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【盲信原因と脱却・はじめに】麻原・アレフの信仰からの脱却

(2012-03-14  22:26:46 の記事)

「麻原・アレフの信仰からの脱却(盲信する原因と脱却法)」
の目次ページです。

 ここでは、私達の過去の20年間に及ぶ経験を活かして、なぜ、麻原・アレフを盲信するかの原因や、その落とし穴と、その盲信からいかにすれば脱却していけるかを解説したいと思います。

 まず、アレフでは、依然として、麻原彰晃を、「最終解脱者、・シヴァ大神の化身」として絶対視しています。

 さらには、麻原の関与した殺人事件についても、圧倒的な客観的事実・証拠があるにもかかわらず、「陰謀である」と主張したり、「わからない」と考えたりして、麻原を否定する理由とすることを避けています。

 このような盲信から脱却するために、まず、
①「麻原・アレフを盲信する原因・落とし穴――盲信から脱却するために」 

と題して、盲信してしまう原因を総合的に分析し、その脱却法についてお伝えします。

 続いて、
②「麻原の人格分析」 
③「オウム信者の人格分析」

と題して、麻原と信者の人格の分析をしています。人格分析することで、盲信からの脱却に役立てていただきたいと思います。



①「麻原・アレフを盲信する原因・落とし穴――盲信から脱却するために」

 詳細は、一つ一つ述べていきますが、こうした盲信に陥る主な原因について、最初に、結論から言えば、以下の通りとなります。


1.>>アレフの信者は、麻原の実態をよく知らない

今のアレフには、オウム真理教時代の中堅幹部程度しかおらず、
彼らは麻原の実態をよく知りません

一方、かつての麻原の高弟のほとんどは、今麻原を否定しており、
少なくとも絶対視しているものは皆無
です。

その中で、今現在のアレフの信者は、一連の事件の後も、
自分たちが信じたものが正しいと思いたい欲求や、
教団の宣伝や教義に基づいて、実際ではない麻原を盲信しているのです。

また、最近勧誘される人は、一連の事件自体を
よくは知らない若い世代
が多いともいわれます。



2.>>アレフは、麻原について「誇大宣伝」している


麻原を絶対視する理由となっている麻原の超能力は、
全体として見れば、誇大宣伝の面が多々あります。

確かに、一定数の信者を集めた麻原には、他の宗教の教祖などと同じように、
一定の霊能力があったとは思われます。

しかし、それは、

 ① 教団が宣伝するほど絶対的なものではなく、予言などはほとんどが外れており、
 ② そういったタイプの人は、麻原だけではなく、社会にまま存在しており、
 ③ 人格の完全性の証明には全くならず、彼を絶対視する理由には全くなりません

他にも、麻原の宣伝として、

 空中浮揚の写真、
 脳波の特殊性、
 チベットやインドの聖者の称賛など

がありますが、それらには、裏の真実があり、虚偽の宣伝といわざるをえません。



3.>>ヨーガ・仏教の教えを、麻原の教えと「混同して」信じてしまう


現在アレフは、その布教・教化活動で、
最初から自分たちがアレフだと明かして布教・教化することができないので、

 ① 最初はアレフであることを隠したいわゆる「覆面ヨーガ教室」でヨーガを教えたり、
    人間関係を作ったりし、
 ② その後に、オウム真理教事件を含めた陰謀論の話をするなどしてから、
 ③ その後に、アレフであることを明かして、アレフに入会させています。

この中で、ヨーガや仏教の教えによって、
心身の状態が改善したり、神秘体験をする人がいます。

しかし、ここで問題なのは、
それが、麻原・アレフのオリジナルの教えではなく、
ヨーガ・仏教の教えであるにもかかわらず、
そういった体験を他のところでしていないがために、両者を混同してしまって、
麻原・アレフの恩恵であると錯覚してしまう
面があります。



4.>>アレフの修行による神秘体験を、「過大評価」してしまう


また、特に、ヨーガがもたらす神秘体験などについては、
教団全体が、真の宗教的な知識が未熟なために、その価値を過大視しています。

その結果、本来は、麻原・アレフから自立して
ヨーガ・仏教の修行をすればいいのですが、そうはならないのです。

ここには、自分でも気づかないうちに、
何か絶対的なものに頼りたいという依存心、厳しく言えば怠惰があり、
それが、自分で自立的に修行することを妨げています。



5.>>教団に「自尊心」を満たされ、信じたくなる心理作用がある


アレフは、勧誘の対象となる人に対して、

「真理(=アレフ)に巡り会った希な功徳を持った特別な存在だ」


として、端から見ると、異常なまでに称賛します。

そのため、そうされた人は、気づかないうちに、
自尊心が極度に(過剰に)満たされ、
「教団を信じたい」という心理が働きます


ただ、落ち着いて考えると、
一連の事件を起こしたアレフが真理であるという合理的な根拠はなく、
それは自分たちなりの手前勝手な解釈(慢心)なのです。

その結果、客観的に見れば、
誰かを「絶対である」とか「神の化身である」などと判断できるとしたら、
本来、それは神の化身自身だけであるにもかかわらず、
アレフから強く称賛される中で、自分でも気づかないうちに慢心に陥ると、
本当の意味での謙虚さを忘れてしまい、アレフでの多少の体験によって、
安直にアレフ・麻原を「正しい、絶対である」と信じる過ちを、犯してしまうのです。



6.>>アレフが説く、「グルへの帰依の教えの呪縛」を受けてしまう

アレフの教義では、密教の教えを誤って解釈した結果として、

 「自分のエゴを滅するために、
  グルである麻原や教団の指導者に疑念を持たない、
 グルを絶対と見なければならない」


という教えがあります。

この教えに呪縛されてしまい、麻原を絶対視し、否定できない場合が多くあります
しかし、これは、正しい密教における帰依の教えの解釈ではありません。



7.>>「輪廻転生」を、原理主義的に盲信してしまう

 もう一つ記事があります

   >>輪廻転生への盲信と、地獄へ落ちる恐怖からの脱却体験談

アレフの教義では、「輪廻転生は絶対に存在する」と主張していますが、
それは科学的には完全に証明されていることではなく、
そもそも仏教の開祖・釈迦牟尼も輪廻転生を強調してはいません

しかし、アレフは輪廻転生を原理主義的に解釈し、

「現代人の99パーセントは地獄に落ちる」と脅した上で、
「救われるにはグル(麻原)に帰依するしかない」と強く指導しています。

仮に輪廻転生があるとしても、何も麻原の力に頼らなければならないということはなく、
現にアレフでも崇拝している釈迦牟尼自身、誰か特定の人物を
神の化身として絶対的に帰依するようなことは弟子達に求めませんでした
(むしろ逆に釈迦牟尼自身に対する個人崇拝を戒めていた)。

現代には、麻原に頼らずとも、多くの有力な宗教的指導者は存在していますし、
麻原なしで、輪廻の恐怖から解放された元オウム信者の体験も多々あるのです。



8.>>「オウムの過去の犯罪の事実」を、よく認識していない

アレフでは、過去のオウム事件について、
客観的には麻原・教団の関与を示す圧倒的な証拠があり、
上層部であればあるほど、よく知っているにもかかわらず、
教化活動では、事件を正当化しにくいために、事件を「陰謀」と説き、
そう信じさせるための緻密なプログラム・教材を作成しています。

