の家族がアーレフには入会せず、教団の運営から離れ、私と正悟師らが教団を主に運営することになったため、それ以上は大きな問題とはなりませんでした。

 麻原の家族が教団を離れたのは、アーレフ体制の発足直前に、麻原の長女と次女・三女との間で争いが起き、長女の住居に不法侵入したという容疑で次女・三女が警察に逮捕されたことがきっかけです。

 次女と三女が逮捕・勾留される中で、長男は児童相談所に保護されました。こうして、麻原の家族は、教団を自分の意志で離れたというよりも、離れざるを得なくなったのです。

 

宗形真紀子個人総括文より抜粋


松本家の子女全員の脱会

 なお、アーレフが発足する直前に、通称「旭村事件」といわれる事件により、松本家の子女が全員オウム教団を離れざるを得ない事態が起こりました。

 それは、松本家の家族間の対立(兄弟げんか)で、長女対次女・三女という図式で、長女の部屋に次女と三女が不法侵入したという容疑で、次女と三女が警察に逮捕され、少年院行きとなるという事態でした。

 長男は児童相談所に保護され、精神を病んでいた長女はその事件のあと、家出して放浪生活中に窃盗罪で逮捕され、すぐに釈放されたものの、精神病院に入院、通院する生活となってしまいました。
 このようなことにより、松本家の子女は全員、自らの意志というよりも、教団を離れざるを得ない事情に各自がなっていき、自動的にアーレフに入会せず、教団運営から離れざるを得なくなりました。

 これらの出来事により松本家の子女に対する幻滅感も広がり、「麻原の子女は麻原との血のつながりのために最もステージが高い」とされるそれまでの教団内でのステージ制度は崩壊の兆しを見せ始めました。

麻原家族の裏支配の証言 ②アレフを脱会した元幹部(村岡達子氏・元アレフ会長)

 (2012-03-08 22:40:05 の記事)

 
昨年、2011年の6月に、村岡達子氏がアレフを脱会していたことを、8月に出た週刊誌で知りました。

 脱会した「村岡達子」元アーレフ会長の「さらば麻原一家」
 (週刊新潮 2011年8月11・18日号)

との見出しの記事でした。

村岡達子氏(61)は、アレフの中の位階制度では、「正悟師」という
教団に数人ほどしかいない最高幹部の立場にあり、アレフの会長職を勤めていた人物です。

この見出しにあるとおり、村岡氏は、2007年にわたしたちがアレフを脱会するまでは、
麻原の家族の側に立って、上祐側のわたしたちと対立していましたので、
当然のことながら、麻原家族の、アレフ教団裏支配の実態をよく知る人物です。

しかし、心境の変化があったのか、半年以上前に、脱会していたようです。

前述の週刊誌にも、以下のように経緯が書かれていました。

  「6月6日付けで退会届を出しました。退会時の肩書きはありません。」

  「3年ぐらい前から、私は信者でありながら全く教団に関わっていない状態でした。
   追い出されるような形で(中略)教団所有のアパートに住んでいたのです。
   教団から私は“おかしい人”と思われていたんです」


上祐代表は、アレフ時代の2003年に、麻原を目立たなくする教団改革を始めたのですが、
それに猛反発した
麻原の妻の松本明香里(旧知子)や三女の麗華(アーチャリー)が、
アレフの構成員でないにもかかわらず、教団を裏から支配するようになっていったのです。

村岡氏は、記事の中で、以下のように述べています。

  「上祐さんが、“尊師のことを全面に出さないように”と、
   在家・出家の両方の信者を集めて呼びかける一方、
   三女は“上祐のことを放置しすぎた”と後悔していました。
   麻原一族は上祐さんに危機感を募らせ、実力で抑えにかかったのです」


その後、上祐代表は、修行と言う名目で実質、教団運営から外される形となり、
監視役もつけられたある意味幽閉状態のような状況になりました。
その当時の村岡氏は、麻原家族とともに、反上祐の姿勢を強め、上祐排斥の活動を精力的に行っていました。
その後、2004年に、上祐代表は、麻原家族の意向と反する形で、独自の活動を始めたため、
教団は、「上祐派」と「主流派(麻原家族派・反上祐派)」が対立を強めることとなりました。


 村岡氏は、記事の中で以下のように述べています。

  「そこからはもう、陣取り合戦みたいになって。
   尊師の奥さんは、”上祐は教団を乗っ取ろうとしている”
   と親しい信者たちにメールを送り付けていました。
   実際、仙台や船橋といった道場が上祐派に押さえられましたが、
   アーチャリー派も強かった。
   何しろ経理やメディアを握っていましたから」

 
その後、2006年になって、麻原四女が茨木県龍ケ崎市の家から出てきた後のことを、
村岡氏は記事中で以下のように述べています。

  「ある日、突然連絡があって”三女が長男に暴力をふるっている”と彼女が言うのです。
   それで相談に乗っているうちに彼女と通じるものがあると気がついたんです。(中略)
   上祐さんとアーチャリーの泥沼の抗争を収めるためには、
   2人(※妻と三女)より霊性の高い四女に教団に入ってもらうしかない。私はそう思ったのです」

 
しかし、その後、四女の影響力が大きくなってきたことを警戒した麻原の妻の松本明香里(旧知子)と三女の麗華は
四女を支持する村岡氏を、上祐代表や野田氏のように今度は教団運営から実質上外したため、
村岡氏は、昨年まで数年の間、教団の中で居場所のない状態が続いていたとのことでした。

このように、麻原の家族は、自分たちに従わない者を次々と外してくといった、
独裁体制のような運営を続けているため、現在のアレフの幹部は、
麻原の家族に従う者たちで構成されていると考えられます。

村岡氏は記事中で以下のように述べています。

 「尊師の奥さんが電話をかけてきて、”彼女(四女)の言うこと信じるの!?”と詰め寄られたこともありました」

以上のように、
麻原家族による、教団裏支配の状況は、多くの人が証言しています。

麻原家族の裏支配の証言 ①アレフを脱会した元幹部(野田成人氏)

(2012-03-06 22:58:57 の記事)

以下の記事でご紹介したとおり、
現在、アレフは、麻原の家族による教団裏支配の実態を隠蔽し、社会を欺いていますが、
>>「アレフ信者、松本死刑囚の妻子に指導仰ぐ文書」2012年1月24日読売新聞)
>>アレフが賠償契約締結を拒否する理由

その実態について、アレフを脱会した元幹部信者の証言をご紹介します。

野田成人氏は、アレフの幹部時代に、直接の、麻原家族との関わりがあったことから、
麻原の家族の裏支配の実態を、よく知る人物です。

野田氏は
 、2007年の上祐脱会後に、麻原家族支配下となったアレフ教団から除名される形で、
2009年に脱会、その後は、オウム時代の反省から、書籍『革命か戦争か』出版、

革命か戦争か―オウムはグローバル資本主義への警鐘だった革命か戦争か―オウムはグローバル資本主義への警鐘だった
(2010/03/11)
野田 成人

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トークショー出演「オウムって何?」 など、精力的な活動をしています。



1 雑誌『創』インタビュー 2007年5月号

ちょうど2007年に、上祐とわたしたちが脱会した後に、
アレフの新代表となった野田氏が、雑誌「創」のインタビューを受け、麻原家族との関係について
詳細に語った内容が、野田氏のブログ(「みどりの家族代表 野田成人のbrog」)に掲載されています。

例えば、


 「――上祐さんらとの分裂騒動を野田さんらはどんなふうに見ていたのですか。

  野田 この団体には「松本家は絶対」という暗黙の了解があるのですが、
   上祐はいろいろな写真を取り払うとか、教義の表現にしても麻原彰晃元代表を
   「世界でただひとりの最終解脱者」という部分を文言から抜き、ただの 「解脱者」にしてしまうとか、
   そういう行動をとりました。
   これは教団にとっても松本家にとっても非常に敏感な問題だったのです。
   松本家の上祐への批判的な 見方を受けて、信者達も「やっぱおかしいですよ」という感じになり、
   教団が混乱状態になっていきました。



以下、リンクでご紹介します。

>>◆雑誌「創」2007年5月号掲載インタビュー

 ◎はじめに  編集部
   本誌前号の上祐史浩元代表のインタビューは大きな反響を呼んだ。・・・
   さて、それに続いて今月は新代表となった野田成人さんのインタビューを掲載する。
   ・・・特に松本家との微妙な関係については、詳しくはほとんど報道されていないと言ってよい。
 ◎役員会と合同会議が対立
 ◎教団は二重権力状態に
 ◎教団は今、異論を
 ◎唱えられない雰囲気
 ◎松本家との関係をめぐり  
 ◎教団が分裂騒動に



2.「月刊現代」(2008年1月1日号)

もう一つ、野田氏は、2008年に、「月刊現代」(2008年1月1日号)で、さらに詳細な、実態を語っています。

上祐代表は、自身の総括文書の中で、次のように述べているとおり、野田氏は、当時、
麻原の妻の松本明香里や三女の麗華が教団裏支配を始めた事情に深く関わっていました。


 「一 言でいえば、麻原への信仰と、それに基づいた麻原の家族によって、
  私の進めようとした教団の改革は、2003年の4月頃からブレーキが掛かり始めました。」

 「教団改革を止めようとする麻原の家族の中心は、麻原の妻や次女や三女ですが、
  この辺の動きは、現在も、アーレフの代表である野田成人代表が、
  『月刊現代』の 2008年01月01日号で、
  麻原の家族が、私の知らないところで彼に連絡をし、
  私を教団運営から外すために協力を求められたという、裏側の事情
などにつ いて、
  詳しく語っていますが、彼の報告は、
  それが、私が直接関わっている部分に限っては、おおよそ事実のとおりです。」


 以下、野田氏のブログに、記事の全文が掲載されていますので、リンクでご紹介します。

>>「月刊現代」1

 「03年6月15日、私は松本家の三女に呼び出されました。
  3年半ぶりに会う三女はかなり大柄になっており、身長165cmの私と遜色ないほどでした。
  ちょっと清楚な女子大生風の服装に身を包んではいますが、信者には常に高圧的です。

  『マイトレーヤ正大師(上祐氏の宗教名)のやっていることがおかしいの。
   彼の言うことを聞かないで、陰で私に協力して』・・・

  『私が影で指示するから、それに従って。
  でも指示を
出しているっていうのは秘密
  『はぁ』
  『いい? 従える?』・・・」

>>「月刊現代」2

  『アーチャリー正大師に指示されたので、仕方なくしばらく修行してます』
   しかし、説法が終わると荒木広報部長が怒鳴るように私に言いました。

  『松本家の話はサマナの前でやる話ではないでしょう。
   社会融和上も問題があります!』
  教団内での彼の地位は私よりはるかに下。ナメられたものです(笑)。・・・

オウムを知らない若い世代が私と同じことを繰り返してほしくない(Dさん20代男性・東京)

の記事)

 2012年1月に、昨年末に平田容疑者が出頭した際の、アレフ内部の姿勢に疑問を持ったアレフ信者から相談のメールをいただきました。

  この方は、2011年8月に、ミクシィで偽装ヨガ教室に勧誘され、2011年9月にアレフに入信した20代男性でした。
 まだ、アレフに入信して信者であった期間も、4ヶ月と比較的浅く、わたしたちのほうで、事件の事実等をお話し、脱会を支援させていただいた結果、約1ヶ月後には、無事脱会することができました。


 今回、「オウムを知らない若い世代が、私と同じ事を繰り返さないために」と、詳細な体験談を、ブログに寄せてくださいましたので、こちらに掲載します。


(Dさん 20代男性 東京 会社員)

■オウムを知らない若い世代が、私と同じ事を繰り返さないために

 私は2011年の9月から、4か月ほどアレフ入信していましたが、ひかりの輪のご尽力もあって無事に脱会することができました。

 ひかりの輪には個人的な面会から脱会の手続きに至るまで、非常にお世話になり、この場をお借りして感謝申し上げます。
 また上祐氏をはじめ、ひかりの輪の考えには非常に共感できるところがあり、今回は自身の体験談を掲載するというかたちで協力させていただきました。

 現在のアレフの信徒、もしくはこれから入会していく人たちには、私のように事件当時はまだ幼く、あまり教団のことも知らない世代が多いことと思います。
 確かに霊的体験に興味がある人にとって、アレフは魅力的ですし、またアレフの実態はマスコミの報道がすべてではありません。
 世の中間違っている、というのは、私も今でも感じていることではあります。

 しかし、自分の求めているものは本当にアレフに存在するのか、また過去のみならず、アレフの現状はどうなのか、経験者としてお伝えしたいことが多くあります。
 
 オウムを知らない若い世代が私と同じことを繰り返さないために、この体験談を読んでいただけることを心から願っています。


■アレフ入信から脱会までの経緯

 まず大まかな経緯をお話したいと思います。
 ブログのバックナンバーにもあるように、私はmixiで偽装ヨガ教室に勧誘されましたが、はじめから教義をすべて受け入れられたわけではありませんでした。

 しかし、陰謀論を聞かされたことや、霊的体験への興味から入会を決めました。

 入会後に教義を学んでいく中では、「おもしろい」と感じることもありましたが、「麻原が絶対的存在だ」ということへの疑問教義の矛盾や世界観の狭さなども感じていました。
 ただ当時は、疑問点を掘り下げるのではなく、「もっと、帰依心を深めなければいけない」という思いで修行をしていました。
 そのためインターネットを通じて、アレフの内部分裂やひかりの輪のことなども知ってはいましたが、あえて深く調べるようなことはしませんでした。

 それがどのようにして脱会にまで至ったのか、脱会の動機と経緯を、以下の項目にしたがって述べたいと思います。


1 アレフの姿勢・教義で疑問に思ったこと


①真理に巡り合えた信徒は、人類たぐいまれなる功徳の持ち主

 これは、入会以前の勉強会から、ことあるごとに言われてきました。
 
 「真理に巡り合えたのは奇跡」
 「自分の偉大なる功徳に感謝」
 「
地球ほどの砂漠の一粒の砂ほどの確率」などなど、

その素晴らしさを称えることが本当に多くありました。

 自分も含め、信徒を見渡していて、本当にそう感じられるか。
 率直に言えば、それだけ功徳の高い人間の集まりとは、到底思えません

 「徳のある人間」とは、容姿の美しい人や高い才能を持った人、人間関係・経済的に恵まれた環境で育った人など、喜びの多い人生を送っている人だと教えられました。

 一方アレフでは、容姿など自分にコンプレックスがある人や、不摂生な生活をしてきたり、病気で苦労したりという人が何人もいました。また信徒には、私のような正社員は少なく、派遣やアルバイトが結構多いという話も聞きました。
 どちらかというと、今の社会構造のツケを払わされている人たちです

「一般的な功徳と、真理との縁は全く別のもの」

というのが教団の教えですが、突きつめれば「真理との縁」と「その他」とで、果たしてそんなにはっきり分けられるのか、大いに疑問です。

「アレフを知らなくても、自分より徳の高い人間はいくらでもいる。」

 そうした思いはずっとありました。


②教団で修行すること以外に意味はない

 アレフの教義では、

「高い世界へ転生するために、寸暇を惜しんで修行すること」

を強く勧められます。現世の自己実現は多くの場合、修行の妨げという位置づけです。

 夢や目標がある自分にとって、これは辛い教えでした。
 人生の学びは、アレフの修行体系の中にしかないのでしょうか。
 真理と巡り合えて修行していく中で自分を変えられた、生きる意味がわかって人生が明るくなったという人もいますが、私は逆に悩みが増大しました。

