男性幹部信者の温熱修行による死亡事件
男性の幹部信者Nは、ある女性の出家信者と、男女関係の破戒をしたと、麻原こと松本元死刑囚に批判され、50度の温度のお湯に15分入ることができるならば、その関係を認めてやると言われて、それを行いました。50度のお湯に15分入ると言うことは、全く無謀なことであり、高温のお湯に入ることを温熱修行と呼んでいた当時の教団でも、47度以上の事例はありませんでした。
しかし、Nは、それを行なうことを選択しました。その際に、新実元死刑囚や、他の男性幹部信者が付き添いました。Nは、50度の湯に入ってからまもなく意識を失いました。こうして、明らかに危険な状態になったにもかかわらず、新実らはNを救い出さずに、15分経つまで、浴槽の中に抑え込み続けました。
この際、意識を失っても、15分お湯から出さなかったことが、松本の意思かどうかは不明ですが、他の男性幹部信者は、新実元死刑囚が松本の意思を知っていると考えて、それに従ったという情報もあります。
この事例は1995年時点から当局が既に知っていると思われますが、本人自身が自分の意思で行った無理な修行の結果として死亡したために事件性がないと判断したのか、事件性があったとしても、他のより重大な事件を優先して、立件されなかったものと思われます。
なお、以上の情報は、報道関係者の一部にも知られています。そして、ひかりの輪のスタッフの一人も、新実元死刑囚と共にNをお湯の中につけ続けた元男性幹部信者の一人からこの話を聞いており、それが上記の情報に反映されています。
しかし、Nは、それを行なうことを選択しました。その際に、新実元死刑囚や、他の男性幹部信者が付き添いました。Nは、50度の湯に入ってからまもなく意識を失いました。こうして、明らかに危険な状態になったにもかかわらず、新実らはNを救い出さずに、15分経つまで、浴槽の中に抑え込み続けました。
この際、意識を失っても、15分お湯から出さなかったことが、松本の意思かどうかは不明ですが、他の男性幹部信者は、新実元死刑囚が松本の意思を知っていると考えて、それに従ったという情報もあります。
この事例は1995年時点から当局が既に知っていると思われますが、本人自身が自分の意思で行った無理な修行の結果として死亡したために事件性がないと判断したのか、事件性があったとしても、他のより重大な事件を優先して、立件されなかったものと思われます。
なお、以上の情報は、報道関係者の一部にも知られています。そして、ひかりの輪のスタッフの一人も、新実元死刑囚と共にNをお湯の中につけ続けた元男性幹部信者の一人からこの話を聞いており、それが上記の情報に反映されています。
女性の幹部信者Yさんの殺害事件の概要
1991年頃、松本智津夫元死刑囚(以下、松本)は、Yさん(当時「師」の称号を持っていた出家信者の幹部で、富士山総本部道場の経理部のトップ)がスパイ行為を働いたと疑い、Yさんを詰問しました。これに対して、Yさんは身に覚えがない様子でしたが、「師」として認められたYさんは、松本への帰依心のためかと思われますが、真っ向からは否定せずに、「思い出せない」「なぜ思い出せないんだろう」などと、泣きながら言うなどしました。
その中で、ついに松本は、「白状しないならばポアする」という趣旨のことを言いました。そこで同席していた中川智正元死刑囚と新実智光元死刑囚が、Yさんを取り押さえるなどしましたが、その際も、Yさんは松本への帰依心のためか、「やめてください」と言ったり、体をバタバタさせたりすることなどはせず、目立った抵抗はしませんでした。
その後、松本と話した中川が、何かの薬物を持ってきて注射し、それと同時に、息ができないように新実がYさんの鼻や口を手で押さえるなどすると、すぐにYさんは動かなくなり、医師の中川が死亡を確認していました。 また、中川・新実以外に、この状況を目撃していた者として、村井・上祐らの3人の当時の最高幹部がいます。
その後、遺体は、村井らが運び出し、同じ教団施設の中で焼却していましたが、最終的にどうなったかは不明です。また、事後に松本は、瞑想した結果「(Yさんは)魔女だった」などと述べていました。
その中で、ついに松本は、「白状しないならばポアする」という趣旨のことを言いました。そこで同席していた中川智正元死刑囚と新実智光元死刑囚が、Yさんを取り押さえるなどしましたが、その際も、Yさんは松本への帰依心のためか、「やめてください」と言ったり、体をバタバタさせたりすることなどはせず、目立った抵抗はしませんでした。