また、古くからの信者の中には、
自分たち自身も、自分の信仰を守るために、
陰謀論を盲信している者もいると思われます。

そして、新しい信者については、
特に事件を直接的に知らない若い世代の人は、陰謀説を信じやすく、
事件の重大性とその影響を理解しにくい、ということができるでしょう。



9.>>アレフの、「現在の違法行為・犯罪行為の可能性」をよく認識していない

また、「オウム事件は過去の問題で、今後アレフが違法行為を犯すことはない」
と考えている人がいるかもしれません。

しかし実際には、
今現在も、自己の教祖・教団を絶対視する教義などの結果として、
アレフでは、

①被害者賠償契約の違反
②著作権の侵害
③裁判での偽証
④詐欺・恐喝的な行為
などの違法行為や違法の可能性のある行為がなされています。

2012年5月・6月には、逮捕・起訴者が出ました(一審は被害者男性の供述が変遷しているとして無罪、検察は「控訴を含めて慎重に検討する」としているす。2013年3月14日)。



10.アレフの修行の一部には、「危険性がある」ことを知らない
 

アレフが行っているヨーガや密教の修行の一部には、
一般の人がなすならば、精神的・身体的な危険性があるものが含まれています。

例えば、ツァンダリーという秘儀瞑想がありますが、
チベット密教などでは、その危険性から、ごく一部の選ばれた出家修行者にのみ、
その実践を許可しているというものがあります。

実際に、オウム真理教では、一部ではありますが、
修行によって精神疾患が発生したと思われる事実があります。

しかし、アレフ信者の多くは、この危険性をよく知っていません。

それでは、上記の一つ一つについて、次の記事から、詳しく説明していきます。



②「麻原の人格分析」


1.>>はじめに オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析

 オウム問題の解決のためには、麻原がどのような人格の持ち主であったのかを分析することは必要なことです。

 それは、信者や元信者の中には、麻原の起こした一連の事件の悲惨さ・残忍さをひどく嫌悪しつつも、

 ①自分自身は、「麻原の超人的と思える面」を感じたり、 
 ②「自分個人は非常によく面倒を見てもらった」などの経験があり、

 その二つの「矛盾」の中で葛藤し、麻原がいったいどういった人間なのかがわからず、その意味で、「呪縛」から十分には解放されていない人たちが存在すると思います。

 その人たちが、「呪縛」から解き放たれるためには、「矛盾」を解くことが必要です。
 そのために、麻原の人格を分析する必要性がでてきます。
 そこで役立つのが、「人格障害」の概念であると私たちは考えています。


2.>>「空想虚言症」の特徴とその特徴に符合する麻原

◎「空想虚言症」の特徴

1 空想力が異常に旺盛で、空想を現実より優先してしまう。
2 弁別がよどみなく、当意即妙の応答が巧みである。
3 好んで難しい外来語や、こけおどしの言葉を並べ立てる。
4 人の心に取り入り、それを操り、関心を惹くのがうまい。
5 自己中心の空想に陶酔し、他人の批判を許さない。
6 万能感と支配幻想
7 責任転嫁
8 実利的な利益の重視

◎麻原の説いた「演技の修行」と「空想虚言症」の関連


3.>>「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析
 

 「誇大自己症候群」に基づいて、麻原の人格分析の試みを行います。


4.>>「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動の比較検討 その1

①「万能感」という誇大妄想
② 自己顕示欲
③「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想
④「他者に対する共感性」の未発達、喪失


5.>>「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動の比較検討 その2


⑤ 権威への反抗と服従
⑥ 強い支配欲求
⑦ 罪悪感・自己反省の乏しさ、責任転嫁と自己正当化


6.>>「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動との比較検討 その3

⑧ 現実よりも、ファンタジー(幻想)や操作可能な環境に親しむ
⑨ 被害妄想
⑩ 目先の利益や快楽のために他人に害を与えても平気――規範意識の欠如
⑪ 内に秘める攻撃性



7.>>まとめ 麻原の妄想的な信仰と「誇大自己症候群」


まとめになります。



③「オウム信者の人格分析」

1.>>親子関係の傷=第二の親・麻原

・傷ついた親の理想像と誇大自己
・上祐代表の場合
・多くの弟子たちの共通点


2.>>「自己愛型社会」という視点から

日本において、明確に「自己愛型社会」ということが言われだしたのは、
1980年代です。

自己愛型社会のキーワードをいくつか挙げれば、

 「誇大自己」
 「自己存在意義への欲求」
 「劣等感と優越感」
 「依存」
 「被害妄想と誇大妄想」。

他には、

 「自己特別視」
 「責任転嫁」
 「自己正当化」
 「現実回避」
 「自己愛的空想」もあるかと思います。


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オウム真理教の弟子たち・信者の人格分析② 「自己愛型社会」という視点から

2012-04-10 16:35:05 の記事) 

前回に続き、オウム真理教の弟子たち・信者の人格分析の②として、
「自己愛型社会」という視点から分析していきたいと思います。

日本において、明確に「自己愛型社会」ということが言われだしたのは、
1980年代です。

自己愛型社会のキーワードをいくつか挙げれば、

 「誇大自己」
 「自己存在意義への欲求」
 「劣等感と優越感」
 「依存」
 「被害妄想と誇大妄想」。

他には、

 「自己特別視」
 「責任転嫁」
 「自己正当化」
 「現実回避」
 「自己愛的空想」もあるかと思います。

80年代に思春期を送っていた弟子たちの多くも当然、
上記の要素は多分に持っていたと思われます。

それを弟子たちに当てはめれば、
誰もが持っている「自己存在意義」「特別な存在であること」
への追求を背景として、
自分と他人を比較して、「劣等感と優越感」の双方を持ち、
自分がより偉大になるために、
麻原を含めた絶対的に見える他者に、安直に「依存」する、という傾向を持ち、
その中で、教祖と同じように「被害妄想・誇大妄想」を発展させていった、
ということになると思います。

まず、オウム真理教の出家者を見てきて、
大まかに3つのグループに分けられると思います。(世間でも同じと思われます)

 エリートといわれる人たち

一つは、いわゆる「エリート」と言われる人たちです。
しかし、いくらエリートといえども、
絶対的に、自分が他より優越しているということはあり得ず、
「劣等感と優越感」は背中合わせに持っていたでしょう。

「卑屈・被害妄想」と「誇大妄想」も持っていたと思われますが、
どちらかというと、誇大妄想優位であり、
「他より抜きん出よう」という意識が強いと思われます。


 社会の中では、生きづらい人たち

次は、社会の中では、なかなか生きづらいという人たちです。
社会性が乏しく、不器用なるがゆえに生きづらさを感じていたり、
実際にちょっと蔑んで見られ、「劣等感」を持っていた人たち。
このタイプの人たちは、「卑屈・被害妄想」優位ですが、
そうであるがゆえに、逆にそれを補償するものとして、
隠れた「誇大妄想」も持っています。


 平均的な人たち

三つめは、平均的な人たち。
この人たちは、「自分より上」と思う人に対する劣等感と、
下に対する優越感を持っています。
この人たちは、「卑屈・被害妄想」と「誇大妄想」を、
ほぼ均等に持っていると思われます。