 世の中、国によって人によって事情は様々ですし、宗教に縁がなくても一生懸命人生を生きている人はいます。
 今考えても、狭いオウムの世界観の中だけで、「今生きているほとんどの人が地獄に落ちる」と言い切るのは、あまりにも乱暴に思えます。

 上祐氏のお話にもありましたが、結局はアレフも、一国の一カルト教団に過ぎないということです。


③事件後に激減したヨガの成就者たち

 教義を深めていく中で、私は麻原の説法(1980年代後半1990年代前半にかけてのもの)を記憶修習することをしていました。昔の出版物も読んでいましたし、そうしていく中で、だんだんと、かつての教団の状況がわかってきました。

 そうした中で疑問が膨らみ、脱会を考えるまでに至ったのが、脱会していった成就者たちの存在でした。

 ヨガの成就者というのは、激しい修行を行い、ある一定の霊的体験を経て、麻原から「師」として認められた一般信者より高い位の人たちのことです。

 事件前には100名以上いたと思われますが、今では十数名しかいないと思われます。
 普通の人から見れば「事件があったのだから当然だ」と思うかもしれませんが、教団の中で成就者は、生きながら神様の領域に到達していているものとみなされ、もはや人ではありません。

 信徒の間で、成就者は、自分たちよりも格段にステージの高い存在で、

「師の方の言うことには必ず従うようにして」
「道場に師が一人いるだけでもエネルギーが格段に上がり、本当にありがたいこと」

などと言われたこともあります。

 私も、「成就者は神の視点から物事を見ているもの」と思っていましたので「オウムが真理の団体で事件が陰謀」なのだとしたら、
一般信徒はもとより、
成就者でも、脱会者が多くいたのは腑に落ちない点でした。

 後にメールのやりとりで、ひかりの輪の細川さんから言われた成就者も人間ですから」という当たり前の言葉が、本当に新鮮に感じたほどでした。


④アレフの幹部たちは事件当時は今の地位にいなかった

 上記のような疑問から、かつての教団の様子がわかってくると、だんだんと教団を客観できるようになり、「今の教団に麻原と関わりが深かった人がいない」ということがわかってきました。

 これは後に細川さんとお会いした時の話の中で、事実だったということがわかりました。
 当然事件に直接関わりのある人は皆逮捕されているのですが、それ以外にも麻原と関わりの深かった人、事件前の教団の裏工作活動を知っている人たちはほとんど脱会している(少数いるが信者対応では見かけない)ということでした。

 それがわかった時点で、アレフとひかりの輪とで、どちらの主張に真実味があるのかは明白でした。


⑤平田容疑者に対する教団の見解


 前にも述べましたが、私が当団体の細川さんにメールを送り、脱会を決意したきっかけとなったのが、平田容疑者に対する教団の見解です。

 アレフは報道を警戒し、「ニュースを信じ込まないこと、質問があれば何でもしてほしい」という趣旨のメールが年明けにまわってきました。
 この機会に私は、「平田容疑者を含め、現在の指名手配犯は本当にオウムの関係者だったのか?」というメールを送りましたが、「わからない」とのことでした。

 事件が陰謀であろうとなかろうと、教団が指名手配犯の事実関係を確認していないなんてことはありえません。
 質問を受けつけておきながら、事実を認めることすらしない、教団の姿勢に、完全に信頼をなくしました

 後に細川さんからのお話で、皆当時は出家修行者として一緒に仕事をしていたこと、アレフの人たちも指名手配犯のことは当然知っていると知りました。


2 ひかりの輪)とアレフの違いについて

  
  ①事件に対する姿勢の違い
  
 事件に疑問を持ちアレフの脱会を考えるようになった時、ひかりの輪へメールを送り、細川さんと何度かやりとりをした後に面会させていただきました。

 事件に関する質問もしましたが、本当に丁寧に答えていただき、元アレフの道場長として貴重なお話もうかがいました。
 また、アレフが賠償を拒否し続けている一方、ひかりの輪は被害者遺族を第一に考え、社会に対しても責任を果たそうとする姿勢があり、そこがアレフとの一番の違いではないかと感じています。(※ひかりの輪の被害者賠償契約の締結、アレフは契約を拒否)        
 両団体は、共に「オウムという過去」を持っていますが、根本的な出発点・方向性が異なります。
 これは私の立場からも証言させていただきたいと思います。


②上祐氏との面会で感じたこと

 ひかりの輪の方々のお話は、オウムの総括に詳しく掲載されていることと変わらないのですが、代表と面会をして改めて感じたことは、ひとつの物事に対して考えが多角的で深いということでした。

 例えば、オウムの思想を語る上でも、社会がつくり出したものとして密接な関わりを説き、社会構造の問題点、日本史の中の位置付けや世界の宗教との比較、構成員ひとりひとりの心理など、非常に多くの観点からお話をいただきました。

 オウム入信からの経緯や反省点、アレフの問題点のことえお聞いていても 、複雑な内容で、限られた時間の中ではありましたが、全体像から核心部分に至るまで、話がつかえることなくスムーズであり、内容もわかりやすく、筋が通っていて共感できるものでした。
 話をしているうちに、上祐氏が今までどれだけ悩んで考えを巡らせてきたか、どれほど多くの人に同じ話をしてきたか、その年月の重さがひしひしと伝わってました。

3.まとめ   
 
   以上、アレフの疑問点と脱会の経緯から、ひかりの輪との関わりについて述べてきました。
 自分でふり返ってみて気づかされたことは、何も問題なくスムーズに、アレフの教えから脱却できたのは、ひかりの輪の力添えなくしてはありえなかったということです。    

 上記のように、私は、アレフの教義や世界観に疑問を持ってはいましたが、ジレンマに悩みながら、それでも数カ月の間アレフを信仰していたわけです。   
 かつて麻原の高弟だった上祐氏をはじめ、元成就者のひかりの輪の幹部たちから、教団・アレフの幹部の話を聞くことではじめて、教団を絶対視したり、成就者を神と崇める観念を、完全に払拭することができたのです。


4.アレフの方へ    

 最後に私から、このブログを読んでいるであろう、アレフの幹部・信徒に向けてメッセージがあります。

  私自身、勧誘員をはじめ、教団で関わった人に対して恨めしい気持ちは一切ありません。
 また、数カ月ではありますが、アレフで修行をしたことを自分の中で後ろめたく思う気持ちもありません。

     でも、自分でアレフを信仰してみて改めて思うこと・考えたことがあり、以下に述べたいと思います。
 「魔境」の人の言葉と受け取っていただいてかまいません。   (※注:アレフでは、ひかりの輪のことを、麻原を裏切った「魔境」と断定しているため、ひかりの輪と接触する人は、次々と「魔境」認定されている)

     まず、世の中(自分が生きる上でも)「わからない」では済まされないことがあります。
(※Dさんは事件について「わからない」とアレフに言われた)
     一連の事件において被害にあった人は、自身の「カルマ」のせいだから仕方ないのでしょうか。
 自分が被害者の場合は、それで耐えれば良いかもしれません。   
 でも被害に苦しんでいる人を見て、それで何もしないでいられるのでしょうか。
     「わからない」でも平気なのでしょうか。
     それが仏の道なのでしょうか。

 また、「マスコミは信じられない」と言いますが、アレフのやっていることの本質は、マスコミそのもです。
 説明するまでもないでしょうが、今の教団には麻原がいるわけでもなく、書籍・映像等の「メディア」を通しているわけで、伝える側の意思として、霊的能力の高さ・偉大さにまつわる逸話ばかりが強調されて、情報の受け手である信者が洗脳されているということです。   

 そして、教団が、「都合の悪い情報を意図的に排除している」という事実、否定の余地がありません。
     麻原に会ったことすらない皆さんはこれをどう考えますか。
        それに、アレフの霊的体験は、教義を記憶修習した上で成り立っているわけですから、たとえ教義通りの体験ができたとしても、それが宇宙のすべてという証明にならないことも明白です。

     いったい自分自身は、世の中の宗教にどれほど知識を持っているのでしょうか。
     原始仏教を自分で読んでみたことはありますか。
     麻原以外にも世の中には霊的能力が高い人間が何人もいることは、当然知らないはずがないと思います。
     本当に自分の人生はそれで良いのですか。
     麻原に、師の方に、聞くまでもありません。
 自分で考えられなくて、自分で決められなくて、   
自分に何が残るのでしょうか。

平田本人かもわからない? 平田容疑者逮捕やオウム事件へのアレフの姿勢(Dさん20代男性・東京)

 2012年1月に、昨年末に、平田容疑者が出頭して以降の、アレフの平田容疑者逮捕に対する姿勢に、疑問を持ったアレフ信者から、相談のメールをいただきました。

 この方も、偽装ヨガ教室で勧誘された20代男性だったので、まだアレフ信者の期間も比較的浅く、そのメールをきっかけに、事件の事実等をお話しし、無事脱会することができました。

 このことから、事件や平田の件に関するアレフの姿勢を知ることかできましたので、ご本人の掲載許可をいただき、こちらに掲載します。

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●平田本人かもわからない?平田容疑者逮捕やオウム事件へのアレフの姿勢
 (Dさん 20代男性 東京 会社員)

 アレフに入会する前に、9・11テロは、フリーメーソンの陰謀だ等
という長時間のビデオを見せられ、「オウム事件も、同様に陰謀だ」
という説明を受けたことは前に記しましたが、アレフに入会して脱会
するまでの3カ月間は、オウム事件に関する話を、あらためて聞い
たことはありませんでした

 アレフでは、オウム事件に関する話題は、日常会話の中でつとめ
て出さないようにしていたようです。

 しかし、今年(2012年)の1月になって、17年間逃走していた平田
信容疑者が出頭してきたことをきっかけに、私は、

「平田や他に逃走している人たちは、
 当時のオウムの構成員だったのですか?」

とアレフの出家信者のSさんに尋ねたところ、
「わからない」という回答を得ました。

 わからないということはないだろうと、アレフ側の姿勢に疑問を感じ
るようになり、そのようなこともあってアレフからの脱会を決めたので
すが、アレフがオウム事件と真剣に向き合っていないのは明らかだ
と感じました。
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 以下は、2012年1月初旬に、Dさんから一番最初にいただいたメールです。

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(2012年1月初旬のメール)

 私は数ヶ月前からアレフの会員なのですが、お聞きしたいことが
ございましてメールさせていただきました。

 最近ニュースで取り上げられている元信者の平田容疑者の報道
についてなのですが、アレフの見解では、
報道はどこまでが本当なのか、あるいは出頭者が、本人であるかど
うかもわからない
とのことです。

 当時の事件に関して、私は小さかったのでわからないことが多いの
ですが、

「平田容疑者も含め、現在指名手配されている人たちは、
 本当に当時の信者だったのか?」

ということを質問したところ、

それもはっきりとはわからない」と言われました。

わからないとはどういうことなのでしょうか。
そのようなことを言われたのではこちらはますますわけがわかりません。

 またアレフの教えが真理なのだとしたら、一般信徒はもとより、多くの成
就者が事件後に脱会しているのは腑に落ちない点ではあります。

 この点に関して見解がございましたらご返答いただけますでしょうか?
よろしくお願いします。

___________________________________

Dさんは、アレフの担当者から、
「あまり報道のままに思い込まないでください」とも言われたとおっしゃっていました。

 そして、このご質問に対し、東京本部の細川(アレフ問題対策室)が以下のようにご説明し、それをきっかけとして、オウム事件等について詳しく事実をお伝えしたりした結果、Dさんは、アレフを脱会することができました。

___________________________________
 (以下は、細川の返信の該当部分です)

 さて、メールの内容についてのお返事ですが、平田容疑者含め、現在逃
亡している高橋容疑者、菊池容疑者はともに事件当時は出家信者でした。
 私は平田容疑者、高橋容疑者とは同じ部署で仕事をしたことがありますし、
菊池容疑者は私と出家した時期が同じだったと記憶にあります。
 ですから、彼らが事件当時に出家信者ではない、ということはあり得ないことです。

 「平田容疑者が本人でないかもしれない」ということは、警察が嘘をついていると
いうことなのでしょうか?
 本人の指紋をとり、照合した結果、平田容疑者の指紋と一致したということで、
逮捕に至ったと新聞、ネットには書かれていました。

 東京道場を担当している彼らは、事件当時とそれまで、彼らが出家信者であるこ
とは当然、知っているはずです。
 なぜなら同じ世代で活動をともにしてきた人たちです。

【アレフの修行の危険性・目次】 現在のアレフの修行の、重大な危険性

(2012/04/20 17:21 の記事)

 現在のアレフの修行には、重大な危険性があります。

 それは、人を人格的におかしくし、心身の健康を損ねる可能性のあるもので、現在の、麻原自身、そして高弟と呼ばれた人たちを見れば明らかなものです。

 そして、アレフの修行を経験してきたわたしたちも、同じように、人格をゆがめ、心身の健康を損ねてきました。
 その反省から、アレフを脱会し、ひかりの輪を立ち上げました。

 ひかりの輪では、その大変に苦い経験から、人格・心身の健康によい修行法を生みだし、それを実践し、変わっていくことができました。
 健全に、幸せになり、成長し、悟っていくことのできる修行法です。

 はまり込みの期間が長ければ長いほど、抜け出すことが大変になってしまいます。

 この危険性に、一人でも多くの方に陥ってほしくないと強く願い、以下にまとめました。
 この項目を掲載していきます。


1 >>アレフの修行は、気づかないうちに、人を傲慢にする

 (1) 称賛による虚栄心の増大

 (2) 神秘体験による虚栄心の増大と、麻原への盲信への誘導

 (3) 自己特別視による強い慢心の形成 


2 >>アレフの修行は、人を妄想・現実逃避・精神病理に導く


 (1) 陰謀論の妄説の盲信

 (2) 妄想の社会観へ至ることで、悟りと正反対の無智に陥る
 
 (3) 社会に対する被害妄想へ至り、精神が不安定になる

 (4) 被害妄想とセットで、同時に誇大妄想に至る

 (5) 現実逃避・精神病理の人格の形成

 (6) 幹部信者たちの精神的な問題
 

3 >>アレフのヨーガの修行は、心身の健康を損ねる恐れがある


 '(1) 正統ではない使い方をしている

 (2) 慢心をもたらす使い方をしている

 (3) 心身に負担がかかる

 (4) ひかりの輪のヨーガ行法の改善


4 アレフの密教修行の問題

 ①>>麻原を絶対とすることは間違っている

 ②>>「グルがいないと修行できない」ことは過ち


5 アレフの密教の修行は、心身の健康を損ねる恐れがある

 ① >>チベット密教界からの警告から

 ② >>オウムの上層部に、精神的な疾患が発症している現実

 ③ >>アレフの「秘儀瞑想」麻原と合一する観想による人格破壊の危険性

 ④ アレフの密教修行は、チベット密教をネタにしたものにすぎないため、アレフから学ぶ必要はない


【アレフ修行の危険性⑤】 ③アレフの「秘儀瞑想」麻原と合一する観想による人格破壊の危険性

 (2012/06/10 18:13 の記事)