その後、松本と話した中川が、何かの薬物を持ってきて注射し、それと同時に、息ができないように新実がYさんの鼻や口を手で押さえるなどすると、すぐにYさんは動かなくなり、医師の中川が死亡を確認していました。 また、中川・新実以外に、この状況を目撃していた者として、村井・上祐らの3人の当時の最高幹部がいます。
その後、遺体は、村井らが運び出し、同じ教団施設の中で焼却していましたが、最終的にどうなったかは不明です。また、事後に松本は、瞑想した結果「(Yさんは)魔女だった」などと述べていました。
オウム・アレフの行方不明者の情報
オウム(現アレフ)には、数十名の行方不明者がいるとされています。その中には、単に教団を脱会した者に限らず、無理な修行による事故・内部殺人などで死亡した者がいると思われます。
しかしながら、一連のオウム事件の捜査では、サリン事件などの重大事件が優先されたため、捜査当局は、こうした教団内部の死亡者に関しては十分な捜査ができなかったとと言われています。その中には、一定の情報があっても、その性質から、犯罪とまでは言えないとか、犯罪であっても、立件された他の事件と比較すれば軽いために、麻原の裁判が長引くために立件しなかった事例もあると思われます。
実際の麻原の裁判の中で、検察がいったんは起訴した事件を途中で取り下げ、裁判の短縮を図った事実がありますから、裁判に長期化を防ぎ、麻原が自然死する前に死刑を執行し、事件の再発や教団の拡大を速やかに防止するために、立件自体がされなかった事案もあると思われます。
また、教団内部の死亡事案には、教祖が命を落とすような無理な修行を指示したとしても、本人がそれを行うことを帰依心などによって同意した、抵抗しなかった場合には、殺人ではなく、修行事故としてみなされたり、自殺幇助、同意殺人とみなされることもあると思われます。
そして、今後、ひかりの輪としても、松本の死刑執行を一つの契機として、こうした行方不明者・教団内部での死亡事例に関する情報を収集し、親族の方等にご報告するなどし、当時の教団の実態の解明に努め、過去の償いの一部とさせていただきたいと思います。
そうした情報をお持ちの方は、ぜひとも、ひかりの輪の広報部までご連絡ください。
ひかりの輪広報担当(広末晃敏、宗形真紀子)
メール:koho@hikarinowa.net
携帯電話:080(6515)0369
固定電話:03-6887-2149
*外出も多く携帯電話の方がよく繋がります。
*留守電の場合、お名前・ご連絡先を録音願います。
折り返し速やかにご連絡します。
郵便:〒157-0062 東京都世田谷区南烏山6-30-19-206 ひかりの輪広報
しかしながら、一連のオウム事件の捜査では、サリン事件などの重大事件が優先されたため、捜査当局は、こうした教団内部の死亡者に関しては十分な捜査ができなかったとと言われています。その中には、一定の情報があっても、その性質から、犯罪とまでは言えないとか、犯罪であっても、立件された他の事件と比較すれば軽いために、麻原の裁判が長引くために立件しなかった事例もあると思われます。
実際の麻原の裁判の中で、検察がいったんは起訴した事件を途中で取り下げ、裁判の短縮を図った事実がありますから、裁判に長期化を防ぎ、麻原が自然死する前に死刑を執行し、事件の再発や教団の拡大を速やかに防止するために、立件自体がされなかった事案もあると思われます。
また、教団内部の死亡事案には、教祖が命を落とすような無理な修行を指示したとしても、本人がそれを行うことを帰依心などによって同意した、抵抗しなかった場合には、殺人ではなく、修行事故としてみなされたり、自殺幇助、同意殺人とみなされることもあると思われます。
そして、今後、ひかりの輪としても、松本の死刑執行を一つの契機として、こうした行方不明者・教団内部での死亡事例に関する情報を収集し、親族の方等にご報告するなどし、当時の教団の実態の解明に努め、過去の償いの一部とさせていただきたいと思います。
そうした情報をお持ちの方は、ぜひとも、ひかりの輪の広報部までご連絡ください。
ひかりの輪広報担当(広末晃敏、宗形真紀子)
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