自己愛が強い人ほど、
「特別な存在でありたい」「特別な存在である」という思いが強い。
その思いが強いと、それと違う現実によって生じる劣等意識も強くなります。
劣等意識と優越意識は、被害妄想 と誇大妄想を生み出します。
劣等意識によって卑屈になり、
卑屈になると「被害妄想・被害者意識」が生まれます。
一方、優越意識は、自己を誇大視し「誇大妄想」を生み出します。


こういった「自己愛型社会」に生きる、自己愛の強い信者の心理的な傾向は、
麻原の「誇大妄想・被害妄想」と共鳴したのではないかと思います。

信者が麻原に優越感情を刺激されたところとしては、
「選ばれた魂」であると規定されたことです。

そのように規定されることで、自分が「特別な存在」になれ、
優越感が満たされたのです。

そして、それを確たるものにするために、

グルは「絶対的偉大な存在」である、
「キリスト」である、

ということを受け入れたのです。

その部分を受け入れるということは、
「キリスト」であることによって形作っていった麻原自身の妄想世界に、
同調していくことは当然であったように思います。

自分はキリストの選ばれた弟子という思い。
救世主の団体。
世界を救済する団体の一員という「優越感」と「自己愛」です。

また、「変身願望」というものも多くの弟子はもっていたように思います。
「誇大自己」の人たちは、
今の自分は本当の自分ではない、
「仮の姿」にすぎないと思う傾向があります。

そして、それに対して現実の中で、現実的に自己を改善するのでなく、
キリストの選ばれた弟子になることで、
「世界を救済する戦士」に生まれ変わって、
これこそ自分の本当の姿であると、
それまでの卑屈な自分から「変身」してしまったのです。
安易で安直な方法で、優越感情に浸れたわけです。

「自己愛人間」は、現実でなく、「妄想」の中での自分を生きる傾向があります。

このような傾向のある者たちが、「自己愛」を満足させてくれる「妄想」を
与えてくれる麻原に好感を持たないはずがありません。

ですから、麻原の「キリスト(救世主)」という妄想を
積極的に肯定することになったのです。

また、「そうあってほしい」という願望も麻原に「投影」され、
ますます麻原の「絶対化」は進んだと思います。

麻原の絶対化・神格化が進めば進むほど、
自分は「偉大なキリストの弟子」という自己愛を満たす
ご馳走を食べることができるわけです。

表層意識では、純粋な気持ちで麻原を「キリスト」と認めている
と本人たちは思っていたと思います。

しかし、潜在意識では、
このように自己利益のために麻原を「キリスト」であると、
積極的に受け入れていった(面もある)と思います。

今までは自己愛を満たすために
「キリストとしての麻原」に「依存」していましたが、
もう一つ違う「依存」もありました。

麻原は、非常に明確に、断定的に価値観を示し、
問題の解決の答えを示す傾向がありました。

不安定な、不確実な時代の中で、
「確実なもの」「絶対的な価値観」「指針」を求めていた多くの人にとって、
頼もしい「依存」できる対象だったのです。

生きていく中で、なかなか割り切れず解決がつかないものに、
全部説明をつけてくれたのです。
「これですべてわかった!」というわけです。
これは、すっきりして非常に心地いいものです。

しかし、実際には、はっきりすっきりわかるものではありませんが、
若いときは、早急に答えを欲する傾向が誰しもにあり、
若い弟子たちにとっては、
やはり、この点でも惹きつけられるものがあったのだと思います。

こういう「依存」です。
自分で苦しんで悩んで経験して答えを出すのではなく、
依存して答えを与えてもらって解決するというものです。

それによって弟子たちは、自分で思考することがなくなっていきました。

このように、自分にいくつもの心地よさを与えてくれる「絶対者」の指示には、
喜んで従うようになり、麻原の妄想世界をともに築いていったのです。

オウム真理教の弟子たち・信者の人格分析① 親子関係の傷=第二の親・麻原

( 2012-04-09 19:13:41 の記事) 

前回までに、オウム真理教の事件の原因を解明して、
オウム問題を解決し、それを二度と繰り返さないようにするために、
「麻原とは、いったいどういった人物だったのか」を
科学的に分析することが必要不可欠である
という視点から、麻原の人格分析を行ってきました。

今回は、それに異常なまでに付き従った弟子たちや信者の人格分析を
行いたいと思います。


◆親子関係の傷
 ――残存する「理想化された親のイマーゴ」=第二の親・麻原

◎理想化された親のイマーゴ


「理想化された親のイマーゴ」とは、
自分を支配し、願望をかなえてくれる「神」のような親の理想像です。

ある時期、親や身近な大人を、「理想化したもの」として尊敬し、
「手本」として取り込むことが、この「理想化された親のイマーゴ」も、
子どもの健全な成長にとって欠くことのできないものです。

もちろん、ある時期に生じた「理想化された親のイマーゴ」は、
子どもが成長する中で、現実の親や大人の「理想的ではない部分」
徐々に認識する中で、徐々に解消されていき、
その結果、理想ではなく、現実に基づいた、
親や他者への尊敬・尊重に変わっていきます。

ところが、何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、
「理想化されたイマーゴ」としての役割を果たせず、
本人の期待をひどく裏切ったり、本人に対して支配的すぎたりすると、
本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、親のイマーゴばかりが、
「過度に膨らんだもの」として、
本人の心の中に、居座り続けることになるとされています。

こうして、現実的な、成熟した、健全な自己愛に向かった発達が
損なわれた結果として、
「誇大自己」や「理想化された親のイマーゴ」が残存して支配する
という考え方は、子どもや大人の「非行」を理解する上で、
非常に有効な概念だとされています。

どのくらいの弟子たちが、その親との関係で、
誇大自己症候群の原因となるような、
親の適切な愛情の施しにおいて、問題があったかは未調査です。

また、一般社会のケースと比較する必要もあるかもしれません。
しかし、親に傷を持っている人は、結構多いように思われます。
 
また、現代の社会は、いわゆる「父権の喪失」によって、
子どもにとって、親が、先ほどの論理でいう、
「理想化された親のイマーゴ」への欲求を適切に満たして、
適切に解消するという健全なプロセスが実現されにくい面があります。

すなわち、子どもの理想・尊敬の対象になりにくい、ということです。

◎上祐代表の場合


例えば、麻原の男性の一番弟子と言われた上祐代表の場合は、
両親の別居が小学生時代から始まっており、
父親は別の女性と暮らして上祐氏の家に帰ってこなくなり、
それに悩む母親を見ながら育ち、
その他、父親の経営する会社は倒産してしまいました。

こうした中で、上祐氏は23歳頃に、
「超能力を身に付けてスーパーマンになりたい」といった願望で、
オウム神仙の会に入会し、
その後、麻原の説く「解脱者になって世界を救済する」ということに共鳴し、
オウムに出家しました。

上祐氏は、
自分が解脱し救済者になるという理想=「誇大自己」の実現を手伝ってくれる、
「理想化された親のイマーゴ」として、麻原に依存していきます。

この中で、上祐氏は、麻原を、自分の頼りなかった両親に代えて
「第二の親・親代わり」にした面があったと思われます。

◎多くの弟子たちの共通点

 「麻原を、理想化された親のイマーゴとした」という点ですが、
これはほとんどの弟子たちに共通した側面であったのではないか、
と思われます。

弟子たちは皆、「麻原に依存すること」で解脱者になる、
キリストの弟子として救済者になる、

という「誇大妄想的な」欲求を満たそうとしました。

そして、多くの出家した弟子たちは、
隠語として、麻原を「お父さん」と呼ぶときがありましたし、
出家とは、仏教でいう、いわゆる「家を出る」という意味合いではなく、
理想的ではない肉親の家族から、自分の理想を実現してくれる、
頼れる「麻原の大家族に移ることだった」と思われます。