前回、オウムの上層部に、精神的な疾患が発症している現実をお伝えしました。

>>【アレフ修行の危険性⑤】アレフの密教修行の心身の健康を損ねる恐れ 
②オウムの上層部に、精神的な疾患が発症している現実


麻原自身をはじめとして麻原の子女や、正大師、正悟師と呼ばれた
最高幹部の、悲惨な現状です。
これらの事態は、麻原が語っていたこととは正反対の現実です。

こうした、精神の病や、人格破壊にいたる背景には、麻原を「グル」と規定して、
麻原のことを徹底的に意識し続け、観想(イメージ)し続けるという、
麻原が編み出した、オウム独特の修行がその一因となっている
と考えられるのではないかと思うのです。

結果、その対象、つまり麻原の現在の状況と同じ状態になってしまうのではないか、
という危険性です。

そのことについて、宗形真紀子が著書
『二十歳からの20年間――“オウムの青春”の魔境を超えて』
述べていますので、抜粋してご紹介します。

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麻原は、高度な「秘儀瞑想」と称し、麻原と心身ともども合一するイメージを
培う瞑想ばかりを作り上げていました。
そのため、わたしはこういった瞑想の中のいくつかを、麻原の言うとおりに
500回~1000回以上もの回数行なったのです。

しかし、わたしは事件後、麻原の作り出したそれらの瞑想が、悟りに導く瞑想
などではないだけではなく、本当に人間の人格を破壊し、
ともすれば統合失調症や廃人に導くものだ
という想像以上の悲惨な事実を理解するようになりました。

わたしは、事件後、麻原自身が不規則発言を始めて以降、
あのような状態になっていることを筆頭に、
オウムの中でも、麻原に次ぐレベルとされていた高弟をはじめとする何人かが
統合失調症などの状態になってしまうのを見聞きしてきました。
例えば、麻原の子どもを産んだ女性たちや、麻原の子女の中にもいました。

そういった症状になった人たちの中には、
麻原が自分を支配し乗っ取ろうとしているとか、
麻原がすべてを監視しているとか、麻原が自分を邪魔しようとするとか、
麻原が自分の中に入ってくるとか、麻原が話しかけてきて指示を出すとか、
睡眠中に麻原が入り込んでくるから眠りたくないとか、
麻原がそばについているとか、自分が麻原になったり自分になったりするとか、
麻原なのか自分なのかわからなくなるとか、
麻原と自分が合一するのが視覚的に見えたり、声として聞こえたり、
見えなくてもそういう感覚を感じたりするといった
「症状」を聞いたことがあります。

よくよく考えてみると、これらの内容は、麻原の説いた中核の教えである

「自己を空っぽにし、空っぽになった器に、
なみなみとグルのデータを入れ、グルのクローン化をする」

というものと、
「グルと合一する」
というものの現象化と思えた
のです。

わたしもオウム信者たちも、
麻原のデータ・エネルギーがたくさん入ってくるようにと、
脳波から、視覚から、聴覚から、
眠っている時間さえもテープをかけて、
何百回、何千回と、
相当な集中力で麻原のデータを入れ続けていました。

【アレフ修行の危険性⑤】 ②オウムの上層部に、精神的な疾患が発症している現実

 (2012/06/08 21:43 の記事)

途中の⑤まで掲載していました、現在のアレフの修行の重大な危険性】の記事の続きを、
再開したいと思います。

前回は、以下の項目まで進んでいました。
>>【アレフ修行の危険性⑤】アレフの密教修行の心身の健康を損ねる恐れ
 ①チベット密教界からの警告から


アレフで行われている「密教の修行」の一部には、一般の人がなすならば、
精神的・身体的な危険性があるものが含まれています。
実際に、オウム真理教では、その激しいヨーガ・密教の集中修行や、
さらに、LSDや覚醒剤などの薬物を使った修行(オウム事件前)のために、
精神疾患が発生したと思われるケースが少なからずありました。
そのことについて、の続きとなります。

【アレフ修行の危険性⑤】アレフの密教修行の心身の健康を損ねる恐れ
②オウムの上層部に、精神的な疾患が発症している現実


オウムには、「ステージ制度」というものがありました。
麻原が認定する、それは解脱のレベルの段階を示すもので、
地位や権力の伴う位階制度でもありました。
「成就者」「解脱者」「皇子(麻原の子女ら)」「正大師」「正悟師」
と呼ばれた人たちが、最高幹部でした。

彼らは、麻原の定義では、通常の人間の比較にならないほど(何百万倍など)、清らかで、
聖なる存在で、功徳の高い魂で、長寿となる、人を超えた神のような存在とされていました。

しかし、それらの麻原が語っていたこととは正反対に、今の現実は、
麻原自身を始めとして、そうした者たちの多くが、精神を病んでいたり、
病気で既に亡くなっていたりという悲惨な状況に陥っているという現実があります。


1 麻原自身や、麻原の家族や高弟たちの現実


【1】麻原自身(「最終解脱者」とされていた)

死刑囚として拘留中だが、裁判で不規則発言をするなど、
支離滅裂な行動をなしている。
詐病とも言われているが、弁護側・裁判所側の双方の精神科医の鑑定の結果は、
症状の程度に関する判断に違いはあれ(裁判を継続できるか否か)
拘禁症状である点では一致している。


【2】麻原の子女の一人(1999年前後の一時期、教団を主導)

(※アレフ教団内で、麻原の子女は、「皇子(こうし)」という
これまでの最高幹部のさらに上の地位とされている)

非現実的な世界観を抱くようになり、その後、精神病を発症し、現在は、
生活保護を受給している。


【3】元一番弟子の女I・H・元正大師(教団最高幹部)

受刑中に拘禁症を発症し、出所後に、精神病を発症、入院・通院で加療。
現在は回復したとされる。


【4】元最高幹部の女性K・A・元正悟師(正大師に次ぐ最高幹部)

一時期、精神病を発症、入院加療後に回復。  


【5】元最高幹部の女性I・E・元正悟師

受刑中に脳障害、後遺症が残り、成人レベルの知能までには回復せず。


6】元最高幹部の女性 山本まゆみ・元正悟師

数年前に病死。


【7】一般信者

一般信者の一部にも、教団の集中修行の過程や、薬物を使用した修行の後などに、
精神病を発症したものがいる(ただし、因果関係は科学的には未だ検証されていない)。


2 見聞きした症状

本対策室の宗形が、こうした人たちを見聞きした症状について、
『二十歳からの20年間――“オウムの青春”の魔境を超えて』り抜粋してご紹介します。

わたしは、事件後、麻原自身が不規則発言を始めて以降、
あのような状態になっていることを筆頭に、
オウムの中でも、
麻原に次ぐレベルとされていた高弟をはじめとする何人かが
統合失調症などの状態に
なってしまうのを見聞きしてきました。

例えば、麻原の子どもを産んだ女性たちや、麻原の子女の中にもいました。

そういった症状になった人たちの中には、
麻原が自分を支配し乗っ取ろうとしているとか、
麻原がすべてを監視しているとか、
麻原が自分を邪魔しようとするとか、
麻原が自分の中に入ってくるとか、
麻原が話しかけてきて指示を出すとか、
睡眠中に麻原が入り込んでくるから眠りたくないとか、
麻原がそばについているとか、
自分が麻原になったり自分になったりするとか、
麻原なのか自分なのかわからなくなるとか、
麻原と自分が合一するのが視覚的に見えたり、声として聞こえたり、
見えなくてもそういう感覚を感じたりするといった「症状」を聞いたことがあります。

次に続きます。

【アレフ修行の危険性⑤】アレフの密教修行の心身の健康を損ねる恐れ1 チベット密教界からの警告から

 (2012-05-25 01:32:34 の記事)

 
アレフで行われている「密教の修行」の一部には、一般の人がなすならば、
精神的・身体的な危険性があるものが含まれています。

実際に、オウム真理教では、その激しいヨーガ・密教の集中修行や、
さらに、LSDや覚醒剤などの薬物を使った修行(オウム事件前)のために、
精神疾患が発生したと思われるケースが少なからずありました。

これは割合としては一部の人に起こるので、そうした場合、
アレフでは、「麻原への帰依がないから魔境に入った」などとして、
「例外的な事例」として排除され、問題視されませんが、
実は、伝統宗派では、アレフで通常行われている「密教の瞑想法」などの
修行法を多くの者に安直に与えること自体が
大きな問題であるとされているのです。

その危険性と問題について、参考書籍を参照しながら、
以下に詳しく述べていきたいと思います。


アレフの「密教修行」は、密教の精神の基本を満たしていない

アレフでは、麻原に対する絶対的な帰依の実践をして、
麻原と合一する境地を目指しており、
そのために「秘儀瞑想」と呼ばれる観想法を「密教の修行」として行っています。

ですが、アレフのそれは、正統なチベット密教などの密教の修行が目的とする
一つの共通点とは、まったく違う目的となってしまっています。

それは、本来の大乗仏教の重要な見解と思われる、

「この世界が、本質的には、涅槃の世界・仏の浄土と同一で、
 凡夫は仏と同一である」という、世界や人々を、浄土や仏であると、
豊かに感じるという一元の境地(「仏陀の境地」と呼ばれる)
の精神がないという、重大な問題点です。

アレフでは、その大乗仏教の精神とは正反対に、
信者以外の人々と、自分たちを明確に区別して、
この世界は滅びるものとして否定し、
麻原の弟子となった者たちだけが救われると、おおよそ以下のように考えています。

「この世界は悪業多き世界で、ハルマゲドンで滅びる。
 死後に、この世界と別の、遙か遠くの高い世界にある“マハーニルヴァーナ”
 に生まれ変わることを目指す。
 また、仏は麻原だけであり、地獄に堕ちるほとんどの凡夫と違い、
 アレフの修行者だけは高い世界に生まれ変わる」

このように、アレフの教えは、「密教」と自ら呼んでいても、
本来の大乗仏教の豊かな精神と、正反対といえる考え方なのです。

ですので、アレフの修行を「密教」と呼ぶことは適切ではないと思われますが、
ここでは、アレフの「秘儀瞑想」と呼ばれる手法自体について、
チベット密教において、高度と呼ばれるものに類似した瞑想手法を使っているために、
便宜上、「アレフの密教修行」と呼ぶことにします。


 適さない人にも、危険性のある「密教修行」をさせている問題

「密教修行」のうち、高度な行法や瞑想を行う場合は、本来は、

 ① 心身の状態が、そういった修行法に適しているかどうかの向き不向きを判断し、
 ② 向いているとしても、先の「仏陀の境地」に至るような
  精神的な教えを十分に修習し、心を浄化しつつ行う

という必要があります。

それにもかかわらず、この精神的な浄化を伴わないで行うアレフの密教の瞑想修行は、
本当の効果を上げないばかりではなく、
瞑想修行による神秘体験により、慢心が増大し、いわゆる「増上慢」「魔境」
と呼ばれる状態に陥りかねません。

特に、密教で「究竟次第」「無上ヨーガタントラ」「チャンダリー」
「グルヨーガ」と呼ばれる修行や、
ヨーガでクンダリニー・ヨーガと呼ばれる修行は、その危険性が大きいものです。
さらに、この修行は、適切なやり方をしなければ、特に身体に負担をかけ、
心身の健康を損なう危険性があります。

しかし、アレフでは、入会したての人にさえ、ほとんど無条件に、
そうした高度な瞑想法の手法だけを模した瞑想法を行わせています

こういった密教の瞑想に関する問題・危険性・注意事項、
そしてオウム・アレフの瞑想法に対する問題について、
ダライ・ラマ法王の命によって来日し、その後
「日本において密教の最高級の修行法を正しく紹介してほしい」
という要請を受けたというゲルク派の僧侶ツルティム・ケサン氏(大谷大学教授)と正木晃氏が、
その共著『チベット密教 図説マンダラ瞑想法』(ビイング・ネット・プレス)の中で、警告を発しています。

その著書の中で、高度な瞑想法が公開されているのですが、
本来は、密教以外の仏教、顕教を学び、修行を成就して、
灌頂という入門儀式を
授けられていなければならないとされています。
そして、その意味合いについて以下のように書かれています。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その本質はその人物が密教を学ぶにふさわしいか否かを判定することにある。
むろん、灌頂を云々する以前に、顕教を学ぶためには出家していなければならない。

こうした厳格な条件を考えれば、仏教者であるか否かもわからない読者の方々に、
密教の瞑想を解説する行為は、はなはだ疑問がある。
古来の文献を見ても、門外漢に密教の秘法を開示することは、かたく禁じられている。

にもかかわらず、私たちがチベット密教の瞑想を、多くの方々に知っていただきたいとねがい、
出版するに至ったのは、いま、時代がそれを要請していると判断したからなのだ。

すでに、チベット密教の瞑想は、ある程度まで、世情に流布してしまっている。
それも大半は、あやまっていたり断片的だったりするものばかりである。
ましてや、それぞれの瞑想のもつ深い意味や危険性などは、ほとんど無視されてきた。
その結果が、オウム真理教の暴走だったと、
私たちはみなしている。

こうした状況をただすためには、正確な情報が欠かせない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

ここでツルティム・ケサン氏は、密教の修行をするためには、
密教者としての資格が必要で、そのためには、顕教の教義を成就したうえで、
灌頂を授けられていなければならない、としています。

ですが、これは、誰でも、潅頂を受けていればいいのではなく、

「灌頂というのは、外面的には、師の僧(ラマ・グル)から頭頂に
水をかけられる入門儀式(イニシエーション)だが、
その本質はその人物が密教を学ぶにふさわしいか否かを判定することにある。」

という点が重要なところです。
すなわち、本来はそれを授ける師の僧の側が、
密教に適切な人間を選ばなければならないということなのです。

ですが、オウム真理教の場合は、現在のアレフも、
密教どころか、顕教も成就していない、入会したての人にさえ、ほとんど無条件に、
無上ヨーガタントラとか、ツァンダリーとかグルヨーガといった高度な瞑想法を
伝授していることは大きな問題なのです。

ツルティム・ケサン氏は、そうしたやむにやまれぬ時代の状況に鑑み、
著書の中で、瞑想法を公開したと書かれています。
しかし、その危険性について、何度も、以下のように付け加えられています。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ただし、チベット密教の瞑想には、いろいろな危険性もつきまとう。
その点は、すでに指摘したとおりだ。
私たちの発した注意は、くれぐれも守っていただきたい。」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

やり方を誤れば、逆に心身に危険性もつきまとうという事実について、繰り返し述べられています。
そこで、同氏は、チベット密教の瞑想の危険性に関連して、
それを行う場合の心身の条件、すなわち、どのような場合は瞑想が好ましくないか
についても詳細に述べているので、その一部を参照しますが、
特に、アレフ信者で、このような「密教修行」を行っている方は、ぜひとも
一度、
『チベット密教 図説マンダラ瞑想法』(ビイング・ネット・プレス)の熟読を
強くおすすめします。