その後、外部社会から客観的に見るならば、
弟子たちは、95年以降、麻原の逮捕・勾留によって、
事実上、麻原を失いました。
「失った」はずでした。

ところが、弟子たち・信者たちの中では、
「麻原を失った」ということを自覚しない、したくない人たちが、
よりいっそう麻原を「理想化」して、教団を辞めずに、続けていきました。

これは、誇大自己症候群における
「誇大自己」と「理想化された親のイマーゴ」の問題そのものです。

 「何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、
  "理想化されたイマーゴ"としての役割を果たせず、
  本人の期待をひどく裏切ったり、"本人に対して支配的すぎたりする"と、
  本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、
  "親のイマーゴ"ばかりが、過度に膨らんだものとして、
  本人の心の中に、居座り続けることになる」

と上記に述べました。

麻原は、信者の第二の親としては、
明らかに、「本人に対して支配的すぎたりする」親でした。

教団の中で、麻原は、
「偉大なグル」「キリスト」「マイトレーヤ」といった「絶対的な位置付け」を持ち、
弟子は、麻原の弟子として、今生に限らず、来世を含めて未来永劫、
一緒に転生し、麻原のお手伝いをしていく、という方向に誘導されました。

それとは反対に、仮に、弟子が脱会するなどして、
グル・麻原から離れるならば、
グル・真理との縁が傷つき、
地獄などの低い世界に転生する(可能性がある)という
「恐怖」も植え付けられました。

こうして、信者の第二の親としての麻原は、
「本人に対して支配的すぎたりする」親でありました。

そのため、弟子・信者たちは、
「本来の育むべき理想や自立心が育たないまま」の状態になり、
麻原という「親のイマーゴばかりが、過度に膨らんだものとして、
本人の心の中に、居座り続けることになる」という状態になりました。

これは、今現在も、私たちがひかりの輪として独立する中で、
脱会したアレフ(現在Aleph に改名)について当てはまることです。

その中では、わたしたちが脱会した5年前に比べ、
さらに、麻原の神格化、絶対化への回帰が強まっており、
誇大妄想的な主張や指導が、依然として展開されているのです。

【麻原の人格分析⑦まとめ】 麻原の妄想的な信仰と「誇大自己症候群」

( 2012-04-04 13:45:31 の記事) 

これまで、オウム真理教の事件の原因を解明して、オウム問題を解決し、
それを二度と繰り返さないようにするために、

「麻原とは、いったいどういった人物だったのか」を
科学的に分析することが必要不可欠である


という視点から、分析を行ってきましたが、今回がまとめとなります。

麻原の人格・欠点・能力を科学的に理解するために、
心理学の人格障害の中で、「誇大自己」「空想虚言」といった概念に
照らし合わせてみる試みです。

これまで、以下の記事を掲載しました。

1 オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析

2 「空想虚言症」の特徴と、その特徴に符合する麻原

3 「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析 

4 「誇大自己症候群」の特質と麻原の言動の比較検討 その1
    同 その2
    同 その3 


◎麻原の妄想的な信仰を「誇大自己症候群」の一部として理解する

「誇大自己症候群」に基づいて考えると、
麻原は、青年期を過ぎても、等身大の自分を受け入れて、
社会における現実的な自分の活かし方を見つけて、
健全・建設的な自尊心をもって生きることができず、
繰り返し、「誇大妄想」に基づく挑戦をし続け、破綻を繰り返しながら、
最後に破滅した、ということができます。

子どものころから、大人になるまで、その「誇大な欲求」は絶えることなく、
むしろ、何かにつまずいて破綻するたびに、ますます大きくなって、
さらに大きな破綻をして、
そのたびに、違法行為の度合いも大きくなっていきました。

 具体的には、

① 人徳もなく生徒会長になろうとして落選し、

② 学力もなく「国立の医学部に入学し医者になる」とか、
 「東大の法学部に入学して総理大臣になる」と主張し失敗し、

③ 薬局を開いてからは、知り合いの医師を騙して、
 保険金の不正請求を犯して返還請求をされて事業が破綻し、

④ 高額な漢方薬を売りまくって、薬事法違反を犯して逮捕され、
 刑罰を受け(略式起訴)、

⑤ 宗教団体(オウム真理教)を開いてからは、
 民主的に政権をとろうと考えて、選挙に出て惨敗し、

⑥ その後は、教団武装化=軍事力によって、日本・世界の王になろうとして、

⑦ 95年をきっかけに、一連の事件が発覚して、破滅した、

 という経緯です。

こうして、彼は、最後まで、

「自分が、とてつもなく偉大な存在になる」

という欲求を持ち続けました。

そして、ヨーガ修行の道に入った段階で、麻原は、
その自分の願望を満たす存在を見つけます。

それは、麻原の内的世界に現れていた「神(特にシヴァ大神)」でした。


◎現実の先輩修行者たちには、反発・反抗し続ける

そして、「シヴァ大神」に「理想化された親のイマーゴ※」を
見いだした後の彼は、現実の世界の先輩修行者について、
それを本当の意味での尊重・尊敬の対象とすることはなく、
次々と否定していきました。

※「理想化された親のイマーゴ」とは
 人間が、自己愛が発達・成熟していく過程において、発達させる心理学の概念の一つで、
 自分を支配し、願望をかなえてくれる「神」のような親の理想像のことを指します。
 しかし、何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、「理想化されたイマーゴ」としての役割を
 果たせず、本人の期待をひどく裏切ったり、本人に対して支配的すぎたりすると、
 本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、親のイマーゴばかりが、 
 「過度に膨らんだもの」として、本人の心の中に、居座り続けることになるとされています。

例えば、

雨宮師、
パイロットババ師、
カル・リンポチェ師、
ダライ・ラマ法王

などが現れますが、最初は、高く彼らを評価しながら、少し付き合うと、
すぐに「自分よりも下の存在」と位置づけました。


◎「妄想的な予言」に見られる麻原の誇大妄想と被害妄想

そして、その後の宗教活動では、社会から不当に弾圧されているという
「被害妄想」を生じさせるとともに、
自分がコントロールできる幻想の世界の中で、
自分が絶対者であるという「自己万能感」に浸ろうとして、
「予言に基づいた教団活動」の世界にのめり込んでいったのではないか、
と思われます。

麻原と社会の関係は、麻原の妄想的な過激な言動に、社会が反発し、
その社会の反発を麻原が自己の誇大妄想を増大させるために再度利用する、
といった、一種の「悪循環」があったのではないか、と思います。

このような仕組みによって、

「世界征服をたくらむ影の組織フリーメーソンが、
 教団を攻撃してくるのであり、
 自分たちは予言された救世主の団体である」

という幻想世界を突き進み、それに弟子たちを巻き込んでいったのでした。


◎時代全体にあった(妄想的な)予言の流行

なお、このような彼の妄想的な予言への傾斜は、
広い意味では、時代の潮流の一部であったように思われます。

例えば、「ノストラダムスの予言」については、
1973年の五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』(祥伝社)がベストセラー
になりましたが、麻原も、その存在を知ったことでしょう。