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「しかしながら、では誰でも瞑想できるのか? というと、そうはゆかない場合もある。
瞑想することによって、心身の状態をかえって悪くしてしまう事態も起こるからだ。

一般論としていえば、心身に違和感がある場合は、瞑想はしないほうがいい。
(略)したがって、高血圧や低血圧の症状がある方、心臓や肺に疾患がある方などは、
瞑想は控えたほうが無難である。(略)

さらに、いわゆる精神病理的な症状がある方も、瞑想はおすすめできない。
鬱症状や躁症状をはじめ、神経症などの疑いがある場合も、
瞑想は症状を悪化させてしまう可能性が否めない。(略)

とくに精神病理的な症状を呈していなくても、人と物とを問わず、
なんらかの対象に強い依存傾向のある方は、瞑想は実践しないでいただきたい。
いわゆる瞑想依存症ないしは瞑想オタクになりかねないからである

そうなると、四六時中、瞑想していないと、生きている実感がもてなくなったり、
瞑想以外の行為にまったく関心がもてなくなってしまう危険性がある。
かつてオウム真理教の信者のなかに、この種の人物が少なからずあった。
こうした人々は、一見すると、熱心に瞑想に取り組んでいるかのように見えるが、
実は瞑想に依存しているにすぎない。」(同前掲書)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

さらに、最上級の瞑想の中でも、さらに高度な瞑想とされるものに、
チャンダリーなどの究竟次第の瞑想があるが、その瞑想になると、
同氏の示す条件はさらに厳しいものとなります。

オウム真理教では、チャンダリーの瞑想が、無差別に伝授され、
アレフ
においてもそのようにされていますが、
それはチベット密教のものから見れば、単純・簡易なものだったとはいえ、
その実践には、相当な注意を要することがわかるはずです。

この、ダライラマ法王からの命で発刊された、
高僧と正木晃氏の共著を、ぜひお読み下さい。
ぜひとも、その危険性を、熟知していただきたいと切に願います。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「究竟次第(完成のプロセス)系の修行は、なまはんかなことでは実践を許されない。
(略)
その理由は究竟次第系の修行をすすめてゆくと、往々にして心身生理に不調を生じがちで、
それに耐えられる強靱さをもっていないと、とんでもない結果が待っているからだ。
多少の体調不良くらいで済むならばまだしも、ひどくすると、死に至ることもある。
また、異様な精神集中をつづけさせられるせいか、脳生理にも悪影響が出やすい。
そして、精神錯乱の果てに、狂気に陥ることもある。(略)

むろん、チベット密教の伝統は、こうした事態にどう対処するか、を久しく検討してきた。
その結論は、未然に防止するにまさる手段はないということだ。(略)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

一般論からいうと、出家した僧侶のうち、だいたい十人に一人くらいしか許さないとも書かれていました。
果たして、この条件に当てはまる、アレフ信者は何人いるのか疑問が生じることと思います。
アレフは、
それを行う大前提として、伝統的な密教の基本精神を押さえていないのですから、
誰一人して、この条件に当てはまる人はいないはずです。

このように、アレフで気軽に無差別に伝授されている
「小乗のツァンダリー」「グルヨーガ」「グルヨーガマイトレーヤの瞑想」
などのいわゆる「秘儀瞑想」といった瞑想法は、大変に危険な瞑想法であると言えるのです。

【アレフ修行の危険性④】アレフの密教修行の問題2 「グルがいないと修行できない」ことは過ち

 (2012-05-24 19:55:31 の記事) 

アレフの密教修行の問題 ①麻原を絶対とすることは間違っている 
の続きです。

そして、こうしたオウム・アレフの反省に基づいて、わたしたちは、ひかりの輪で、
アレフのように、グルと絶対者・崇拝対象とするグルイズムを超えた
修行法・宗教観を形成してきました。
  
そのために、ヨーガ・仏教の教えを再度研究し、
「グルがいないと修行ができない」という考え方は、仏教やヨーガ全体の考え方ではない、
と結論しました。
  
仏教の修行においては、密教でこそグルが強調されますが、
釈迦牟尼自身が説いた上座部(テーラヴァーダ)の教えでは、
ご存じのように、それはありません。
 
むしろ、釈迦牟尼は、

「釈迦牟尼を含めて、人を崇めることを否定する教えを説いた」

ということが、仏教研究上は、広く認められている事実です。
弟子たちに、「めいめいの自己と法則を帰依処とするように説いた」ということです。
  
ですから、アレフが主張する「グルがいないと修行できない」という考え方は、
間違ったグルイズムが強調されたオウム真理教の一種の固定観念」
でしかないのです。
  
では、これらの釈迦牟尼の教えについて、以下に引用したいと思います。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『大パリニッバーナ経(大完全煩悩破壊経)』(岩波文庫『ブッダ最後の旅』中村元訳)
  
アーナンダよ、修行僧らはわたしに何を待望するのであるか?
わたくしは内外の区別なしに(ことごとく)法を説いた。
完き人の教法には、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳[にぎりこぶし]は、存在しない。
  
『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、
あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』
とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。
  
しかし向上につとめた人(※漢訳では「如来」となる)は
『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、
あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』
とか思うことがない。
向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。
  
アーナンダよ、わたしはもう朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、
老齢に達して、わが齢は八十となった。

アーナンダよ。譬えば古ぼけた車が皮紐の助けによってやっと動いて行くように、
わたしの車体も皮紐のたすけによってもっているのだ。
  
しかし、アーナンダよ、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく
一々の感受を滅したことによって、相のない心の統一に入ってとどまるとき、
そのとき、かれの身体は健全なのである。
  
それ故に、アーナンダよ、この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、
他人をよりどころとせず、法を島(灯明)とし、
法をよりどころとして、
他のものをよりどころとせずにあれ。
(中略)
  
 アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、
誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、
法を島とし、法をよりどころとし、
他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、
かれらはわが修行僧として最高の境地にある
であろう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  
この経典を見ると、釈迦牟尼は、
「自分が教団の指導者である」ということを自ら否定していることがわかります。
その代わり、「めいめいの自己と法をより所にすべきである」としています。

次に引用する経典では、
釈迦牟尼が、「私(釈迦)を仰いでも何の意味もない」と言明する部分があり、
釈迦牟尼個人を崇拝してはならず、
崇拝すべきは法である
ことを示している経典として、有名なものです。
  
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『サンユッタ・ニカーヤ』(相応部経典)より
  
釈迦は、弟子・ヴァッカリの余命が幾許もないと聞き、家を訪れたが、
その時、病いに臥せていたヴァッカリは、
「末期の思い出に、今一度、世尊の御顔を仰ぎ、御足を頂礼いたしたいと思いました」
と言った。

その言葉に応えて釈迦は死期の近いヴァッカリに、厳しく言い放った。

汝は、この私の爛懐の身(壊れ爛れる無常の体)を見てもなんにもなりはしない。
 汝はかく知らねばならない。法を見るものは我を見る。
我を見るものは法を見る」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  
次に引用するのは、ダライ・ラマ法王の見解です。
この著書の中で、法王は、「師ではなく、教えに対する信を持て」と説いており、
しかも、それを示唆する釈迦牟尼の教えを引用しています。
  
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ダライ・ラマ十四世著『宇宙のダルマ』より
  
この解釈学的なアプローチで重要なのは、大乗の四つの信の理論です。それは、
  
    (1)師ではなく教えに対する信、
    (2)言葉の表現ではなくその意味に対する信、
    (3)一時的な意味ではなく真実の意味に対する信、
    (4)知識ではなく深い体験から生まれる超越的な智慧に対する信
    からなります。
  
四信の理論の一番目は、教えを聴いたり論書を読んだりするとき、
そこで述べられていることの妥当性を、
語り手の名声や財産、地位、権力にもとづいて判断すべきではなく、
教えそのものの価値にもとづいて判断すべきだということです。
二番目の理論では、著作の判断は文章の形式によってではなく、
主題についてどれだけしっかり論じているかによって行うべきだと言っています。
三番目の理論は、命題の妥当性について考えるときは、
その一時的な意味ではなく、究極的に言わんとしている内容によって、
判断すべきだと命じています。
最後に、四番目の理論は、真理を信頼する場合、
経験を通して獲得した智慧と理解の力にもとづくべきであり、
理論的知識だけに頼ってはいけないと述べているのです。

このアプローチの妥当性を示す証左となる一節を、
ブッダ自身の言葉の中に見いだすことができます。
彼は次のようにすすめています。
  
「おお、比丘たち、そして賢者達よ、あたかも金職人が、焼いて、切って、擦って、
 金を試すように、私の言葉を、吟味して、受け取りなさい。
  私への崇拝の念だけで受け取ってはいけない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

こうして、グルイズムを非常に重視してきたチベット密教において、
その最高指導者であるダライ・ラマ法王が、
「師ではなく、教えに対する信」を強調していることは、
非常に興味深いことだと思います。
 
また、アレフでは、密教だけでなく、ヨーガの修行を進めるためにも、
グルへの帰依が不可欠だと説いていますが、
ヨーガ根本経典においては、グルのいない場合の修行の方法が説かれています。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
佐保田鶴治著『ヨーガ根本経典』より

しかし、本物のグルに出会うということは今日まれな幸運ですが、
昔も事情は変わっていなかったと思います。
そこでグルに出会うことができない運命にある行者は絶望的かというと、
そこに救いとなるのが、自在神のめい助を祈願するという方法です。
自在神はグルのグルなのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  
そして、人を神やグルとしない実践を行う「ひかりの輪」では、
現在、修行として、三悟心経を実践しています。
これは、すべての人の中に、「仏性」という仏に至る可能性、種子があると考える
大乗仏教の教えが入っています。

これは、修験道の修行を行うなかで「般若心経」を繰り返し読経したことから
生まれたものですが、その内容は、オウムの誤ったグルイズムの教えを
越えていくものでもあります。

「万物恩恵、万物感謝、
 万物仏、万物尊重、
 万物一体 万物愛す」

という短い経文を、意味を考えながら唱える修行なのですが、

「万物を恩恵と見て感謝する、
 万物を仏と同等に平等に尊重する、
 万物を一体と見て愛す」

という意味で、オウムの精神的問題を乗り越える内容でもあり、

「万物恩恵、万物感謝」は、自分たちを支えている社会への感謝を忘れて、
それを攻撃した、麻原・オウムの教義を乗り越えるものです。

「万物仏、万物尊重」は、麻原のみを仏の化身として絶対視し、
オウム以外の人々を軽蔑した傲慢な教義を乗り越えるものです。

「万物一体、万物愛す」は、自分たちと社会を強く区別し、
社会を敵視した麻原やオウムの教義を乗り越えるものです。
  
こうした、心の訓練を行うことが、オウムの誤ったグルイズムに陥らずに、
心を本当に豊かにしていく道だと考えて実践しています。

【アレフ修行の危険性④】アレフの密教修行の問題1 麻原を絶対とすることは間違っている

 (2012-05-24 19:14:11 の記事) 

少し前に、「現在のアレフの修行の重大な危険性」について、以下の3まで述べましたが、
その続きの項目を載せていきたいと思います。

1 アレフの修行は、気づかないうちに、人を傲慢にする
2 アレフの修行は、人を妄想・現実逃避・精神病理に導く
3 アレフのヨーガの修行は、心身の健康を損ねる恐れがある

上記のように、
現在、アレフで行われている「アレフ的密教の修行」は、
心身の健康を、大きく損ねる恐れのあるものです。
それは、これまでオウム・アレフを経験してきたわたしたちは身をもって知っています。
現に、麻原の高弟だった何人もやその子女が、精神を病み、精神病院に入院したり、
廃人同然となってしまった事実があります。
  
特に、今回の項目では、そのなかでも、最も重大な問題のある、
「アレフの密教の修行の問題点」について、詳しく述べたいと思います。

※特に、新しくアレフに入信した方にも、アレフでは安易に提供されるその「アレフ的密教の修行」が、
いかに危険性のあるものかをお伝えすることで、すぐにでもやめていただきたいと切に願っています。



4 アレフの密教修行の問題 ①麻原を絶対とすることは間違っている

アレフで行われている密教修行とは、オウム行われていたのと同じように、
グルである麻原を絶対とし、麻原に対する絶対的な帰依・服従が、タントラヴァジラヤーナという
密教の教えの実践だとするものです。
それが、最も速やかに麻原と同じ最終解脱の境地(※最終解脱という概念自体が間違っている
のですが、アレフはそう信じている)に至る修行だとして行われています。

それには、麻原の力により進歩するとする行法、麻原への帰依を培う目的で行う礼拝や布施、奉仕、
マントラの念誦、密教的な瞑想の実践などがあります。
しかし、それらにはすべて、心身の健康を大きく損ねる危険性があるのです。

まず第一に、そのアレフの修行の根幹である、グル・導師(麻原)を絶対とする教え自体が、
実はその「密教」の本場である、伝統密教から見れば過ちだ
という事実を、知識としてしっかり知らなければなりません。

この、麻原を絶対とする教えが、オウム事件の一因になったことは周知の事実です。

事件後、わたしたちは、オウムの教えの問題を知るために、
チベットなどの伝統的な密教の教えを総合的に研究・検討してきたのですが、
その結果、確かに、密教の教えの中には、
「グルを完璧、絶対的と見る」と解釈できるような教えが説かれているものの、
その教えに関するオウム・アレフの解釈は、伝統的な密教の解釈と大きく違っており、
過ちであった、とはっきりわかりました。

具体的な違いは、以下の通りです。

チベット密教が説く教えでは、

① 「グルが絶対で完璧だ」という事実ではなく、あくまで、
 弟子である自分のエゴを弱めるための修行法として、
 そのように見なすことを意味しています。

② 密教的な帰依・実践をする前に、グル側だけでなく、
 弟子となる側も、その土台として、さまざまな条件を満たす必要があって、
 自分が(特定の密教のグルに)帰依するべきかどうかについて、
 慎重に適切に判断しなければならない、という大きな責任があります。

 というものでした。

 この点について、チベット密教関係者の教えを以下に引用します。

■密教は、「グルが完璧である」という客観的事実を主張しているのではないこと

◎カルマ・ゲレク・ユトク師 ダライ・ラマ日本代表部事務所の元代表

 「法師(=グル)に欠点を見出すことなく、完璧な存在として見るよう指示しているが、
  これは(法師が完璧であるという)客観的事実とはほど遠く、
  本来、弟子の主観的自我を清めることを意図したものである。」
 (ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のHPから引用)


■密教的な実践をする弟子には、帰依すべきかどうかを判断する重大な責任があること

◎カルマ・ゲレク・ユトク師(前出)
   「...ある人を自分の師とするにあたって、慎重かつ注意深くやらなければなりません。
     急がずに、十分に時間をかけて法師の行動、
   性質に常に注意をはらうことが、基本
として挙げられます。
     師の候補となる人についての情報を信頼する人から聞くこと、
   関わりを持つ以前の彼のスピーチやダルマ説法を聞くこと、
   彼の日常の生活や行動をきちんと吟味すれば、
   これから自分の法師になろうとする者について知ることができます
     ...その条件を有する法師は、学識かつ経験を積んだダルマを体得した人であること。
   正直で平静かつ謙虚な者。
   最高の真理を会得し、それに従って生きる者。
   生きとし生けるものに溢れる慈悲の心を持つ者。
   精神的な師としての務めに常に励む者。
     ...もう1つは、真の倫理を守っている者。
    真の分別の知恵を守っている者。
    真の利他主義を守っている者。
   上記の条件に十分相当する師は、この世でどんなに貧しい身分でも、
   たぐいまれな精神的師と言えるのです。」