その後、麻原が入信した阿含宗でも、桐山氏が
『1999年カルマと霊障からの脱出』(桐山靖雄、平河出版社)という本を
1981年に出してもいるので、さらに興味が増していったと判断できます
(麻原は1980年夏に阿含宗に入信している)。

その他にも、ヒトラー、エドガー・ケーシー、ジーン・ディクソン、出口王仁三郎
と、破局の予言をしている人は大勢いました。

そのような時代の潮流に乗った上で、麻原は、それらの予言よりも、
さらに妄想的な「自己の予言」に傾斜していったのです。


※より詳しい内容が以下に書かれていますのでご覧ください。
【5】麻原の妄想的な信仰と「誇大自己症候群」
http://hikarinowa.net/kyokun/generalization2/psychology2/04-5.html

【麻原の人格分析⑥】 「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動との比較検討 その3

( 2012-04-03 21:57:17の記事) 

前回までに、以下の項目について、
「誇大自己症候群」の特質と麻原の言動との比較検討を行ってきました。

 ①「万能感」という誇大妄想
 ② 自己顕示欲
 ③「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想
 ④「他者に対する共感性」の未発達、喪失
 ⑤ 権威への反抗と服従
 ⑥ 強い支配欲求
 ⑦ 罪悪感・自己反省の乏しさ、責任転嫁と自己正当化

今回は、その最後の項目⑧~⑪となります。


現実よりも、ファンタジー(幻想)や操作可能な環境に親しむ


この傾向は、生の現実ではなく、思いのままにコントロール可能な模造現実を、
居心地よく快適と感じるものです。

ファンタジーであれ、その底流にあるのは同じく、
「思い通りになる」ということであり、
「万能感」を容易に充足させてくれるということです。

「誇大自己」を抱えた人は、社会的な孤立と、
「自分は周囲から認められない」という思いは、
単に自己否定感を深めるだけでは終わらず、
それを補うために、心の中で、別のプロセスが進み始めます。

すなわち、より誇大で自己愛的なファンタジーにのめり込んだり、
思い通りになる弱い存在を支配することで、
自分の万能感や力の感覚を満たし、どうにか折り合いを付けようとするのです。

そして、麻原の場合は、ファンタジーにのめり込むことと、
思い通りになる弱い存在を支配することの、
双方を兼ね備えていたのが「宗教」だったのです。


被害妄想


次に、前にも出てきている「被害妄想」の傾向ですが、
これは、周囲から侵害されるのではないかという「不安」ゆえに、
余計にかたくなな態度で、防備を固めようとする傾向にも通じるものです。

そして、麻原の場合は、この被害妄想が、非常に顕著でした。
例えば、

① 幼少のころの親に対する見方(親が自分を捨てた、搾取しようとした)

② 生徒会選挙に落選した際に「教師の妨害があった」と決めつけたこと

③ 自分は「キリスト」で、「悪魔の勢力から弾圧される」
  という予言世界観を唱えたこと

④ マスコミなどに批判されると、
 「その裏に創価学会・フリーメーソン・国家権力がいる」と主張したこと

⑤ 衆議院選挙に落選すると、「投票操作をされた」と主張したこと

⑥ 「米軍の毒ガス攻撃を受けている」という主張を含め、
 「教団弾圧の裏にアメリカ・CIAが存在している」としたこと

など、枚挙にいとまがありません。


目先の利益や快楽のために他人に害を与えても平気
――規範意識の欠如


麻原がこれに当てはまることは、
さまざまな違法行為、犯罪行為を見れば明らかです。
そして、それは幼少のころからそうだったようです。
以下、ジャーナリストの書籍から見てみます。

  「盲学校の生徒には、大なり小なり社会にたいする憤りや、被害者意識、
  劣等感があるんです。
  しかし、ふつうの生徒はそんなことなど口に出さずに、
  社会に協力していこうという気持ちをもっていた。
  ところが、智津夫には、それがないんです。
  自分のために、まわりを利用しようという意識ばかりがあった。
  社会の常識は、自分の敵だと思うとった。
  そして長兄にくらべて智津夫には、
  人の上に立ちたいという名誉欲が人一倍強くありました」
    同様の話は、複数の元教師や現職の教師からも聞いた。

      (高山文彦氏『麻原彰晃の誕生』文藝春秋)

そして、教祖になる前も、保険料不正請求、薬事法違反、
そして、治療家としての誇大宣伝・詐欺的な行為など、一貫した傾向でした。

また、「目先の利益や快楽」といえば、
犯罪行為を犯す動機自体が、まさにそれでした。

最初の事件は、単なる事故死であったにもかかわらず、
「教団の名誉・自己の救済活動に傷をつけたくないがあまり」、
死体遺棄の罪を犯しました。

しかし、そのために、後ほど、それを目撃した弟子が告発することを恐れて、
その弟子を殺害するという事件につながっていきました。

また、坂本弁護士事件は、同弁護士が教団のマスコミ批判の裏にいると考え、
それを排除するために行われましたが、
マスコミの批判などは常に一過性ですから、
静まるまで辛抱すればいいことでした。

地下鉄サリン事件は、教団に迫る警察の強制捜査を嫌って、
延期させるために行われたとされていますが、
辛抱して強制捜査を受け止めなかったことが、彼にとって致命的となりました。


 内に秘める攻撃性

誇大自己の万能感は、その絶対性を傷つけられると
「自己愛的怒り」を生みます。
「自己愛的怒り」は、絶対者である神や王の怒りに似ています。

これは、すべて自分の思い通りになることを期待し、
「自分こそ正しい」という思い込みが否定されることから生じる怒りです。

怒りによって生じる行動は、まさに神や王のそれであり、
相手に「思い知らせる」ために、相手の存在を消し去ることさえ躊躇しません。

麻原の場合も、この傾向は非常に顕著でした。

麻原は、自己を「最終解脱者」であり、「キリスト」と位置付け、

「自分を批判・攻撃した者は、大変な悪業を積むことになり、
 神々の怒り・裁きが下る」

としました。

そして、それだけに止まらず、その裁きを自ら実行するために、
教団の武装化や、さまざまな暴力犯罪を犯しました。
すなわち、明らかに、彼自身が、「裁きの神」となっていったのです。
彼が解釈した「予言されたキリスト」は、そういった神の化身であり、
彼にとってのポワとは、救済であるとともに、一種の「裁き」だったのです。


※より詳しい内容を以下に掲載していますので、ぜひご覧ください。
【4】「誇大自己症候群」の特質と麻原の言動の比較検討
http://hikarinowa.net/kyokun/generalization2/psychology2/04-4.html

【麻原の人格分析⑤】 「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動との比較検討 その2

(2012-04-02 18:26:37 の記事)

前回④の続きです。

 権威への反抗と服従


誇大自己症候群では、この「反抗」と「愛情の希求」という相反する方向が、
混じり合っていることも多くあります。

権威への「反抗」と「服従」という、二面性に引き裂かれるのです。

しかし、それは二面であっても、根本原因は一つです。

親や親代わりが、

 「自分の“誇大自己”の欲求を満たしてくれる存在でない」

と思えば、他人に反抗し、他人を尊敬しない側面が現れますが、
同時に、潜在的には、「誇大自己」の欲求があるので、

 「それを満たしてくれる」

と思える存在・対象に対しては、とたんにそれに「服従」して、
欲求を満たしてもらえるようにするというわけです。

これが、

① 麻原が、彼の「シヴァ大神」に絶対的に服従しつつ、
 一般社会への強い反抗・攻撃をなしたことや、

② 麻原の弟子たちが、麻原への絶対的帰依を実践しつつ、
  麻原と共に、一般社会に反抗したことに当てはまる、

と思います。

ここでは、服従も反抗も「極端」になります。

なぜなら、その動機・原因である「誇大自己」が極端だからです。

その欲求が強いので、それを満たしてくれない存在には、憎しみが生じ、
満たしてくれると思えるものには、完全に服従して、
欲求を最大限に満たそうとするということです。


強い支配欲求


「誇大自己症候群」の人にとっての対人関係の特徴は、

「所有と支配」

という色合いを帯びています。

相手を自分の思い通りにしようとします。

「自分の考えだけが正しくて、一番よい」

と思っているので、それを受け入れない人は、

「愚かで悪い人」

とみなされてしまいます。

自分の思い通りになり、意のままに支配できる存在は「かわいい」存在であり、
そうでない存在には「むかつく」のです。

麻原の場合は、この傾向も顕著でした。
例えば、

① 幼少のころから、生徒会長、政治家、総理大臣なることを夢想し、

② 生徒会長の選挙に落選すると、気にくわないと思った生徒を
  片っ端から殴りつけたり、

③ 教祖になると、自分が「世界のキリスト」になる人物とする予言を発表し
  (「キリスト」とは、麻原の解釈では「王」という意味で、
   祭政一致の世界の統治者を意味する)、

④ 選挙に出て、政権を取ろうとしたり、

⑤ 教団武装化=軍事力で日本・世界を自分の国にしようと妄想しました。

また、グルとしても、麻原は、弟子たちに対して「唯一のグル」として君臨し、
故カル・リンポチェ師(チベット密教の高僧)などの他の高名なグルから、
弟子が瞑想法の伝授を受けることなどを否定しました。

「密教では、グルは一人である」として、
弟子が他のグルから学ぶことを否定したのです。

また、自分の支配欲求に反するものは、
「悪」と認識して怒りを現わすわけですが、
そうすることを正当化するためにも、それを「悪」に仕立て上げるのです。
 
麻原の場合にも、これが当てはまり、
彼の「世界の統治者」になろうとする過剰な欲求のために、

自分の弟子にならないすべての人たち=外部社会の人たちは、
「悪業多き魂」というレッテルを貼られました。

さらに、「誇大自己症候群」を抱えた人は、
愛情を、「支配と所有」の関係でしか見ることができません。

愛情を、
「どれだけ服従するか」で測るだけでなく、

それに報いる術も、
「所有する物を分配することしかない」と思っているのです。

ある犯罪者の例として、
『誇大自己症候群』(筑摩書房、2005)の著者である岡田尊司氏は、

愛情飢餓を埋めるために、ますます物や金をばらまき歓心を得る、
という行動パターンがエスカレートしていった、

という例があることを書いています。

麻原の場合は、
小学校5年生のとき、児童会会長選挙に立候補したとき、
お菓子を生徒たちに配って自分に投票するように言い含めたり、
衆議院選挙の際も、安い野菜を有権者に提供したりしました。

教団の教祖になってからは、彼により深く帰依する者に、
成就者として、教団内の「高い地位」を与えました。

逆に言えば、「麻原に対する帰依」こそが、
成就の認定を得る上で最も重要な要素であるとされました。


罪悪感・自己反省の乏しさ、責任転嫁と自己正当化


まず、麻原の生い立ちに関しての書籍から、引用をしたいと思います。
主に、担当した教師による見解です。

 「智津夫は高等部に上がったころから、やることが狡猾に、
 陰湿になっていったんです。
 われわれの目の届かないところでね。
 そして発覚したら、居直りを決めこむ。
 担任ではどうにもならんときは、
 生活指導の教師や古手の私などが面接室に連れていくわけです。
 そうすると、さっきの勢いはなんだったのかと思うほど、
 卑屈な態度に変わるんですね。
 もう言わんでください、と懇願するようになる。
 さらに突っ込まれると、最後は泣くんです。
 激しやすい反面、非常にもろいところがあった。

 しかし、実際には、まったくこちらの気持ちは届いていないんです。
 反省するということがない。
 智津夫にあるのは自我だけです。
 自我に敵対するものは徹底的に排除するかわり、
 自我のなかに無条件に飛びこんでくるものは、
 自分のほうから受けいれていったんじゃないでしょうか」

    (高山文彦氏『麻原彰晃の誕生』文藝春秋p.43より)


犯罪行為についても、保険料不正受給や薬事法違反から、
その後の出家者の親、マスコミの批判や、さまざまな犯罪行為に至るまで、
真剣な反省は今も見られません。

裁判での意見陳述では、
「自分は常に四無量心(仏教で言う慈悲の心)で生きてきた」と主張し、
不規則発言の中で、再び、
「自分は弾圧されている」といった主旨の主張をしています。

「責任転嫁」も顕著であり、
一連の事件に至っては、弟子に責任転嫁をして、
「自分は止めようとしたが弟子がやった」などという架空の主張をなし、
選挙の落選も、国家の権力の「陰謀」として責任転嫁しました。

続く

【麻原の人格分析④】 「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動との比較検討 その1

 (2012-04-01 10:50:24 の記事) 
前回の続きです。

それでは 具体的に、「誇大自己症候群」の特質と、麻原の言動との比較検討
を項目ごとに進めていきたいと思います。


 「万能感」という誇大妄想

誇大自己の持つ「万能感」は、何かに挑戦しようという前向きな力にもなります。
しかし、現実認識が甘く、現実と遊離した形では、
「誇大妄想」の万能感となって、それは、危険なものとなります。

「自分は何でもできる」

という「自己誇大視による万能感」があり、等身大の自己認識を欠いてしまい、
現実が伴わない「過剰な自負心」となります。


麻原については、この傾向がしばしば見られます。
例えば、

 ① 人徳もなく、生徒会長になろうとして落選したこと

 ② 学力もなく、「国立の医学部に入学し医者になる」とか、
   「東大の法学部に入学して総理大臣になる」と主張し失敗したこと

 ③ 宗教団体(オウム真理教)を開いてからは、
   民主的に政権をとろうと考えて、選挙に出て惨敗したこと

 ④ その後は教団武装化=軍事力によって、日本・世界の王になろうとしたこと

などです。


 自己顕示欲

「見捨てられ体験」をした者は、自分に確かな価値観が感じられず、
周囲の関心や注目を過度に求めることで、「自分の価値」を確認しようとします。

満たされない思いを補うために、誇大な願望を膨らませ、
派手な自己顕示に向かいます。
 

誇大自己は、絶えず「注目と賞賛」を望みます。

自己顕示欲というものは、本人は大まじめでも、
第三者の目には滑稽に映ったり、異様であったりするようです。
自己顕示欲的行動は、それに感応した人を惹きつけますが、
そうでない人には茶番に映ります。