このように、伝統密教では、「グルが本当に完璧である、絶対的である」と説いてはいません。
それは、「弟子のエゴを弱めるために、グルを完璧・絶対と見なす、考えるようにする修行法がある」
ということにすぎません。

しかし、アレフの場合は、「グルが完璧、絶対である」から、
信者はグルに犯罪行為を指示されたとき、それに従わなければならない
と考えるケースがあり、現在、アレフでは、「麻原は絶対である」と言い続け、
事件についても「深い考えがあってのこと」などと正当化する発言があります

しかし、これは、上記のような伝統的「密教」の考え方に照らしても、完全に間違っています。

まず、麻原自体が、上記のような伝統的密教でいわれる「グル」の条件に、
全く当てはまっていない事実を、受け入れなければなりません。

そして、麻原のなした無差別大量殺人というものについては、
人として、「殺人犯」であるのはもちろんのこと、
伝統的密教の説く「グル」としての行動からも、完全に外れている過ちであり、
麻原は「グル」として、不的確であるという事実・現実を受け入れなければなりません。

オウムは、
あくまでも、自分の心の中でグルを完璧と見るように努めるという、
伝統的密教の教えを踏み外し、
自分以外の第三者を巻き込んで、グルを絶対として第三者を殺す
というオウム事件を多数犯しました。

このような事件を、「グルは絶対だから」と正当化しているアレフは、
伝統的密教の教えに照らしても、完全に過ちを犯しているのです。

そうでなければ、

自分の帰依の修行のためには第三者を犠牲にしてよい

ということになり、
弟子のエゴを弱めて解脱に至ろうとする修行であるどころか、
逆に、あまりに自己中心的な、エゴイスティックで傲慢極まりない行動、
そして実際に行えば犯罪、ということにしかなりません。

事件当時のオウムは、このように「グルへの帰依」という名の下に、
自分たちでは気づかないうちに、エゴ、煩悩をこの上なく増大させてしまっていました。
その過ちを、アレフの「麻原を絶対とする」修行は、犯し続けているのです。

アレフ信者が、グルを絶対・完璧であると考えるなら、
それは同時に、その瞬間から、自分たち自身を、
グルの指示があればこの世の中で殺人を含めて何をしてもいい存在
にしてしまうことでもあり、
これはアレフ信者自身を絶対化してしまうことになると思います。

また、伝統密教では、密教の教えを実践する場合に、
そのグルだけではなく、弟子となる側にも、正しいグルを選ばなければならない
という重大な責任があると説かれています。
  
しかし、「この弟子側の責任」という考え方については、
オウムでは全く言われず、オウムの信者は、こういった責任を全く果たさずに、
密教の教えの実践を行ってしまうという過ちを犯しました。
  
新しくアレフに入信し、麻原を「グル」としている方は、
まずはこのことをしっかりと考えていただきたいと心より思います

【アレフの修行の危険性③】 アレフのヨーガの修行は、心身の健康を損ねる恐れがある

 (2012-04-25 23:51:02 の記事)

 
アレフのヨーガ行法は、

① 一般に出版されているヨーガの根本経典などから、麻原が我流で学んだものや、
②今から25年ほど前に、麻原がヒマラヤのヨーガのグル(パイロット・ババ師等)から習ったもの(例えばアパンクリアと呼ばれる行法など)

を使っています。

しかし、これには、たいへん重大な問題や危険性がありますので、
以下に記したいと思います。

麻原は、1986年1月にインドを訪問し、各地でパイロット・ババ師等の「聖者」
といわれる人物と会い、日本救済の使命を託されたと誇大宣伝していますが、
じつは、これは単なる麻原の主張であり、事実ではありません。

今では、調査によって、パイロット・ババ師は1986年の時点から、
麻原の行動に批判的であったということがわかっています。

以下に記す、パイロットババ師と麻原の事実にいては、
ひかりの輪を設立する直前からの、オウム時代の反省と総括のための
調査・研究の中で、そのパイロットババ師から確認した内容です。


 正統ではない使い方をしている

パイロット・ババ師によれば、師が来日した際に、
麻原が、自分が教えた行法を高額の布施を取って教えているのを見つけ、

「そのままでは破滅に至る」

と、やめるように警告したが、麻原はやめなかった
という問題が起こったということです。

そしてその結果、2人は決裂することになった
という事情があることがわかりました。
(師によると、その問題のために、彼の神のエネルギーラインを切ったそうです)

そして、実際に、麻原・オウムは、一連の事件のような破滅に至っています。


 慢心をもたらす使い方をしている

また、パイロットババ師によれば、オウムのような激しいヒマラヤヨーガ行法は、
その身体行法によって、

一時的にピュアな浄化された状態になって、
超常的な瞑想体験をすることがあるが、
それで「解脱した」と錯覚し、修行者が慢心を抱くという問題がある

とのことです。

そのため、ある種の行法を安易に教えることは不適切な場合もあるとのことで
重要なことは、サマディ自体ではなく、その後の人格の向上だということです。

これはまさに、激しいヨーガ行法などによる劇的な神秘体験を強調する、
オウム・アレフによく当てはまる問題です。

オウム・アレフは、その激しい修行によって、神秘体験自体はするのですが、
その一方、一連の事件に至ったことからもわかるように、
本当の心の成熟、悟り、解脱には至りません。

また、パイロットババ師は、当の麻原自身が慢心に陥っていたことについて、
以下のように指摘しています。

① 40日間の修行を麻原に指示したものの、麻原は、三女の病気を理由に
 途中でそれを抜け出したため、修行が途中で止まってしまった。

② 当時の麻原は、行者として優れた面はあったが、
 「私が救済する」と主張していた。
 この「私が救済する」という考え方は、(プライドなどの)エゴである。
 周りに、プライドや権力欲の強い人が集まってきて、周りの人も、
 麻原に悪い影響を与えたのではないか。

③ 麻原は、アナハタチャクラ(ヨーガで胸に位置する霊的なセンターのこと、
 プライド等の煩悩が関係する)のレベルで引っかかってしまった。
 (修行が止まった)
 アナハタチァクラでは、超能力が付くが、それに引っかかったのは残念。
 そこを超えていくか、そこで魔にとりつかれるか、という分岐点であった。

④ さらに、当時の高弟によれば、1990年代に入って、
 オウムが日本のマスコミから批判された時も、パイロット・ババ師は、
 麻原の現世的な執着を諫める内容の手紙を送ってきた
 という事実がありました。

このように、こうした麻原の慢心は、その後の数々の犯罪の背景にあったもの
です。その意味でも、本来、修行は、一時的な霊的体験や超能力ではなく、
慢心・プライドを含めた自我意識を滅した人格の向上こそが重要だったものの、その点を大きく踏み外し、道を誤ったといえます。


 アレフで行っているグルイズムは、正統なヨーガでは否定されている

パイロットババ師は、以下のようにも語っています。

① 修行者は、セルフ(ヨーガで言う本当の自分=真我のこと)に帰るべき
 であり、グルは導き手にすぎない。

② 信者の人たちは、麻原の奴隷になってはいけない。


 心身に負担がかかる

さらに、オウム・アレフが行っている激しいヨーガの行法は、
自ら「狂気の集中修行」と呼んでいたことがあったように、
過度な負担が、心身にかかる過激なものです。
そして、そのような集中修行の際には、かなり荒っぽいものがあり、
一部ではありますが、精神疾患が発生した事例があります。
ほかにも、極限的な身体の酷使や無理な姿勢の継続等により、
身体を痛めた事例も多々あります。

詳しく説明すると、以下のようなものといえます。

①激しいヨーガ行法の危険性

いきなり激しいヨーガ行法を行うと、身体に負担がかかり、
身体を損なう恐れが高まります。
これは、海やプールに入るのに準備運動もなく、
また、徐々に水を心臓の遠いところからかけていくという段階を踏まず、
いきなり水に飛び込むということと同じです。

また、いきなり100メートルを全力疾走することと同じです。
そうすれば、身体にたいへん負担をかけ、
悪くすれば心臓麻痺などを引き起こすことにもなります。

ヨーガの激しい呼吸法をいきなりやれば、血流が急激に激しくなり、
心臓にも負担がかかります。
そうして、息を、苦しくなっても止め続けることを行えば、
他の器官にも相当な負担がかかります。
身体のエネルギー的側面から考えても、同様のことが言えます。

ヨーガを行うことはエネルギーの動きを活発にすることです。
身体にはエネルギーの滞っているところがあり、
その部分にいきなり強いエネルギーを流せば、
当然、細い通路に大量の水が通ろうとするようなものであり、
強い圧力がかかります。それは身体に痛みを与え、身体を損ねます。

以上のようなことから、身体に必要以上の負担をかけ、
身体を損ねる危険性があります。

② 心理面、精神面に対する危険な影響

私たちの意識は、身体操作(行法)を行うと、潜在意識に入っていきます。
これは本人が自覚・認識しようが、しまいがそういうものといえます。

いきなり激しい身体操作を行えば、急激に、潜在意識状態になり、
少しずつ潜在意識に入っていく場合と違い、
心のコントロールがしにくい状態になります。

潜在意識にはさまざまな要素があります。
表面の意識と違い、理性的、社会的、常識が働きにくいため
欲求がストレートに出てしまいます。

お酒を飲んで酔っ払ったときのことと似ていると思います。
酔っ払えば酔っ払うほど、抑制、コントロールはきかなくなります。

そして、急激にそのような意識状態になると、
余計に、コントロールしにくくなるということも想像がつくと思います。
簡単な言葉で言えば、「わけがわからなくなる」といったらいいかもしれません。

それは、寝ていたときに急に起こされて、
自分がどこにいて何をしているのかわけがわからないという経験が
どなたでもあると思いますが、そのときと同様のことです。

このような状態は一時的に潜在意識と表層の意識の分離をもたらします。
それが、一時的なものいならいいのですが、
それをきっかけに精神病的な様相を呈する場合もあります。
 
そして、エネルギーの急激な活発化と、
それにともなう急激な潜在意識状態になることによって、
いわゆる神秘体験が起こりやすくなります。

オウム・アレフの場合、神秘体験を異常に重視するということから、
このような無理な、危険性・問題のある行法が行われているのだと思います。


 ひかりの輪のヨーガ行法の改善

以上のようなことから、身体行法を行ううえでは、準備段階を経て、
徐々に身体や意識を慣らしていくことが必要になってきます。

そこで、ひかりの輪では、上記のようなオウムの修行のやり方の危険性
への反省をもとに、なるべく心身の負担が少なく、
心の寂静・安定を中心とした、本質的な効果が出るように、
改めて最新のヒマラヤヨーガを学んで、自分たちなりの工夫を加え、
それを導入しています。

ひかりの輪では、あまりに激しい行法をやって、
一気に深い意識に入るというやり方をとらず、
極限を超えて体を酷使するような修行は行いません。

それに代わって、十分な準備段階を経てから、
ヨーガなり気功の本格的な動きに入るやり方を行っています。
また、上記のような危険を回避する準備段階以外の方法も取り入れています。

ひかりの輪ではいくつかの行法があり、そのどれもが準備段階を行いますが、
なかでも「エンライトメント・ヨーガ」という呼称をつけた行法は、
それが顕著ですので、エンライトメント・ヨーガをもとに簡単にお伝えします。
 
まず、身体の末端、足や手の指先からほぐしていきます。
主に、間接を順番にほぐしていきます。
関節は気(エネルギー)の流れが滞りやすいところですから、
まずはそこを、体の末端から順にほぐし、エネルギーの通りをよくすることを
行います。
これは関節を曲げたり伸ばしたり、回したりといった簡単な動作です。

さらに、筋を伸ばすことも簡単な動作で行います。
これらは高齢の方でも行えるものです(実際に、70数歳の方が
毎日エンライトメント・ヨーガをやっているという事実があります。
このことからもこの行法が身体に負担をかけずにできることを表しています)。

このように、全身をほぐして気の通りをよくして、少しずつ気を循環させていき、
身体を慣らしてからヨガの行法(身体操作)に入っていきます。

また、ヨーガの身体に負担をかけやすい呼吸法などは、
手順を分解しておこなうことによって、その効果を低下させることなく、
負担なく行えるようにしています。

準備体操的なものの他に、上記の行法をやっている間に、
心を静めコントロールしやすい状態にするために、
身体の動きや感覚に、「気づき」をもって行う方法を取り入れています。
これは仏教の瞑想の「止観(シャマタ・ヴィッパサナー)」にあたります。

このことは、オウムのエネルギー重視のヨーガ行法と違い、
心、意識を重視するやり方です。
このようなやり方は、潜在意識に徐々に入っていくことになり、
それが止観の瞑想とあいまって、潜在意識の要素に翻弄されず、
静かな落ち着いた心の状態を作り出すことになります。

このように、ひかりの輪の行法は、オウムの行法の問題点を反省すること
から形作られてきましたので、安心して行えるものとなっています。

【アレフの修行の危険性②】 アレフの修行は、人を妄想・現実逃避・精神病理に導く

 (2012-04-21 22:58:25 の記事) 

前回お伝えしたように、
アレフの修行は、気付かないうちに、人を傲慢にしていきますが、
それと同時に、人を妄想・現実逃避・精神病理に導くという危険性が
あります。
そうなってしまう課程を順に記します。


(1) 陰謀論の妄説

アレフは、人を傲慢にしてしまうような教化の仕方をするとともに、その過程で、

「一連のオウム真理教の事件は陰謀である」

という妄説を説きます。

また、その説の説得力を高めるために、
当時に、世の中で流行している他の事件の陰謀説などを、
十分な検証もせずに紹介していきます。

>>アレフの洗脳教化のパターン③ 陰謀論の植え付け

>>アレフ洗脳教化のパターン④ 「オウム事件は何者かの陰謀」と言い、入信させる


(2) 妄想の社会観へ至り、悟りと正反対の無智に至る

その結果、

「オウム事件が陰謀であり、
 社会は教団を弾圧している」という妄説を含め、
社会に対する多くの妄想をいだく精神状態になります。

(この世は、国家やユダヤ・フリーメーソンがなどが、沢山の陰謀を図って
 いるといったようなもの。ヒトラーが主張したような内容)。

こうして、事実・真実と正反対の社会観が形成されてしまうと、
実際は、「現実」を正しく理解できなくなり、
悟りや解脱どころか、その正反対の無智の状態になっていきますが、
当の本人たちは、

「自分たちは、一般の人よりも、
 悟り・解脱・現象を、ありのままに見る智慧が増大した」
と思い込む精神状態になっています。

アレフが陰謀論などで社会の問題を指摘するように、
もちろん、この社会では、すべての人が聖人君子なのではなく、
人々の欲望・煩悩による不正・過ちが起きることもあり、
社会の指導層・支配層にも、さまざまな問題はあるというのは事実ですが、
だからといって、
明々白々オウム真理教・麻原の犯罪であるオウム事件について、
「オウム事件は陰謀」だとするアレフの社会観は、
あまりに非現実的・架空のものであると言わざるをえません。