この傾向も、麻原には顕著です。
例えば、

① 青年時代に、寮生活で学友を集めて行なったとされる「松本智津夫ショー」

② 衆議院選挙で行った、特異なパフォーマンス
  (滑稽・異様に感じた人も多かった)

③ 自分の誕生日に、「キリスト礼拝祭」と名付けた教団の祭典を行い、
  その中で、実際に自分が十字架に掛かる(ことで自分がキリストである)
  という演出をしたこと

などです。

その他にも、社会の注目を集める「派手で特異な」活動・言動は、
枚挙にいとまがありませんでした。


 「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想

自分を、世界の中心である「特別な存在」であると思い、
自分が特別な存在で、「唯一絶対の存在」であるような思いが、
心を支配し続ける傾向があります。

麻原の場合は、

 ① 実際に、「私が世界の中心であることは間違いなく・・・」
    と語る説法があること

 ② 自分のことを、
   「最後の救世主」
   「キリスト=世界の王」
   「未来仏マイトレーヤ」
   「地球の教祖」になる
   などと宣言・予言していたこと

 ③ インドに行ったときには、お釈迦様が悟りを開いた場所で、
   立ち入り禁止である場所に座って、
   自分を、仏陀と同列に位置づける行為をなした
   (地元住民とトラブルとなった)こと

 ④ 歴史上の皇帝・将軍など、その時代の中心人物を
   「自分の過去世である」
   と語ったたこと

など、これも枚挙にいとまがありません。


「他者に対する共感性」の未発達、喪失

このことは、「他者に対する二面性」に現れます。
それは、冷酷な血も涙もないような行いと、
過度に親切で優しいという一面です。

しかしながら、親切で優しく振る舞う状況と、
ドライで酷薄に振る舞う状況の落差を分析すると、

どちらも、「その人の気分や欲求」に重心が置かれており、
相手の視点や立場に立った、本当の「共感」や思いやりによるものではない

ことが明らかとなります。

その背景には、冷酷さも、過度な感情移入も、
その人が「世界の中心」にいる、という設定条件の下に生じています。

感動したり共感しているように見えるときも、
相手の思いよりも自分の思いに力点が置かれ、
感動している自分自身への陶酔という側面が強く、
とかく「独りよがりな思い」に走りがちです。

麻原の場合は、一連の事件などの冷酷さと、
信者に見せた行為の「二面性」がこれに当たる
と思われます。

続く

【麻原の人格分析③】 「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析

 (2012-03-31 12:32:27 の記事) 
前回の記事、【麻原の人格分析②】 「空想虚言症」の特徴と、その特徴に符合する麻原
の続きです。


さて、次に、「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析を行いたいと思います。

その前に、この概念は、前回の「空想虚言症」
オーバーラップする部分が多々あることをお断りしておきます。

麻原の人格については、

「反社会性人格障害」
「自己愛性人格障害」
「妄想性人格障害」など、

複数のものが言われましたが、
これらの障害については、麻原に、適合する部分とそうでない部分があり、
妥当だというものがありません。

一方、犯罪を犯した多くの青少年を診ている精神科医で、
『誇大自己症候群』(筑摩書房、2005)の著者である岡田尊司氏は、
犯罪を犯した青少年に共通する心性を、「誇大自己症候群」と呼んで、
それはまた、犯罪を犯していない多くの青少年、
それのみならず、多くの大人にもその特性は見られ、
現代社会を「自己愛型社会」と定義しています。

現代社会を、「自己愛社会」であるとしている精神医学者は複数います。

この「誇大自己症候群」は、

「反社会性人格障害」「自己愛性人格障害」
「妄想性人格障害」「境界性人格障害」
という縦割りのカテゴリー分けでなく、

それらの人格障害の基底に横たわる、「横断的な特性」として論じられています。

繰り返しますが、この「人格障害」とは、精神病ではなく、
程度の差こそあれ、(少なくとも現代人の)誰もが有している要素であり、
「健常者」と「異常者」の間に、完全な境界はないというものです。

そして、私たちの研究では、麻原やその弟子、
ひいては現代社会全体に広がる人格上の問題を分析するにあたり、
「誇大自己症候群」という概念を使用することが有効ではないか、
と思われましたので、取り上げたいと思います。

当然のことながら、次の項目で説明する「誇大自己症候群」の人の性格には、
さまざまな否定的な特質があります。

そのため、これを安易に扱ってしまうと、
すべての人が、程度の差こそあれ、
誇大自己症候群の傾向・要素を持つということを無視し、
誇大自己症候群である悪い人とそうではない善い人といった具合に
人間を二分化・差別化して、とらえることになりかねません。

よって、まず、第一に、

「すべての人が、程度の差こそあれ、
誇大自己症候群の傾向・要素というものを持っている」

ということを確認して、

第二に、誇大自己症候群の良い点として、

「誇大自己のエネルギーは、偉人を生む力ともなる」

という点を説明したいと思います。

心理学上、誇大自己症候群の人は、
常識人がもたないエネルギーや発想を秘めていることもあり、
それをうまく生かせば、大きな力とすることもできるとされます。

※より詳しい内容は、以下に掲載していますので、ぜひご覧ください。
【3】「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析
http://hikarinowa.net/kyokun/generalization2/psychology2/04-3.html

【麻原の人格分析②】 「空想虚言症」の特徴と、その特徴に符合する麻原

(2012-03-30 19:00:56 の記事)
前回の 【麻原の人格分析①概論】 オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析
の続きです。

◎「空想虚言症」の特徴
 
まず、「空想虚言症」とは何かについて述べてみます。

心理学の専門家の中には、麻原について、
この空想虚言症を呈する人格障害者=「空想虚言者」とする専門家がいます。

なお、この空想虚言症は、後で述べる「誇大自己症候群」という
横断的概念とオーバーラップするものです。

以下が、この概念に沿った麻原の特長となります。


 空想力が異常に旺盛で、空想を現実より優先してしまう。

 麻原は、自分の見たヴィジョンに基づいて方向性を決定していました。


 一見才能があり、博学で、地理・歴史・詩歌・技術・医学など、
   何くれとなく通暁しており、話題が豊富であるが、
   よく調べてみると、その知識は、
   読書や他人の話からの断片の寄せ集めであることがわかる。


 麻原の説く教義について、ヨーガ、原始仏教、チベット仏教、
   キリスト教などの「寄せ集めである」とは、よく指摘されることです。


 弁別がよどみなく、当意即妙の応答が巧みである。

 麻原を信奉していった理由として、多くの弟子たちが、
  麻原の「どんな疑問に対しても、即座に、明快な回答がされる点」
  をあげている。



 好んで難しい外来語や、こけおどしの言葉を並べ立てる。


 人の心に取り入り、それを操り、関心を惹くのがうまい。

 弟子の少なからずの者たちは、麻原の親身な関わりによって
  麻原への信奉を深めていった。


 自己中心の空想に陶酔し、他人の批判を許さない。


 万能感と支配幻想
 
 麻原が自分を「救世主」と宣言していることは、まさにこの特徴を表している。


 責任転嫁

 教団が、犯罪違法行為を行なっていることで、
  社会から批判されていることを棚に上げて、
  「宗教弾圧である」と言っている点はこの特徴に当てはまる。
  この点は枚挙に暇がない。