(3) 社会に対する被害妄想へ至り、精神が不安定になる

その妄想の中には、

「自分たちがアレフ信者として、社会に弾圧されているのだ」

という被害妄想を含んでいます。


実際には、当然のことながら、
一連の事件を起こした、アレフのほうが加害者であり、
その事件の被害者が確かに現実に、存在しているのにもかかわらず、
アレフは、その現実の事実を認めずに、
陰謀論を喧伝し、
賠償契約を避け、
被害者を苦しめ続けていることを行っているがために、
依然として社会に批判されているのです。

それにもかかわらず、こうした社会の批判を、

「弾圧だ」

と被害妄想的に思い込むために、
善悪の基準が、全く逆転・正反対となってしまう
のです。

また、自分たちが、こうした被害妄想に陥っているという
自分たちの罪・間違いによって批判されていることを理解できずに、
外部社会その他に対して、過剰な不安
(悪魔・フリーメーソンが自分たちを潰そうとしているといった)に陥り、
精神不安定になる場合があります。
(特に具体的な法律問題その他で摘発されるような場合に、
 そういった状態に陥りやすい)


(4) 誇大妄想と被害妄想がセット


また、この被害妄想の裏側には、

 「自分たちが弾圧されるのは、教祖麻原がキリストであり、
  自分たちが特別な存在だからだ」

という誇大妄想もセットになっています。

実際には、彼らは一つの小教団にすぎず、
自分たち自身の問題で批判されているにすぎません。

しかし、それを、

 「自分たちが特別な存在であるから弾圧されている」

と、認識してしまうのは、
誇大妄想と被害妄想の心理状態がセットになって生じている
ことを示しています。


(5) 現実逃避・精神病理

また、この誇大妄想と被害妄想がセットになった心理状態は、
その背景に、信者が気づかないうちに、

 「自分たちが信じたもの、巡り会ったものは、正しいと思いたい」

という強い欲求・自己愛・甘えの欲望が潜んでいます。

ですので、この誇大妄想と被害妄想の心理状態は、
自己愛・甘えによって、
自分を客観的に見ることから逃げている状態であり、
まさに現実逃避といえます。

このようにして、アレフでは、
妄想と現実逃避に至るという、
まさに精神病理の人格が形成されてしまう
と言わざるを得ない
のです。


(6)幹部たちの精神的な問題
 
なお、彼らの一部には、
「陰謀だ」と本当に信じている人がいるかもしれませんが、
教団を裏から支配する麻原の家族である松本家の妻子たちや、
教団内最高位である二ノ宮耕一は、
事件は陰謀などではないことを嫌というほど知っています。

また、ほとんどのアレフの出家信者も、
上祐代表がアレフで代表だった際に(2000~2003)、
教団が事件に関与したことについて、事件年表などを配付され、
詳細な説明を受けています。

よって、現在のアレフが陰謀説を説いているのは、
入会を促進するための詐欺的な手段にほかなりません。

そして、それは、彼らが絶対視する麻原とその教団の真理に導くために、

「結果のためには手段を選ばない実践」

として行っている
のです。
これが、一連のオウム事件に結びついたヴァジラヤーナ思想でもあるのです

そういったことをする背景には、幹部は幹部のレベルで、

「自分たちが信じたものは正しいと思いたい」

という自己愛や甘えに基づく虚栄心、
言い換えると、麻原への依存=麻原から自立するという本当の努力の回避や、
それとともに、「陰謀論で洗脳することが、
信者獲得のために都合が良い」
という実利
も存在します。

このように、彼らの自己愛や甘えに基づいて、
自己正当化の虚栄心と信者獲得の欲得の二つの欲望が
絡んで、そのように行っているといえます。

【アレフの修行の危険性①】アレフの修行は、気づかないうちに人を傲慢にする

(2012-04-20 22:05:04 の記事)

 アレフの修行は、気付かないうちに、人を傲慢にしていきます。
 気付かないうちに、そうなってしまうということが、大きな落とし穴なのです。
 人がだれしも心の中に持っている、落とし穴ともいえると思います。

 アレフには、人の、虚栄心、自尊心などをくすぐる、パターン化された勧誘方法があります。
 これは、オウム真理教時代のやり方を引き継いでおり、同じやり方をしています。

 以下に、知らず知らずのうちに、傲慢になっていってしまうプロセス・問題点を説明します。


(1) 称賛による虚栄心の増大

まず、アレフは、その勧誘において、自分たちと出会った人を、

  「真理に巡り会った徳の高い魂」

などと称賛し、一般の人に比べて、

  「優れた存在・選ばれた存在」

とすることで、虚栄心を満たす方向に誘導します。

 勧誘された人は、当初は、覆面ヨガ教室などで、アレフだとわからないこともあって、それに喜んでいるうちに、次第に引き込まれていってしまいます。


◆その実例①(アレフを脱会した20代男性・東京 体験談より)

入会以前の勉強会から、ことあるごとに言われてきました。
 「真理に巡り合えたのは奇跡」
 「自分の偉大なる功徳に感謝」
 「地球ほどの砂漠の一粒の砂ほどの確率」などなど、
その素晴らしさを称えることが本当に多くありました。


◆その実例②(アレフを脱会した20代男性・東京 体験談より)

 (書店で勧誘を受けたKさんから)
Kさんと同じヨーガ教室に通うよ
 う誘われ続けましたが、私は行く気にはなりませんでした。

 するとKさんは、私に対して、
 「これは君のために重要な機会」
 「今、ヨーガ教室に行く機会を逃せば、
真理に巡り合うことはない」
 「これは、かけがえのない教えだよ」
等と述べて、繰り返し説得をしてきました


 「とにかくやればわかるから」
「せっかく麻原尊師と縁があるのだから縁を深めましょう」

等と言われ、立位礼拝の修行をさせられたのです。


◆その実例②(宗形真紀子『二十歳からの20年間』(三五館)より抜粋)

麻原との初対面の後)弟子の一人に相談すると、
「グルと会ったから、気が上がって喉の浄化が起きたんですよ。
 しかし、初対面で直後にそうなるということはグルと縁が深いので
 すね」と言われました。

 そして、麻原との面談で個別に伝授されたマントラについて、
 「これは特に縁が深い人に与えられるマントラなんですよ。
 あなたはグルと特に縁が深いのですね」
と褒められてうれしくなり、
 単純にもすっかりその気になってしまったのでした。

 これが、オウムが多くの信者を集めた勧誘のパターンなのです。
 このパターンでは、自殺も考えたほど悩み、
何もかもうまくいかない
 わたしが、そのひと言で一瞬にして教祖と縁の深い特別な、
人から称賛
 される存在となります。
  これは、オウム・麻原の悪魔的魅力とも言えるもので、麻原には、

 手のプライド・自尊心・虚栄心を満たすことで、
自己に帰依させていく
 という特徴があり、それがたいへん巧みでうまかったのです。

 この麻原と初めて会った後に感じたわたしの、
一見何気ない喜びが、
 のちに特別な教祖と縁の深い自分は特別な存在だ、
という自己特別化の
 はじまりであり、自我を増大・肥大させるはじまりであり、
突き詰める
 と、
良心に反していても麻原の指示であれば犯罪を為すようなオウム的
 思考の、わたしの中でのはじまりだったのです。



(2) 神秘体験による虚栄心の増大と、麻原への盲信への誘導

アレフは、ヨーガの行法などで、まず、神秘体験をさせます。
それにより、その人が、

  「一般の人よりも優れた存在、修行者、聖者になった」

と主張して、虚栄心を満たす方向に誘導します。

その際に、その神秘体験について、具体的な根拠はないのにもかかわらず、

   「グルである麻原の神秘力によって、もたらされた」

と主張して、麻原への盲信に誘導するのです。

 ひかりの輪の修行者や、他のヨーガの修行者は、麻原なしで、クンダリニーの体験などのヨーガ体験・神秘体験をしています。
 ということは、それは、麻原の神秘力によってもたらされるのではなく、ヨーガの力によってもたらされる現象だからです。

>>詳しくはこちら ヨーガ・仏教の教えを、麻原の教えと混同して信じてしまう

こうして、虚栄心の増大、麻原への盲信の方向に誘導されます。


(3) 自己特別視による強い慢心の形成 

 
こうして、アレフの盲信が始まると、自分たちが

  「修行者」 「徳のある魂」 「聖者」 「聖なる魂」

となり、一般の人たちは、

 「修行をしていない凡夫」「汚れた魂」

となり、気づかないうちに、強い慢心が生じてしまいます。

 その裏側に起こることとして、麻原やアレフ教団の指導者に対しては、ひどく謙虚な態度となっていきます。

 ですがそれは、麻原やアレフ教団を、高く評価すればするほど、それに帰依する自分の価値も高まる構造になってしまっているから、そういう態度になっているだけで、本当の謙虚さではありません。


◆その実例(アレフを脱会したEさん 20代女性 体験談より)


 (家族にアレフをやっていることがばれたときに)「
ウソをついて身内を傷つけ
 てまで、家族よりアレフを信じるのか」と言われました。
 (私は、「無知なこの家族たちよりはアレフのほうが真理だから、
間違っていな
 いはずなのに」と思いました。


 サマナの方には、「真理の邪魔をして、
家族に悪業積ませちゃってるよ」
といわれ、「あなたが頑張って天界に行くカルマを作れば、
家族も救われるんだよ」と言われ、信じたくなります。

【盲信原因と脱却・はじめに】麻原・アレフの信仰からの脱却

(2012-03-14  22:26:46 の記事)

「麻原・アレフの信仰からの脱却(盲信する原因と脱却法)」
の目次ページです。

 ここでは、私達の過去の20年間に及ぶ経験を活かして、なぜ、麻原・アレフを盲信するかの原因や、その落とし穴と、その盲信からいかにすれば脱却していけるかを解説したいと思います。

 まず、アレフでは、依然として、麻原彰晃を、「最終解脱者、・シヴァ大神の化身」として絶対視しています。

 さらには、麻原の関与した殺人事件についても、圧倒的な客観的事実・証拠があるにもかかわらず、「陰謀である」と主張したり、「わからない」と考えたりして、麻原を否定する理由とすることを避けています。

 このような盲信から脱却するために、まず、
①「麻原・アレフを盲信する原因・落とし穴――盲信から脱却するために」 

と題して、盲信してしまう原因を総合的に分析し、その脱却法についてお伝えします。

 続いて、
②「麻原の人格分析」 
③「オウム信者の人格分析」

と題して、麻原と信者の人格の分析をしています。人格分析することで、盲信からの脱却に役立てていただきたいと思います。



①「麻原・アレフを盲信する原因・落とし穴――盲信から脱却するために」

 詳細は、一つ一つ述べていきますが、こうした盲信に陥る主な原因について、最初に、結論から言えば、以下の通りとなります。


1.>>アレフの信者は、麻原の実態をよく知らない

今のアレフには、オウム真理教時代の中堅幹部程度しかおらず、
彼らは麻原の実態をよく知りません

一方、かつての麻原の高弟のほとんどは、今麻原を否定しており、
少なくとも絶対視しているものは皆無
です。

その中で、今現在のアレフの信者は、一連の事件の後も、
自分たちが信じたものが正しいと思いたい欲求や、
教団の宣伝や教義に基づいて、実際ではない麻原を盲信しているのです。

また、最近勧誘される人は、一連の事件自体を
よくは知らない若い世代
が多いともいわれます。



2.>>アレフは、麻原について「誇大宣伝」している


麻原を絶対視する理由となっている麻原の超能力は、
全体として見れば、誇大宣伝の面が多々あります。

確かに、一定数の信者を集めた麻原には、他の宗教の教祖などと同じように、
一定の霊能力があったとは思われます。

しかし、それは、

 ① 教団が宣伝するほど絶対的なものではなく、予言などはほとんどが外れており、
 ② そういったタイプの人は、麻原だけではなく、社会にまま存在しており、
 ③ 人格の完全性の証明には全くならず、彼を絶対視する理由には全くなりません

他にも、麻原の宣伝として、

 空中浮揚の写真、
 脳波の特殊性、
 チベットやインドの聖者の称賛など

がありますが、それらには、裏の真実があり、虚偽の宣伝といわざるをえません。



3.>>ヨーガ・仏教の教えを、麻原の教えと「混同して」信じてしまう


現在アレフは、その布教・教化活動で、
最初から自分たちがアレフだと明かして布教・教化することができないので、

 ① 最初はアレフであることを隠したいわゆる「覆面ヨーガ教室」でヨーガを教えたり、
    人間関係を作ったりし、
 ② その後に、オウム真理教事件を含めた陰謀論の話をするなどしてから、
 ③ その後に、アレフであることを明かして、アレフに入会させています。

この中で、ヨーガや仏教の教えによって、
心身の状態が改善したり、神秘体験をする人がいます。

しかし、ここで問題なのは、
それが、麻原・アレフのオリジナルの教えではなく、
ヨーガ・仏教の教えであるにもかかわらず、
そういった体験を他のところでしていないがために、両者を混同してしまって、
麻原・アレフの恩恵であると錯覚してしまう
面があります。



4.>>アレフの修行による神秘体験を、「過大評価」してしまう


また、特に、ヨーガがもたらす神秘体験などについては、
教団全体が、真の宗教的な知識が未熟なために、その価値を過大視しています。

その結果、本来は、麻原・アレフから自立して
ヨーガ・仏教の修行をすればいいのですが、そうはならないのです。

ここには、自分でも気づかないうちに、
何か絶対的なものに頼りたいという依存心、厳しく言えば怠惰があり、
それが、自分で自立的に修行することを妨げています。



5.>>教団に「自尊心」を満たされ、信じたくなる心理作用がある


アレフは、勧誘の対象となる人に対して、

「真理(=アレフ)に巡り会った希な功徳を持った特別な存在だ」


として、端から見ると、異常なまでに称賛します。

そのため、そうされた人は、気づかないうちに、
自尊心が極度に(過剰に)満たされ、
「教団を信じたい」という心理が働きます


ただ、落ち着いて考えると、
一連の事件を起こしたアレフが真理であるという合理的な根拠はなく、
それは自分たちなりの手前勝手な解釈(慢心)なのです。

その結果、客観的に見れば、
誰かを「絶対である」とか「神の化身である」などと判断できるとしたら、
本来、それは神の化身自身だけであるにもかかわらず、
アレフから強く称賛される中で、自分でも気づかないうちに慢心に陥ると、
本当の意味での謙虚さを忘れてしまい、アレフでの多少の体験によって、
安直にアレフ・麻原を「正しい、絶対である」と信じる過ちを、犯してしまうのです。



6.>>アレフが説く、「グルへの帰依の教えの呪縛」を受けてしまう

アレフの教義では、密教の教えを誤って解釈した結果として、

 「自分のエゴを滅するために、
  グルである麻原や教団の指導者に疑念を持たない、
 グルを絶対と見なければならない」


という教えがあります。

この教えに呪縛されてしまい、麻原を絶対視し、否定できない場合が多くあります
しかし、これは、正しい密教における帰依の教えの解釈ではありません。



7.>>「輪廻転生」を、原理主義的に盲信してしまう

 もう一つ記事があります

   >>輪廻転生への盲信と、地獄へ落ちる恐怖からの脱却体験談

アレフの教義では、「輪廻転生は絶対に存在する」と主張していますが、
それは科学的には完全に証明されていることではなく、
そもそも仏教の開祖・釈迦牟尼も輪廻転生を強調してはいません

しかし、アレフは輪廻転生を原理主義的に解釈し、

「現代人の99パーセントは地獄に落ちる」と脅した上で、
「救われるにはグル(麻原)に帰依するしかない」と強く指導しています。

仮に輪廻転生があるとしても、何も麻原の力に頼らなければならないということはなく、
現にアレフでも崇拝している釈迦牟尼自身、誰か特定の人物を
神の化身として絶対的に帰依するようなことは弟子達に求めませんでした
(むしろ逆に釈迦牟尼自身に対する個人崇拝を戒めていた)。

現代には、麻原に頼らずとも、多くの有力な宗教的指導者は存在していますし、
麻原なしで、輪廻の恐怖から解放された元オウム信者の体験も多々あるのです。



8.>>「オウムの過去の犯罪の事実」を、よく認識していない

アレフでは、過去のオウム事件について、
客観的には麻原・教団の関与を示す圧倒的な証拠があり、
上層部であればあるほど、よく知っているにもかかわらず、
教化活動では、事件を正当化しにくいために、事件を「陰謀」と説き、
そう信じさせるための緻密なプログラム・教材を作成しています。

また、古くからの信者の中には、
自分たち自身も、自分の信仰を守るために、
陰謀論を盲信している者もいると思われます。

そして、新しい信者については、
特に事件を直接的に知らない若い世代の人は、陰謀説を信じやすく、
事件の重大性とその影響を理解しにくい、ということができるでしょう。



9.>>アレフの、「現在の違法行為・犯罪行為の可能性」をよく認識していない

また、「オウム事件は過去の問題で、今後アレフが違法行為を犯すことはない」
と考えている人がいるかもしれません。

しかし実際には、
今現在も、自己の教祖・教団を絶対視する教義などの結果として、
アレフでは、

①被害者賠償契約の違反
②著作権の侵害
③裁判での偽証
④詐欺・恐喝的な行為
などの違法行為や違法の可能性のある行為がなされています。

2012年5月・6月には、逮捕・起訴者が出ました(一審は被害者男性の供述が変遷しているとして無罪、検察は「控訴を含めて慎重に検討する」としているす。2013年3月14日)。



10.アレフの修行の一部には、「危険性がある」ことを知らない
 

アレフが行っているヨーガや密教の修行の一部には、
一般の人がなすならば、精神的・身体的な危険性があるものが含まれています。

例えば、ツァンダリーという秘儀瞑想がありますが、
チベット密教などでは、その危険性から、ごく一部の選ばれた出家修行者にのみ、
その実践を許可しているというものがあります。

実際に、オウム真理教では、一部ではありますが、
修行によって精神疾患が発生したと思われる事実があります。

しかし、アレフ信者の多くは、この危険性をよく知っていません。

それでは、上記の一つ一つについて、次の記事から、詳しく説明していきます。



②「麻原の人格分析」


1.>>はじめに オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析

 オウム問題の解決のためには、麻原がどのような人格の持ち主であったのかを分析することは必要なことです。

 それは、信者や元信者の中には、麻原の起こした一連の事件の悲惨さ・残忍さをひどく嫌悪しつつも、

 ①自分自身は、「麻原の超人的と思える面」を感じたり、 
 ②「自分個人は非常によく面倒を見てもらった」などの経験があり、

 その二つの「矛盾」の中で葛藤し、麻原がいったいどういった人間なのかがわからず、その意味で、「呪縛」から十分には解放されていない人たちが存在すると思います。

 その人たちが、「呪縛」から解き放たれるためには、「矛盾」を解くことが必要です。
 そのために、麻原の人格を分析する必要性がでてきます。
 そこで役立つのが、「人格障害」の概念であると私たちは考えています。


2.>>「空想虚言症」の特徴とその特徴に符合する麻原

◎「空想虚言症」の特徴

1 空想力が異常に旺盛で、空想を現実より優先してしまう。
2 弁別がよどみなく、当意即妙の応答が巧みである。
3 好んで難しい外来語や、こけおどしの言葉を並べ立てる。
4 人の心に取り入り、それを操り、関心を惹くのがうまい。
5 自己中心の空想に陶酔し、他人の批判を許さない。
6 万能感と支配幻想
7 責任転嫁
8 実利的な利益の重視

◎麻原の説いた「演技の修行」と「空想虚言症」の関連


3.>>「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析
 

 「誇大自己症候群」に基づいて、麻原の人格分析の試みを行います。


4.>>「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動の比較検討 その1

①「万能感」という誇大妄想
② 自己顕示欲
③「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想
④「他者に対する共感性」の未発達、喪失


5.>>「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動の比較検討 その2


⑤ 権威への反抗と服従
⑥ 強い支配欲求
⑦ 罪悪感・自己反省の乏しさ、責任転嫁と自己正当化


6.>>「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動との比較検討 その3

⑧ 現実よりも、ファンタジー(幻想)や操作可能な環境に親しむ
⑨ 被害妄想
⑩ 目先の利益や快楽のために他人に害を与えても平気――規範意識の欠如
⑪ 内に秘める攻撃性



7.>>まとめ 麻原の妄想的な信仰と「誇大自己症候群」


まとめになります。



③「オウム信者の人格分析」

1.>>親子関係の傷=第二の親・麻原

・傷ついた親の理想像と誇大自己
・上祐代表の場合
・多くの弟子たちの共通点


2.>>「自己愛型社会」という視点から

日本において、明確に「自己愛型社会」ということが言われだしたのは、
1980年代です。

自己愛型社会のキーワードをいくつか挙げれば、

 「誇大自己」
 「自己存在意義への欲求」
 「劣等感と優越感」
 「依存」
 「被害妄想と誇大妄想」。

他には、

 「自己特別視」
 「責任転嫁」
 「自己正当化」
 「現実回避」
 「自己愛的空想」もあるかと思います。


オウム真理教の弟子たち・信者の人格分析② 「自己愛型社会」という視点から

2012-04-10 16:35:05 の記事) 

前回に続き、オウム真理教の弟子たち・信者の人格分析の②として、
「自己愛型社会」という視点から分析していきたいと思います。

日本において、明確に「自己愛型社会」ということが言われだしたのは、
1980年代です。

自己愛型社会のキーワードをいくつか挙げれば、

 「誇大自己」
 「自己存在意義への欲求」
 「劣等感と優越感」
 「依存」
 「被害妄想と誇大妄想」。

他には、

 「自己特別視」
 「責任転嫁」
 「自己正当化」
 「現実回避」
 「自己愛的空想」もあるかと思います。

80年代に思春期を送っていた弟子たちの多くも当然、
上記の要素は多分に持っていたと思われます。

それを弟子たちに当てはめれば、
誰もが持っている「自己存在意義」「特別な存在であること」
への追求を背景として、
自分と他人を比較して、「劣等感と優越感」の双方を持ち、
自分がより偉大になるために、
麻原を含めた絶対的に見える他者に、安直に「依存」する、という傾向を持ち、
その中で、教祖と同じように「被害妄想・誇大妄想」を発展させていった、
ということになると思います。

まず、オウム真理教の出家者を見てきて、
大まかに3つのグループに分けられると思います。(世間でも同じと思われます)

 エリートといわれる人たち

一つは、いわゆる「エリート」と言われる人たちです。
しかし、いくらエリートといえども、
絶対的に、自分が他より優越しているということはあり得ず、
「劣等感と優越感」は背中合わせに持っていたでしょう。

「卑屈・被害妄想」と「誇大妄想」も持っていたと思われますが、
どちらかというと、誇大妄想優位であり、
「他より抜きん出よう」という意識が強いと思われます。


 社会の中では、生きづらい人たち

次は、社会の中では、なかなか生きづらいという人たちです。
社会性が乏しく、不器用なるがゆえに生きづらさを感じていたり、
実際にちょっと蔑んで見られ、「劣等感」を持っていた人たち。
このタイプの人たちは、「卑屈・被害妄想」優位ですが、
そうであるがゆえに、逆にそれを補償するものとして、
隠れた「誇大妄想」も持っています。


 平均的な人たち

三つめは、平均的な人たち。
この人たちは、「自分より上」と思う人に対する劣等感と、
下に対する優越感を持っています。
この人たちは、「卑屈・被害妄想」と「誇大妄想」を、
ほぼ均等に持っていると思われます。

自己愛が強い人ほど、
「特別な存在でありたい」「特別な存在である」という思いが強い。
その思いが強いと、それと違う現実によって生じる劣等意識も強くなります。
劣等意識と優越意識は、被害妄想 と誇大妄想を生み出します。
劣等意識によって卑屈になり、
卑屈になると「被害妄想・被害者意識」が生まれます。
一方、優越意識は、自己を誇大視し「誇大妄想」を生み出します。


こういった「自己愛型社会」に生きる、自己愛の強い信者の心理的な傾向は、
麻原の「誇大妄想・被害妄想」と共鳴したのではないかと思います。

信者が麻原に優越感情を刺激されたところとしては、
「選ばれた魂」であると規定されたことです。

そのように規定されることで、自分が「特別な存在」になれ、
優越感が満たされたのです。

そして、それを確たるものにするために、

グルは「絶対的偉大な存在」である、
「キリスト」である、

ということを受け入れたのです。

その部分を受け入れるということは、
「キリスト」であることによって形作っていった麻原自身の妄想世界に、
同調していくことは当然であったように思います。

自分はキリストの選ばれた弟子という思い。
救世主の団体。
世界を救済する団体の一員という「優越感」と「自己愛」です。

また、「変身願望」というものも多くの弟子はもっていたように思います。
「誇大自己」の人たちは、
今の自分は本当の自分ではない、
「仮の姿」にすぎないと思う傾向があります。

そして、それに対して現実の中で、現実的に自己を改善するのでなく、
キリストの選ばれた弟子になることで、
「世界を救済する戦士」に生まれ変わって、
これこそ自分の本当の姿であると、
それまでの卑屈な自分から「変身」してしまったのです。
安易で安直な方法で、優越感情に浸れたわけです。

「自己愛人間」は、現実でなく、「妄想」の中での自分を生きる傾向があります。

このような傾向のある者たちが、「自己愛」を満足させてくれる「妄想」を
与えてくれる麻原に好感を持たないはずがありません。

ですから、麻原の「キリスト(救世主)」という妄想を
積極的に肯定することになったのです。

また、「そうあってほしい」という願望も麻原に「投影」され、
ますます麻原の「絶対化」は進んだと思います。

麻原の絶対化・神格化が進めば進むほど、
自分は「偉大なキリストの弟子」という自己愛を満たす
ご馳走を食べることができるわけです。

表層意識では、純粋な気持ちで麻原を「キリスト」と認めている
と本人たちは思っていたと思います。

しかし、潜在意識では、
このように自己利益のために麻原を「キリスト」であると、
積極的に受け入れていった(面もある)と思います。

今までは自己愛を満たすために
「キリストとしての麻原」に「依存」していましたが、
もう一つ違う「依存」もありました。

麻原は、非常に明確に、断定的に価値観を示し、
問題の解決の答えを示す傾向がありました。

不安定な、不確実な時代の中で、
「確実なもの」「絶対的な価値観」「指針」を求めていた多くの人にとって、
頼もしい「依存」できる対象だったのです。

生きていく中で、なかなか割り切れず解決がつかないものに、
全部説明をつけてくれたのです。
「これですべてわかった!」というわけです。
これは、すっきりして非常に心地いいものです。

しかし、実際には、はっきりすっきりわかるものではありませんが、
若いときは、早急に答えを欲する傾向が誰しもにあり、
若い弟子たちにとっては、
やはり、この点でも惹きつけられるものがあったのだと思います。

こういう「依存」です。
自分で苦しんで悩んで経験して答えを出すのではなく、
依存して答えを与えてもらって解決するというものです。

それによって弟子たちは、自分で思考することがなくなっていきました。

このように、自分にいくつもの心地よさを与えてくれる「絶対者」の指示には、
喜んで従うようになり、麻原の妄想世界をともに築いていったのです。

オウム真理教の弟子たち・信者の人格分析① 親子関係の傷=第二の親・麻原

( 2012-04-09 19:13:41 の記事) 

前回までに、オウム真理教の事件の原因を解明して、
オウム問題を解決し、それを二度と繰り返さないようにするために、
「麻原とは、いったいどういった人物だったのか」を
科学的に分析することが必要不可欠である
という視点から、麻原の人格分析を行ってきました。

今回は、それに異常なまでに付き従った弟子たちや信者の人格分析を
行いたいと思います。


◆親子関係の傷
 ――残存する「理想化された親のイマーゴ」=第二の親・麻原

◎理想化された親のイマーゴ


「理想化された親のイマーゴ」とは、
自分を支配し、願望をかなえてくれる「神」のような親の理想像です。

ある時期、親や身近な大人を、「理想化したもの」として尊敬し、
「手本」として取り込むことが、この「理想化された親のイマーゴ」も、
子どもの健全な成長にとって欠くことのできないものです。

もちろん、ある時期に生じた「理想化された親のイマーゴ」は、
子どもが成長する中で、現実の親や大人の「理想的ではない部分」
徐々に認識する中で、徐々に解消されていき、
その結果、理想ではなく、現実に基づいた、
親や他者への尊敬・尊重に変わっていきます。

ところが、何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、
「理想化されたイマーゴ」としての役割を果たせず、
本人の期待をひどく裏切ったり、本人に対して支配的すぎたりすると、
本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、親のイマーゴばかりが、
「過度に膨らんだもの」として、
本人の心の中に、居座り続けることになるとされています。

こうして、現実的な、成熟した、健全な自己愛に向かった発達が
損なわれた結果として、
「誇大自己」や「理想化された親のイマーゴ」が残存して支配する
という考え方は、子どもや大人の「非行」を理解する上で、
非常に有効な概念だとされています。

どのくらいの弟子たちが、その親との関係で、
誇大自己症候群の原因となるような、
親の適切な愛情の施しにおいて、問題があったかは未調査です。

また、一般社会のケースと比較する必要もあるかもしれません。
しかし、親に傷を持っている人は、結構多いように思われます。
 
また、現代の社会は、いわゆる「父権の喪失」によって、
子どもにとって、親が、先ほどの論理でいう、
「理想化された親のイマーゴ」への欲求を適切に満たして、
適切に解消するという健全なプロセスが実現されにくい面があります。

すなわち、子どもの理想・尊敬の対象になりにくい、ということです。

◎上祐代表の場合


例えば、麻原の男性の一番弟子と言われた上祐代表の場合は、
両親の別居が小学生時代から始まっており、
父親は別の女性と暮らして上祐氏の家に帰ってこなくなり、
それに悩む母親を見ながら育ち、
その他、父親の経営する会社は倒産してしまいました。