 実利的な利益の重視

※④⑥⑨について特に記述してないが、これらの要素もあった。


 「 こういった特徴を持つきわめて空想的な彼らは、
 巧みな作り話で人を魅了するが、作り話の嘘を語っているうちに、
 当の本人もそれを事実であるかのように思い込んでしまいがちとなる。
  そして、うぬぼれと支配欲に駆られるあまり、
 空想的地位や役割を演じようと熱中したあげくに、
 思ったことが事実でないことを忘れて、
 その実現に駆り立てられてしまうこともたびたびある。」
   (武野俊弥『嘘を生きる人 妄想を生きる人』新曜社、2005)


要するに、嘘と真実、空想と現実の区別がつかなくなってしまうのです。
空想された架空の立場、役割に心からなり切って行動します。

ここで、麻原以外に、人々に「救世主」のように崇められる
カリスマ的な「空想虚言者」の実例があります。

「救世主」と「悪人」という矛盾を併せ持った、カリオストロという人物の例です。
カリオストロの例は、麻原の「矛盾」を、
「空想虚言症」という概念によって解くことができることを示しています。


◎麻原の説いた「演技の修行」と「空想虚言症」の関連


さて、この空想虚言症に関連することとして、
麻原が、弟子たちに説いていた「演技の修行」というものがあります。

それは、自分が、解脱・悟りを達成していないのに、
あたかも達成した者であるかのように「演技」する修行です。

麻原は

「演じているうちに、それが本物になる」

と説いていました。
これは、ある意味で、「空想虚言症」を意図的に実践するということにもなります。

そして、最も重要なことに、この教えを説いた麻原自身が、今から思えば、

「最終解脱者を演じていた可能性」

がないかということです。

麻原のいう「最終解脱」とは、その状態がどういうものであったか、
最終解脱したのがいつなのか、相当にあいまいなものであったということが
推測される証言が複数存在します。

以下、本対策室の宗形真紀子著『二十歳からの20年間――オウムの青春の魔境を超えて』三五館 より抜粋でご紹介します。

 じつは、麻原の最終解脱の定義や体験はあいまいなのです。
書籍などでは一九八六年にヒマラヤでパイロット・ババ師と会って、
最終解脱したことになっていますが、それは事実ではありません。

 実際、その時点からパイロット・ババ師とはすれ違いが始まっており、
麻原の最終解脱は、他の聖者に認められたものではなく、
自己認定でしかない
のです。
 そして、麻原自身も、上祐などの側近には、最終解脱の体験は
ヒマラヤより前のもので、
ヒマラヤで解脱したことにしておいたほうがイメージがいいから」
と語っていたそうです。

 では、麻原が最終解脱したと自己認定をしたのは何がきっかけだった
のかというと、それは、やはり、彼自身の内的な体験でした。
 九一年のある写真雑誌の取材の際に、
麻原は、自身が最終解脱の体験としている体験を初めて語りました。
 それまで信者にも語ったことがありませんでした。

しかし、記者は、それが客観的には麻原の内的な体験にすぎなかったので、
「なぜそれが最終解脱と言えるんですか?」という素朴な質問を
麻原に返しました。それに対して、麻原は、
「だって、自分の周りに神々が現れて
 たいへんな祝福をしてくれたんですよ」

という趣旨の答えをしましたが、
当然、記者は十分には納得しませんでした。

 このように、
「神々が祝福してくれたから、最終解脱だと判断した」という、
神ではないものを、本物の神の体験と思い込み、
最終解脱と判断したのが、
麻原彰晃の魔境の重要な要因の一つなのではないかと思いました。
 それより前に、麻原はかつて魔境に陥った経験から、
魔境の警告もしていたので、おそらくは魔のような経験をしていたと思われます。
その麻原が、魔境を抜けて最終解脱したと思っていたのは、
じつは神ではないものを神と思い込んだ、もう一つの魔境の体験にほかならないと思うのです。


そして、上記のカリオストロの例ように、
空想虚言者の性質として、
「救世主になりきってしまう」ということがあることがわかります。

そして、麻原の場合も、ある意味で、そうだったのではないか、と推察できます。

「巧みな作り話で人を魅了するが、
作り話の嘘を語っているうちに、
当の本人もそれを事実であるかのように思い込んでしまいがちとな
る」。

麻原の最終解脱も、この「空想虚言症」
の特徴と同じだったのではないか。

こう考えれば、さまざまな残忍な事件とは
相容れない麻原の姿を体験したがゆえに、
彼をどうとらえてよいかわからない信者や元信者の方々は、
麻原の能力と人格を、「空想虚言症」の特徴として、
理解することができるのではないか、と思います。

※より詳しい内容が以下に書かれていますのでご覧ください。
【2】「空想虚言症」に基づく、麻原の人格分析
http://hikarinowa.net/kyokun/generalization2/psychology2/04-2.html

【麻原の人格分析①はじめに】オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析

2012-03-29 17:15:13 の記事)

 オウム問題の解決のためには、麻原がどのような人格の持ち主であったのかを分析することは必要なことです。
 
 それは、信者や元信者の中には、麻原の起こした一連の事件の悲惨さ・残忍さをひどく嫌悪しつつも、自分自身は、

 ①「麻原の超人的と思える面」を感じたり、
 ②「自分個人は非常によく面倒を見てもらった」などの経験があり、

 その二つの「矛盾」の中で葛藤し、麻原がいったいどういった人間なのかがわからず、その意味で、「呪縛」から十分には解放されていない人たちが存在すると思います。

 その人たちが、「呪縛」から解き放たれるためには、「矛盾」を解くことが必要です。

 そのために、麻原の人格を分析する必要性がでてきます。

 そこで役立つのが、「人格障害」の概念であると私たちは考えています。

 人格障害の中には、さまざまな大きな問題を有しつつも、同時に、相当な「知的能力」や「カリスマ性」を併せ持つケースがあります。

 言い換えれば、先ほど述べたように、呪縛された信者・元信者は、麻原の示した大きな「問題」と、自分たちが経験した「長所」といった「多面性」のために、麻原を総括できない状態であり、一つの概念の元に、麻原を総括できれば、「呪縛」を脱することができるわけです。

 「人格障害」とは、ある人格的要素が障害となり、本人及び周囲の人々が生きるうえで、著しく生きづらさを感じる場合の概念として類型化されたものです

 その人格的要素というものは、誰でもが持っているものであり、「人格障害」とそうでないものとは程度の違いに過ぎず、その境界は曖昧なものです。

 私たちの真意は、誰かに「人格障害」のレッテルを貼ることではなく、オウム真理教の事件の原因を解明して、オウム問題を解決し、それを二度と繰り返さないようにするために、「麻原とは、いったいどういった人物だったのか」を科学的に分析することが必要不可欠である、ということにあります。

 私たちの研究の中では、麻原の人格・欠点・能力を科学的に理解するには、心理学の人格障害の中で、「誇大自己」「空想虚言」といった概念に照らし合わせてみることが有効ではないか、という結論を得ました。

 よって、このカテゴリーでは、それに基づいた報告をします。


※なお、より詳しい内容が以下に書かれていますのでご覧ください。
・オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析
http://hikarinowa.net/kyokun/generalization2/psychology2/04-1.html
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アレフ問題対策室

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「アレフ(オウム真理教の後継教団)」や、アレフを隠したヨガ教室からの脱会支援を行っています。(※ご本人、ご知人、ご家族からのご相談など100件近くに上ります)
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