こうした中で、上祐氏は23歳頃に、
「超能力を身に付けてスーパーマンになりたい」といった願望で、
オウム神仙の会に入会し、
その後、麻原の説く「解脱者になって世界を救済する」ということに共鳴し、
オウムに出家しました。

上祐氏は、
自分が解脱し救済者になるという理想=「誇大自己」の実現を手伝ってくれる、
「理想化された親のイマーゴ」として、麻原に依存していきます。

この中で、上祐氏は、麻原を、自分の頼りなかった両親に代えて
「第二の親・親代わり」にした面があったと思われます。

◎多くの弟子たちの共通点

 「麻原を、理想化された親のイマーゴとした」という点ですが、
これはほとんどの弟子たちに共通した側面であったのではないか、
と思われます。

弟子たちは皆、「麻原に依存すること」で解脱者になる、
キリストの弟子として救済者になる、

という「誇大妄想的な」欲求を満たそうとしました。

そして、多くの出家した弟子たちは、
隠語として、麻原を「お父さん」と呼ぶときがありましたし、
出家とは、仏教でいう、いわゆる「家を出る」という意味合いではなく、
理想的ではない肉親の家族から、自分の理想を実現してくれる、
頼れる「麻原の大家族に移ることだった」と思われます。

その後、外部社会から客観的に見るならば、
弟子たちは、95年以降、麻原の逮捕・勾留によって、
事実上、麻原を失いました。
「失った」はずでした。

ところが、弟子たち・信者たちの中では、
「麻原を失った」ということを自覚しない、したくない人たちが、
よりいっそう麻原を「理想化」して、教団を辞めずに、続けていきました。

これは、誇大自己症候群における
「誇大自己」と「理想化された親のイマーゴ」の問題そのものです。

 「何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、
  "理想化されたイマーゴ"としての役割を果たせず、
  本人の期待をひどく裏切ったり、"本人に対して支配的すぎたりする"と、
  本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、
  "親のイマーゴ"ばかりが、過度に膨らんだものとして、
  本人の心の中に、居座り続けることになる」

と上記に述べました。

麻原は、信者の第二の親としては、
明らかに、「本人に対して支配的すぎたりする」親でした。

教団の中で、麻原は、
「偉大なグル」「キリスト」「マイトレーヤ」といった「絶対的な位置付け」を持ち、
弟子は、麻原の弟子として、今生に限らず、来世を含めて未来永劫、
一緒に転生し、麻原のお手伝いをしていく、という方向に誘導されました。

それとは反対に、仮に、弟子が脱会するなどして、
グル・麻原から離れるならば、
グル・真理との縁が傷つき、
地獄などの低い世界に転生する(可能性がある)という
「恐怖」も植え付けられました。

こうして、信者の第二の親としての麻原は、
「本人に対して支配的すぎたりする」親でありました。

そのため、弟子・信者たちは、
「本来の育むべき理想や自立心が育たないまま」の状態になり、
麻原という「親のイマーゴばかりが、過度に膨らんだものとして、
本人の心の中に、居座り続けることになる」という状態になりました。

これは、今現在も、私たちがひかりの輪として独立する中で、
脱会したアレフ(現在Aleph に改名)について当てはまることです。

その中では、わたしたちが脱会した5年前に比べ、
さらに、麻原の神格化、絶対化への回帰が強まっており、
誇大妄想的な主張や指導が、依然として展開されているのです。

【麻原の人格分析⑦まとめ】 麻原の妄想的な信仰と「誇大自己症候群」

( 2012-04-04 13:45:31 の記事) 

これまで、オウム真理教の事件の原因を解明して、オウム問題を解決し、
それを二度と繰り返さないようにするために、

「麻原とは、いったいどういった人物だったのか」を
科学的に分析することが必要不可欠である


という視点から、分析を行ってきましたが、今回がまとめとなります。

麻原の人格・欠点・能力を科学的に理解するために、
心理学の人格障害の中で、「誇大自己」「空想虚言」といった概念に
照らし合わせてみる試みです。

これまで、以下の記事を掲載しました。

1 オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析

2 「空想虚言症」の特徴と、その特徴に符合する麻原

3 「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析 

4 「誇大自己症候群」の特質と麻原の言動の比較検討 その1
    同 その2
    同 その3 


◎麻原の妄想的な信仰を「誇大自己症候群」の一部として理解する

「誇大自己症候群」に基づいて考えると、
麻原は、青年期を過ぎても、等身大の自分を受け入れて、
社会における現実的な自分の活かし方を見つけて、
健全・建設的な自尊心をもって生きることができず、
繰り返し、「誇大妄想」に基づく挑戦をし続け、破綻を繰り返しながら、
最後に破滅した、ということができます。

子どものころから、大人になるまで、その「誇大な欲求」は絶えることなく、
むしろ、何かにつまずいて破綻するたびに、ますます大きくなって、
さらに大きな破綻をして、
そのたびに、違法行為の度合いも大きくなっていきました。

 具体的には、

① 人徳もなく生徒会長になろうとして落選し、

② 学力もなく「国立の医学部に入学し医者になる」とか、
 「東大の法学部に入学して総理大臣になる」と主張し失敗し、

③ 薬局を開いてからは、知り合いの医師を騙して、
 保険金の不正請求を犯して返還請求をされて事業が破綻し、

④ 高額な漢方薬を売りまくって、薬事法違反を犯して逮捕され、
 刑罰を受け(略式起訴)、

⑤ 宗教団体(オウム真理教)を開いてからは、
 民主的に政権をとろうと考えて、選挙に出て惨敗し、

⑥ その後は、教団武装化=軍事力によって、日本・世界の王になろうとして、

⑦ 95年をきっかけに、一連の事件が発覚して、破滅した、

 という経緯です。

こうして、彼は、最後まで、

「自分が、とてつもなく偉大な存在になる」

という欲求を持ち続けました。

そして、ヨーガ修行の道に入った段階で、麻原は、
その自分の願望を満たす存在を見つけます。

それは、麻原の内的世界に現れていた「神(特にシヴァ大神)」でした。


◎現実の先輩修行者たちには、反発・反抗し続ける

そして、「シヴァ大神」に「理想化された親のイマーゴ※」を
見いだした後の彼は、現実の世界の先輩修行者について、
それを本当の意味での尊重・尊敬の対象とすることはなく、
次々と否定していきました。

※「理想化された親のイマーゴ」とは
 人間が、自己愛が発達・成熟していく過程において、発達させる心理学の概念の一つで、
 自分を支配し、願望をかなえてくれる「神」のような親の理想像のことを指します。
 しかし、何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、「理想化されたイマーゴ」としての役割を
 果たせず、本人の期待をひどく裏切ったり、本人に対して支配的すぎたりすると、
 本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、親のイマーゴばかりが、 
 「過度に膨らんだもの」として、本人の心の中に、居座り続けることになるとされています。

例えば、

雨宮師、
パイロットババ師、
カル・リンポチェ師、
ダライ・ラマ法王

などが現れますが、最初は、高く彼らを評価しながら、少し付き合うと、
すぐに「自分よりも下の存在」と位置づけました。


◎「妄想的な予言」に見られる麻原の誇大妄想と被害妄想

そして、その後の宗教活動では、社会から不当に弾圧されているという
「被害妄想」を生じさせるとともに、
自分がコントロールできる幻想の世界の中で、
自分が絶対者であるという「自己万能感」に浸ろうとして、
「予言に基づいた教団活動」の世界にのめり込んでいったのではないか、
と思われます。

麻原と社会の関係は、麻原の妄想的な過激な言動に、社会が反発し、
その社会の反発を麻原が自己の誇大妄想を増大させるために再度利用する、
といった、一種の「悪循環」があったのではないか、と思います。

このような仕組みによって、

「世界征服をたくらむ影の組織フリーメーソンが、
 教団を攻撃してくるのであり、
 自分たちは予言された救世主の団体である」

という幻想世界を突き進み、それに弟子たちを巻き込んでいったのでした。


◎時代全体にあった(妄想的な)予言の流行

なお、このような彼の妄想的な予言への傾斜は、
広い意味では、時代の潮流の一部であったように思われます。

例えば、「ノストラダムスの予言」については、
1973年の五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』(祥伝社)がベストセラー
になりましたが、麻原も、その存在を知ったことでしょう。

その後、麻原が入信した阿含宗でも、桐山氏が
『1999年カルマと霊障からの脱出』(桐山靖雄、平河出版社)という本を
1981年に出してもいるので、さらに興味が増していったと判断できます
(麻原は1980年夏に阿含宗に入信している)。

その他にも、ヒトラー、エドガー・ケーシー、ジーン・ディクソン、出口王仁三郎
と、破局の予言をしている人は大勢いました。

そのような時代の潮流に乗った上で、麻原は、それらの予言よりも、
さらに妄想的な「自己の予言」に傾斜していったのです。


※より詳しい内容が以下に書かれていますのでご覧ください。
【5】麻原の妄想的な信仰と「誇大自己症候群」
http://hikarinowa.net/kyokun/generalization2/psychology2/04-5.html

【麻原の人格分析⑥】 「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動との比較検討 その3

( 2012-04-03 21:57:17の記事) 

前回までに、以下の項目について、
「誇大自己症候群」の特質と麻原の言動との比較検討を行ってきました。

 ①「万能感」という誇大妄想
 ② 自己顕示欲
 ③「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想
 ④「他者に対する共感性」の未発達、喪失
 ⑤ 権威への反抗と服従
 ⑥ 強い支配欲求
 ⑦ 罪悪感・自己反省の乏しさ、責任転嫁と自己正当化

今回は、その最後の項目⑧~⑪となります。


現実よりも、ファンタジー(幻想)や操作可能な環境に親しむ


この傾向は、生の現実ではなく、思いのままにコントロール可能な模造現実を、
居心地よく快適と感じるものです。

ファンタジーであれ、その底流にあるのは同じく、
「思い通りになる」ということであり、
「万能感」を容易に充足させてくれるということです。

「誇大自己」を抱えた人は、社会的な孤立と、
「自分は周囲から認められない」という思いは、
単に自己否定感を深めるだけでは終わらず、
それを補うために、心の中で、別のプロセスが進み始めます。

すなわち、より誇大で自己愛的なファンタジーにのめり込んだり、
思い通りになる弱い存在を支配することで、
自分の万能感や力の感覚を満たし、どうにか折り合いを付けようとするのです。

そして、麻原の場合は、ファンタジーにのめり込むことと、
思い通りになる弱い存在を支配することの、
双方を兼ね備えていたのが「宗教」だったのです。


被害妄想


次に、前にも出てきている「被害妄想」の傾向ですが、
これは、周囲から侵害されるのではないかという「不安」ゆえに、
余計にかたくなな態度で、防備を固めようとする傾向にも通じるものです。

そして、麻原の場合は、この被害妄想が、非常に顕著でした。
例えば、

① 幼少のころの親に対する見方(親が自分を捨てた、搾取しようとした)

② 生徒会選挙に落選した際に「教師の妨害があった」と決めつけたこと

③ 自分は「キリスト」で、「悪魔の勢力から弾圧される」
  という予言世界観を唱えたこと

④ マスコミなどに批判されると、
 「その裏に創価学会・フリーメーソン・国家権力がいる」と主張したこと

⑤ 衆議院選挙に落選すると、「投票操作をされた」と主張したこと

⑥ 「米軍の毒ガス攻撃を受けている」という主張を含め、
 「教団弾圧の裏にアメリカ・CIAが存在している」としたこと

など、枚挙にいとまがありません。


目先の利益や快楽のために他人に害を与えても平気
――規範意識の欠如


麻原がこれに当てはまることは、
さまざまな違法行為、犯罪行為を見れば明らかです。
そして、それは幼少のころからそうだったようです。
以下、ジャーナリストの書籍から見てみます。

  「盲学校の生徒には、大なり小なり社会にたいする憤りや、被害者意識、
  劣等感があるんです。
  しかし、ふつうの生徒はそんなことなど口に出さずに、
  社会に協力していこうという気持ちをもっていた。
  ところが、智津夫には、それがないんです。
  自分のために、まわりを利用しようという意識ばかりがあった。
  社会の常識は、自分の敵だと思うとった。
  そして長兄にくらべて智津夫には、
  人の上に立ちたいという名誉欲が人一倍強くありました」
    同様の話は、複数の元教師や現職の教師からも聞いた。

      (高山文彦氏『麻原彰晃の誕生』文藝春秋)

そして、教祖になる前も、保険料不正請求、薬事法違反、
そして、治療家としての誇大宣伝・詐欺的な行為など、一貫した傾向でした。

また、「目先の利益や快楽」といえば、
犯罪行為を犯す動機自体が、まさにそれでした。

最初の事件は、単なる事故死であったにもかかわらず、
「教団の名誉・自己の救済活動に傷をつけたくないがあまり」、
死体遺棄の罪を犯しました。

しかし、そのために、後ほど、それを目撃した弟子が告発することを恐れて、
その弟子を殺害するという事件につながっていきました。

また、坂本弁護士事件は、同弁護士が教団のマスコミ批判の裏にいると考え、
それを排除するために行われましたが、
マスコミの批判などは常に一過性ですから、
静まるまで辛抱すればいいことでした。

地下鉄サリン事件は、教団に迫る警察の強制捜査を嫌って、
延期させるために行われたとされていますが、
辛抱して強制捜査を受け止めなかったことが、彼にとって致命的となりました。


 内に秘める攻撃性

誇大自己の万能感は、その絶対性を傷つけられると
「自己愛的怒り」を生みます。
「自己愛的怒り」は、絶対者である神や王の怒りに似ています。

これは、すべて自分の思い通りになることを期待し、
「自分こそ正しい」という思い込みが否定されることから生じる怒りです。

怒りによって生じる行動は、まさに神や王のそれであり、
相手に「思い知らせる」ために、相手の存在を消し去ることさえ躊躇しません。

麻原の場合も、この傾向は非常に顕著でした。

麻原は、自己を「最終解脱者」であり、「キリスト」と位置付け、

「自分を批判・攻撃した者は、大変な悪業を積むことになり、
 神々の怒り・裁きが下る」

としました。

そして、それだけに止まらず、その裁きを自ら実行するために、
教団の武装化や、さまざまな暴力犯罪を犯しました。
すなわち、明らかに、彼自身が、「裁きの神」となっていったのです。
彼が解釈した「予言されたキリスト」は、そういった神の化身であり、
彼にとってのポワとは、救済であるとともに、一種の「裁き」だったのです。


※より詳しい内容を以下に掲載していますので、ぜひご覧ください。
【4】「誇大自己症候群」の特質と麻原の言動の比較検討
http://hikarinowa.net/kyokun/generalization2/psychology2/04-4.html
プロフィール

アレフ問題対策室

Author:アレフ問題対策室
▶アレフへの疑問、脱会しても大丈夫か、スムーズな脱会の方法等ご相談ください。ひかりの輪スタッフは脱会して13年、呪縛から解放され幸せです。
▶ご家族がアレフに入信して困っているご家族の方のご相談も、多数いただいております。
▶元・オウム・アレフ信者の経験から、150名以上の脱会を支援してきました。
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